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地域に根ざした横浜FCってどんなチーム?

ココがキニナル!

マリノスタウンの記事、興味深く読みました。横浜のもう一つのJリーグチーム、横浜FCのクラブハウスも取材してください(toguraさん)/横浜FCに関したネタお願いします(yumaryoさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

情熱によって生まれた横浜FCは、「近い」をキーワードに、地域に根ざした地道な活動を続けて成果を見せ始めている。

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ライター:はまれぽ編集部

横浜に住む古くからのサッカーファンなら、1998(平成10)年10月に起こった騒動を記憶している方は多いだろう。横浜マリノス(当時)と横浜フリューゲルス、横浜に拠点を置く2つのチームが合併するというニュースは、世間を驚かせた。

横浜FCの誕生は、1999(平成11)年。ドイツで活躍し日本サッカー界をけん引した奥寺康彦(現・横浜FC会長)氏をゼネラルマネージャーに迎え、「ゼロから作り上げ、育てていくこと」を理念に発足した。もちろん、横浜にあったチームの合併と無縁ではない。
 


チームカラーは雲、空、海をイメージ




名将・名選手とともに歩みを続ける横浜FC

チームの滑り出しは上々だった。同年、Jリーグの2部制移行にともなって発足したJFL(日本フットボールリーグ)に、横浜FCは準会員として参加。ドイツのスーパースター、ピエール・リトバルスキー監督の指揮のもと、JFLの総合優勝を果たす。

翌年も破竹の勢いで勝利を重ね、JFL連覇を達成。晴れてJリーグ加盟が承認され、2001(平成13)年、J2リーグに参加した。
 


2005(平成17)年、三浦知良選手が加入しチームは勢いを増した
(写真提供:横浜FC)


その後は苦戦を強いられるも、徐々にチーム力を高めていく。2005(平成17)年のシーズン中には、日本サッカー界の至宝・キングカズこと三浦知良選手を獲得。同時期に、元日本代表の山口素弘選手(現・横浜FC監督)が加わった。

2006(平成18)年、悲願だったJ2リーグ優勝を決め、ついにJリーグ最高峰・J1リーグに挑戦する権利を得る。しかし、その壁は厚く、1シーズンでJ2リーグに降格。再起を誓い、「攻撃的サッカー」を掲げてチームを再編し、現在は山口監督の指揮のもとJ1復帰を狙っている。



クラブの特徴は「近い」ということ

横浜FCが目指すのは「地域に根ざしたサッカークラブ」だ。チームを運営する株式会社横浜フリエスポーツクラブ事業部統括部長の藤原兼蔵さんは、「声の届きやすいクラブだと自負しています」と話す。
 


「J1に昇格し、“定着”することが必要」と藤原さん


「サポーターの方が応援してくださる大きな理由のひとつは、さまざまな意味で“近い”ということ。クラブがどういう方針で経営しているのか、選手育成の進捗はどうなっているのか、有志の方とのミーティングを定期的に開催するなどして、ご意見を募っています」

たとえば、かつてポスターにはホームゲームのスケジュールしか掲載していなかった。チケットの収入がチームに入るのはホームの試合だけだからだ。しかし、サポーターからすれば、アウェイだろうがホームだろうが、チームが戦っているのに変わりはない。掲載すべきだという声を聞き、すぐに変更したという。
 


近くで見学したいという要望を受け、練習場のそばにベンチを設置した


「ただ、近いと言っても、子どもたちにとって選手は“憧れの存在”でなくてはいけない。まだまだ足りない部分は多いですが、そこはクラブとして見せ方や接し方を考えなくてはいけないところですね」
 


練習では、試合とは違った表情を見られるのも楽しみ


「横浜」という、地名のブランド力が強い都市での活動の難しさもある。「横浜FCのおかげで、横浜のPRができました」とはなりにくいのが実情だろう。

「たとえば“横浜市”に比べると、“保土ケ谷区”や“神奈川区”という地名の露出は多くないと思うんです。そこに、『横浜FCのカズが保土ケ谷の小学校を訪問』といった話題がメディアに取り上げられると、地元の方に喜んでいただけて、それをきっかけに応援していただける方も増えるのではないかと考えています」