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江戸時代に戸塚の名物だったという「うどん豆腐」って何?

ココがキニナル!

江戸時代、戸塚宿の名物に「うどん豆腐」というものが有ったと聞きました。東海道五十三次の名物番付に載っていたとか。これは一体どんな食べ物なんでしょう?ぜひ調べて下さい。(パルちゃん)

はまれぽ調査結果!

資料にない幻のメニューかと思われたが、江戸時代の名著『豆腐百珍』に載っていた。うどん豆腐とは、豆腐を細かくうどんのように切ったものだった。

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ライター:永田 ミナミ

『東海道五十三次繁昌記』の向こう側へ

調べてみると、中村地図研究所は見つからなかったが、中村静夫氏の情報はウィキペディアに載っていた。しかし、教授を務めているという大妻女子大学に電話してみたが、在籍していないという回答。さらに所長であるという都市・地域総合研究所とインターコミュニティ研究所は存在を確認することができなかった。いったいどこにいるのだろう。

中村氏の謎は深まるばかりだが、手がかりが途絶えてしまった以上、目標を変えるしかない。追究すべきは中村氏ではなくうどん豆腐なのであり、今あるのは謎の中村氏が編集し「きぶね」のご主人が見せてくれた『東海道五十三次繁昌記』だけなのだ。

そこで、欄外に資料として挙げてられている『文化年間 京都叶屋板、東海道五十三次名物合』『天保年間 東海道宿村大概帳』を探してみることにしたが、見つかったのは後者のみ、そしていざ戸塚宿のページを開いてみると、それらしい記述は「一、農業之他旅籠屋ハ旅人の休泊を請、又は食物を商ふ茶店有之、其他諸商人有之、(農業のほかは旅館が旅人の休憩や宿泊を受け入れ、また飲食業を商う茶店があり、そのほかさまざまな商人がいる)」のみだった。
 


内容を期待するには充分な堂々たるフォントだったので、虚しく天を仰いだ


いよいよ万策尽き果てたかとも思いかけたが、そういえば「きぶね」のご主人は「上流社会の食べ物だった豆腐が江戸時代に庶民にも普及して、そのころにいろいろと食べ方を試しているなかで、豆腐を細く切ってうどんのように食べてみたのではないか」と推測していた。当時は木綿豆腐が主流だったとすれば、細くしてもある程度切れにくかったのでは、とも言っていた。そうか、豆腐の歴史だ。

そう思った瞬間、頭のなかを閃光のように『豆腐百珍』の文字が駆け抜けた。江戸の庶民文化に興味があってちょくちょく調べていた学生時代にタイトルだけ見たことがあった『豆腐百珍』が、突如として記憶の底から、まるで冷水のなかを浮かびあがってくる純白の豆腐のように蘇ったのである。

 


そして「百、真のうどん豆腐」


1782(天明2)年に発行された『豆腐百珍』とは、醒狂道人何必醇(せいきょうどうじんかひつじゅん。料理人ではなく篆刻家の曾屋学川<そやがくせん>であるという説が有力だが、複数の文化人が共著したという説もある)によって書かれた、100種類の豆腐料理とその作り方を紹介した本である。『豆腐百珍』はベストセラーとなり、『豆腐百珍続編』『豆腐百珍余録』などの続編も出版された。
 


右は実際に作って食べるところまでやっている(『豆腐百珍』新潮社)

 

田楽は江戸時代、最もポピュラーだった食べ方のひとつだったようだ(『料理百珍集』:八坂書房)※クリックして拡大


さっそく入手した『豆腐百珍』を開き、「うどん豆腐」か、あるいは似たようなメニューが載っていないかとページをめくっていくと、17番目に「ぶっかけ饂飩(うどん)とうふ」を発見。記者は出来たての湯豆腐を頬張ったときのような快哉(かいさい)の叫び声をあげた。
 


「ぷつかけ」はオリジナルの誤植らしい。そして興奮はそれだけでは終わらなかった
※クリックして拡大


解説冒頭に「100 真のうどん豆腐よりは」とある。ま、まさか・・・一気にページをめくると、やはりそうだった。百珍の百番目、トリを努めるのが「うどん豆腐」だったのである。
 


記者はちょうどいい温度の湯豆腐を頬張ったときのようにうっとりと目を細めた※クリックして拡大


『豆腐百珍』は「尋常品(126)」「通品(27~36)」「佳品(3756)」「奇品(5775)」「妙品(7693)」「絶品(94100)」に分かれている。7品しかない「絶品」の最後が「うどん豆腐」であるのを見ると、当時はそれほどに人気のメニューだったのかもしれない。
 


再現された「うどん豆腐」たち(『豆腐百珍』:新潮社)※クリックして拡大

 


取材を終えて


今回、残念ながら戸塚と「うどん豆腐」の関係を示す資料は『東海道五十三次繁昌記』以外に見つけることができなかったが、どのような食べ物だったのかは突き止めることができた。うどん豆腐は「きぶね」のご主人の想像どおり、豆腐を細くうどんのように切ったものだった。

ちなみに豆腐が庶民の間で日常的に食べられるようになったのは江戸中期で、絹ごし豆腐は、今も台東区にある「笹乃雪」で元禄期に作らたのが最初という。新潮社版『豆腐百珍』では絹ごし豆腐を使っているが原典に指定はない。木綿豆腐だった可能性もあるだろう。


切り方の説明には、心太の突き出しを使うのもよい、とある。興味のある方は試してみてはいかがだろうか。
 


『豆腐百珍続編』には新商品「豆腐専用突き出し」が発売されたという情報も※クリックして拡大



―終わり―

 
京うどん きぶね
電話/045-821-0655

住所/横浜市戸塚区平戸2-31-3
営業時間/12時~20時 定休日/月曜日

参考文献
児玉幸多校訂『近世交通史料集4 東海道宿村大概帳』吉川弘文館(1970)
原田信男校註・解説『料理百珍集』八坂書房(2009)
福田浩・杉本伸子・松藤庄平『豆腐百珍』新潮社(2008)

  

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  • きぶね、は東戸塚からならバスで平和台に出ると近いですよ。

  • テレビで紹介されていましたが 茂蔵という大豆製品のお店で 「滝川とうふ」という名前で販売されているようです。豆腐をうどんのように ところてん突きで細長くして めんつゆなどもついていて 105円でした。弘明寺商店街のなかにもこのお店ありました。

  • おや、豆腐百珍の写真が拡大できるようになってる!?なるほど、新鮮な豆腐をとにかくあっつあつで食べることが、うどん豆腐の醍醐味ですか。この手間ひまが、衰退した原因かも知れませんね。現代ならIHコンロとかで簡単に出来そう。豆腐百珍のトリを務めるほどのものなのだから、リバイバルさせたらヒットするんじゃないでしょうか?

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