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鎌倉時代に活躍した武将たちの熱い思いに触れる旅、はま旅Vol.111「南万騎が原」編

ココがキニナル!

横浜市全駅全下車の「はま旅」第111回は、相鉄いずみ野線「南万騎が原」の旅。鎌倉時代に活躍した武将たちの熱い思いに触れた。

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ライター:ナリタノゾミ

相模国と武蔵国の境

案内板をたどりながら、立派な造りの家屋が並ぶ坂道を上る。
 


「次の角を左へ」との案内


住宅街の角を曲がると、街の様子は一変して、ゲンジボタルが生息するという大自然へ突入する。この見事なコントラストが、地域住民を魅了しているのだろうか。
ジョギングやウォーキングに励む人たちとすれ違った。
 


住宅街の角を曲がると、すぐに大自然が現れる
 

街の表情が一気に変わる


緩やかな山道を引き続き東に向かって上って行くと、間もなくして「武相堺道」という案内板を発見することができる。

同案内板の裏に伸びる細い尾根道は、かつて武蔵国都筑郡二俣川村(現在の旭区南本宿町、大池町、柏町)と相模国鎌倉郡中川村(現在の戸塚区名瀬町、泉区緑園都市)の国境であった(案内板より)。
 


武蔵国都筑郡二俣川村と相模国鎌倉郡中川村の国境であったことを説明する案内板
 

国境となった細い尾根道


かつて、この尾根道は現・戸塚カントリークラブ前まで続いていた。鎌倉時代にはそこから遠く鎌倉の都を望むことができたため、「都(みやこ)塚」と呼ばれたそうだ。
頼朝の重臣として武蔵国の総検校職(けんぎょうしき)を務めていた畠山重忠も、都塚から鎌倉の都を望むことはあったのだろうか。
 


案内板の脇に設置されている道しるべ。1988(昭和63)年に復元されたものだ


鎌倉時代に思いを馳せ、畠山重忠がなぜこの土地で滅びたのかに関心が高まってきたところで、駅前で撮影した地図看板の写真データを確認し、歴史的スポットをチェックする。
どうやら、南万騎が原駅へ迂回して戻るルートを取れば、道の途中に「重忠遺烈碑」というものがあるらしい。
とりあえず、そこを目指してみよう。
 


園内の住人


その前に、しばしの休憩をとることに・・・。
園内のピクニック広場にて、弁当を広げる。
 


テーブルとイスが設置されている。食事や読書を楽しむ人の姿が見受けられる
 

なお、弁当を購入した店舗の取材は、残念ながらNGであった
 

食べている途中で折れた箸。心まで折れそうであったが、弁当は美味しくいただいた
 

園内の住人(その2)