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暗きょとなった幻の川、磯子区陣屋川の水路はどこ?

ココがキニナル!

過去記事でも触れられていたが、かつて磯子周辺は小河川が多かったよう。記事中の川の中で陣屋川だけは流路の見当が付きません。川があった当時のことを知っている方はいるのか、調べてほしいです。(永田OLさん)

はまれぽ調査結果!

「陣屋川」は、屏風ヶ浦の大岡隧道付近から始まり、屏風浦駅前を通り、環状2号線と並行し根岸湾へ流れていたよう。当時の様子をご存じの方もいた。

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ライター:橘 アリー

川の始まりはどこ!?



キニナル投稿にある「八幡橋~杉田駅区間のバス停に「橋」がつくのは元、川だった!?」は、5年前に筆者が「はまれぽ」で初めて書いた記事。過去記事にあるように、磯子には以前、禅馬(ぜんま)川・芦名川・白旗川・聖天川・杉田川などの川が流れていた。

今回の調査は、その記事中に、かつてあった川として名前が登場している「陣屋川(じんやがわ)」について。前回の記事中の図で場所を確認すると・・・赤丸が「陣屋川」。

 

大正初めごろの久良岐郡屏風ヶ浦村(横浜市教育委員会発行)
 

この図では、寺院である林香庵(りんこうあん〈現:林香寺〉)横の道の途中から川が流れ出ていることは分かるが、詳細な流路の見当をつけにくい。

 

図の「陣屋川」の位置を現在の地図で確認すると、だいたい青線の辺りだろうか
 

そうすると、「陣屋川」は、現在の京浜急行線「屏風浦駅」前近辺から、横須賀街道(国道16号)方面へ流れていたことになる。
そこで、まずは「陣屋川」について地域の資料で調べてみることに。



川のほとりに観音様が祀られていた!?



「陣屋川」は磯子区森2丁目の林香寺の近くを流れていたようなので、まず「陣屋川」と林香寺に何か関わりがあるのか調べてみた。

すると、屏風ヶ浦地域に伝わる「枕かえし観音」という昔ばなしがあり、そこに「陣屋川」と林香寺を結びつけるものがあった。

内容は、以下の通り。

ある漁師が漁にでたところ、網に観音様がかかった。

 

漁のイメージ(フリー画像より)
 

漁師は、観音様を「陣屋川」のほとりにあった十王堂(じゅうおうどう:現在の磯子区森3丁目4-1辺り)に祀った。その十王堂は、村の若者たちがたびたび集まって遊んでいた場所でもあった。

ある日、十王堂にある若者が泊まり、朝起きると、夜寝たときと頭の位置が逆になっていた(若者は観音様に足を向けて寝たが、起きたら頭が観音様の方を向いていた)。その話を聞いたほかの人が“そんな馬鹿なことはない”と同じように寝てみたが、朝になると向きが変わっていた。
それ以来、観音様は“枕かえしの観音様”と呼ばれた、というもの。

現在、その観音様は林香寺に祀られているという。

 

林香寺の本堂。この中に大切に祀られている
 

林香寺は、室町時代の創建で、現在の住職川野泰周(かわの・たいしゅう)さんは19世目であるとのこと。

本堂に祀られている観音様を見せていただいた。

 

厳かな本堂の中
 

ご本尊の釈迦如来坐像と観音様、延命地蔵像が祀られている
 

ちなみに延命地蔵像は、十王堂に観音様と一緒に祀られていた。

 

観音様は、11の顔を持つ十一面千頭観世音菩薩である
 

「陣屋川」のそばにあった十王堂は、明治初めころ廃堂となり、林香寺に観音堂が建てられ十一面千頭観世音菩薩像と延命地蔵像がそこに移された。現在は本堂に祀られている。

そして、「陣屋川」について尋ねたところ、地域の歴史に詳しい金子弘(かねこ・ひろし)さんを紹介してもらった。



屏風ヶ浦トンネルの辺りが水源だった!?

 

金子弘さん。現在82歳である
 

金子さんは、この地に生まれ育ち、手に持たれている資料『横浜・磯子 屏風ヶ浦に生きる』を作成した方のお一人で、主に絵を描かれたそうである。

まず、「陣屋川」の名前の由来については、近くに陣屋(江戸時代の藩の屋敷)があったことから名前がついたとのこと。

次に「陣屋川」の流路について。
「陣屋川」の水源は、屏風浦駅近くにある上大岡駅との間のトンネル(正式名称:大岡隧道〈以下、大岡隧道〉)辺りであるそうだ。

 

金子さんが描いた昭和初期ころの絵図。赤丸の線が太くなっている部分が「陣屋川」※クリックして拡大
 

右が「水神川(すいじんがわ)」で一番左が「白幡川(しらはたがわ)」。
「陣屋川」と「白幡川」の間にも川があったようだが、特に名前はなかったそう。

 

「陣屋川」の流路を現在の地図でみるとオレンジの線のようになる※クリックして拡大
 

「陣屋川」は、屏風浦駅近くの大岡隧道付近から始まり、屏風浦駅前を通り、環状2号線と並行し根岸湾へ流れていた。

金子さんは、子どものころ「陣屋川」でよく遊んだそうだ。
深さは大人の膝の高さくらいで、水はとてもキレイでウナギがよく捕れたとのこと。
満潮になると、現在の森3丁目交差点の近辺まで、海からボラやハゼなどの魚が上がってきたそうだ。

 

埋め立て前昭和30年代の屏風ヶ浦海岸。「陣屋川」はこの海へ流れ出ていた(『浜・海・道Ⅱ』より)
 

「陣屋川」は暗きょ化されたそうである。暗きょ化とは埋め立てと違い川にふたをしたような状態である。その年代について横浜市道路局に問い合わせてみたが、資料が残っていないので不明とのこと。

明細地図で調べてみると、1959(昭和34)年のものには既に「陣屋川」はなかった。しかし、金子さんの地図によると昭和初期ごろは、まだ川は流れていたので、昭和初期から1959(昭和34)年の間に暗きょ化されたのではないだろうか。

最後に「陣屋川」の流れを海方面から辿っていくことに。