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かつて水上生活を営んでいた人たちの生活環境とは?

ココがキニナル!

古い人の話によると、横浜では昔、川の上に住んでいる人がたくさんいたそうです。いったいどんな生活環境だったのか気になります(MRハニーさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

水上生活者の実態は、ハシケと呼ばれる小舟を使った運送業に従事する者たち。ハシケの中に住宅を設けており、移動生活を送る者もいた。

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ライター:ナリタノゾミ

水上生活者の子どもたち(つづき)

もっとも、同校は1967(昭和42)年、25年間の歴史に幕を下ろす。その理由は、水上生活者の生活環境が向上したこと、そして、水上生活者が減少したことにあるという。
 


設立から閉校までの25年間に、約400人もの卒業生が同校を巣立った
(資料提供:日本水上学園)


1967(昭和42)年3月23日の神奈川新聞によると、同校で行われた最後の卒業式について、16人の卒業生の両親は千葉や東京方面へ運送に出掛けているため、式に姿を現さなかったとし、さらに、その様子が「水上学校らしい光景」だったと記している。
 


沖から戻ってきた両親が子どもたちと数日ぶりに会う光景
(資料提供:日本水上学園)


なお、同校は水上生活者の子どものための学校としてはその役割を終えたものの、学校部門は学校法人「聖坂養護学校」へ、宿泊部門は児童養護施設として社会福祉法人「日本水上学園」へと引き継がれ、現在に至っている。
 


現在の聖坂養護学校にて




水上生活者たちの住環境

さて、水上生活者の住環境にも、さまざまな形態があったようだ。

田中さんは、当時通っていた市立石川小学校での出来事を語ってくれた。
「学校で家庭調査票の記入を求められたとき、ハシケに住んでいた同級生の女の子の家が『社宅』に分類されていて、すごく驚いたのを記憶しています。その子の家は、お父さんの勤めている運送会社から手配されているハシケだったようです。そのハシケは岸壁に固定されていて、内部には電気も通っていました」

どうやら、住宅用と、運送専用とでハシケを分けて使う者もおり、その中には、ライフラインの整った環境で生活を営んでいる者もいたようだ。

一方で、松橋さんによると、水上学校に通う児童の住環境については、「住所も定まっていないし、電気も電話も通じていない環境だったから、当時は家庭訪問するにも全く連絡が取れない状態だったそうです。『〇日△時に、だいたい××あたりに停泊してる』などのように約束を取り付けて訪問していたみたいです」とのこと。
 


昭和の木製のハシケ。物干し竿が設置され、水上生活者たちの洗濯物がひるがえる
(資料提供:日本水上学園)
 

山下ふ頭にて。現在のハシケは鉄製


また、田中さんと今井さんは、「今考えると、とても危険だけど・・・」としながらも、幼少期、中村川に停泊しているハシケの中でよく遊んだという思い出話をしてくれた。積荷を降ろしてしまったハシケの中は、中村川周辺の子どもたちにとって、格好の遊び場だったそうだ。

当時の記憶によると、住宅と運送用を兼ねているハシケの内部は、次の画像のように、多くのスペースを積荷用に割いており、住宅スペースは船尾のわずかな部分だったそうだ。
 


住宅と運送用を兼ねているハシケの間取り図