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「元町」は昔、「元街」と書いていた?

ココがキニナル!

元町は自分が幼少のころは元街と書いてたと思います。元街小学校がそうですね。いつから元町となったのでしょうか?神戸市の元町とカブると思うのですが...。(伴 俊作さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

元町は、その町名が出来た時からずっと「元町」という文字が使われており、途中で表記が変わったことも無いようだ。

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ライター:橘 アリー

元街小学校に聞いてみた



横浜市立元街小学校は、1873(明治6)年の4月に三致学舎と明衛学舎が開設されたのが始まりで、同年8月にその2校舎を合併して元街学校となった。

その後、学校の名前は、1940(昭和15)年に横浜市元街尋常小学校と改称、翌年に横浜市元街国民学校と改称、1947(昭和22)年に横浜元街小学校と改称され現在に至っている。

創立以来、“街”の文字が使われているようだ。
 


元街小学校の門のプレートの文字


さっそく学校に伺い、なぜ、“街”という文字が使われているのか聞いてみた。すると「学校の名前について言い伝わっている諸説はあるようですが、文書として正確なものが残ってはいないので、学校としては正確ではない話しをすることは出来ないので、申し訳ありませんが、分かりませんとしかお答できません」とのことだった。

とても丁寧に対応して下さったが、このまま「分からない」で終了するのではスッキリしない。周辺にお住まいの方から手掛かりを得ようと、元町商店街から元街小学校へ向かう途中にあった生花店で聞いてみることに。このお店、「創業明治6年」という看板を掲げているのだ。
 


明治6年は、元街小学校の創立と同じ年である
 

「宮崎生花店」の外観(大正12年建築)
 

4代目のご主人の宮崎弘一さん


今年74歳になられるという宮崎さんも、元街小学校のご出身だそうだ。
ペリー来航後から4代に渡ってこの場所(元町)に住んでおられるそうで、元街小学校の名前は、ずっと“街”という文字が使われていて、それが当たり前だと思っていたという。地域では特に不自然には感じていないそうだ。
肝心の、“街”の文字が使われている理由は、分からないとのことだった。



学区が理由だった!?



最後の望みをかけて伺ったのは、前出の「横浜元町一四〇年史」を編集した、大澤秀人さん。
 


大澤さんは、元町自治運営会の理事をされている方だ


ここで、やっと一つの可能性と出会えた。
大澤さんによると、元街小学校が“街”の文字を使っているのは、この小学校に通う生徒の学区が、元町だけではないからだそうだ。

元町以外の、山手町・石川町・麦田町などの町内からも生徒が通ってくるので、「元町小学校」という名前にするのはおかしいのではないか、ということになり、では、町を外して「元小学校」ではどうかという話しもでたが、それも変だということに。そこで、“町”の代わりに“街”の漢字を使って「元街小学校」という名前が付けられたそうだ。

そして、地元では、小学校の名前以外で「元街」の文字を使うことがあるのか聞いてみたが、それは無いそうだ。



まとめ



神戸の元町の名前の由来についても、電話で取材してみた。
神戸市中央区役所の「まちづくり推進課」によると、記録が残っていないので正確では無いが、神戸が開港して他の場所からたくさんの人たちが現在の元町の場所に住むようになったのだが、その場所は開港前から町があった(元々、町があった)ということで「元町」の名前がついた、という話があるそうだ。

記録が残っていないのは、どうやら横浜だけではないようだ。
取材をする中で、記録が残っていないという状況に行き当たる事はよくある。そんな時いつも思う、記録とは人々が生きてきた証しにもなるので、それらが少しでも後世に残されればと。


― 終わり ―
 

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  • 明治10年の改正橫濱分見地圖には、まだ元町という地名は見られません。諏方町、三輪丁、谷戸丁などとなっています。http://www.ris.ac.jp/library/kichou/lime/s010.html 中区のHPによると、元町という町名が制定されたのは、明治22年の市町村制施行時だそうです。一方、よく比較される神戸の元町ですが、神戸に元町という町名はありません。旧居留地の近くは町名でなくストリート名になっているので、「元町通」があります。こちらが制定されたのは明治7年の県令通達によってです。

  • 今はもとと読みますが、昔は「ほん」と読んでもいたようです。初期の横浜地図にホンムラストリートという英語表記があったりするので。

  • 元街小出身です。最初、元街小学校は元町小学校にしようとしたのですが、当時、町の名前を使うことに許可が得ずに元街小学校となった。という話を聞いたことがあります。

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