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出田町ふ頭、住所は「いずた」なのに、なぜ「でたまちふとう」?

ココがキニナル!

出田町ふ頭なんですが、住所は「いずた」と読むのですが、埠頭は「でたまちふとう」と読むようです。なぜ「いずたちょうふとう」じゃないのか不思議です。(kenkenさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

町名の「いずた」は昭和初期に人名から付けられ、ふ頭ができたのは戦後。ふ頭の名前を告示するときに“よみがな”を付けず「でたまち」となった!

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ライター:吉岡 まちこ

まず、よみがなを確認してみよう

横浜市民歴が長くても「イズタなんていう地名、横浜市にあったっけ?」と思う人も多いかもしれない。
横浜市市民局HPにある「横浜市の町名一覧(平成22年12月6日現在)」というページ。
「神奈川区」をクリックすると出てくるのがこれだ。
 


住所名は「いずたちょう」。「いづた」ではない。ましてや「でたまち」ではない。
http://www.city.yokohama.lg.jp/shimin/madoguchi/jyukyo/chomeiichiran/


一方、ふ頭の名称はどうか。
横浜市港湾局HPの言語を「English」に切り替えてみる。すると、横浜港の概要のページに地図があり、そこに―――
 


横浜市港湾局HPより抜粋(
http://www.city.yokohama.lg.jp/kowan/english/overview/


横浜市港湾局が告示しているふ頭名は「でたまち」のようだ。
ややこしいが、出田町(でたまち)ふ頭にある建物の住所は、「神奈川区出田町(いずたちょう)」だ。



地元の人は、どう呼んでいる?

地元では、イズタチョウ、デタマチ、どちらで呼んでいるのだろう?
神奈川宿遊学セミナーという、区内で歴史を通したまちづくりの会の代表者に電話で尋ねてみた。
「当たり前のようにデタマチと言いますね。でも日常の生活ではあまり縁がない所というか、別世界というか…」とのことだった。

出田町ふ頭は、京急の子安より一つ横浜寄り、神奈川新町駅を降り、国道15号を渡ってすぐが入口だ。
駅の横の公園でゲートボールをしていた団体に聞いてみた。
「デタマチですよ、デタマチ」と一斉に返事が。
 


「俺なんかここで生まれ育って80年だ」(右側の男性)


「デタマチは、講和条約が成立するまで進駐軍に接収されてたんだよ。黒人がたくさん駐屯していたね。その後は、あそこはクレーンがないから、果物とか小さい貨物のふ頭になったんだよ」
お二人の話をまとめるとこんな感じ。まさに生き証人だ。

しかし、ふ頭へ向かう道に、こんな道路案内標識を発見!! いったいどっちなんだ!?
 


「Izutacho futo」。国道15号線の上下線に2ヶ所ずつ掛かっている




最初にできたのは 町名のほうだった

そもそも出田町(いずたちょう)という地名はいつからあるのだろう。
先ほどの、市民局の一覧表にある「設置年月日」というのが町ができた日だ。
何をもって“できた”というかというと、“市報”つまり市が発行する正式な広報物に、町ができたことが公示された時。
町名は、よみがなも含め初めて町名として登録される。

そして、なぜ、出田町という町名になったか。
 


神奈川区役所のHPより抜粋
http://www.city.yokohama.lg.jp/kanagawa/kusei/profile/town-01.html#A3


イズタは、人名だったのだ。出田さんは、千若町の先の海を今のふ頭の1/3の広さほど埋め立てたようだ。
この出田孝行氏、のちに日立造船の社長・会長になった人物だ。
でも、出田町の埋立てが完成した頃には横浜鉄工所という社名はすでになく、内田造船所に改称し大阪鉄工所(今の日立造船)に買収されていたため、この場所で操業していた形跡はない。