戦後、一世を風靡したバンドホテル。その跡地は?
ココがキニナル!
山崎洋子さんの小説「横浜幽霊(ゴースト)ホテル」のモデルはたしかバンドホテルだったとか。もうバンドホテルはないですが、跡地はどうなっているのでしょうか?(ナナさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
1999(平成11)年、バンドホテルは70年の歴史の幕を閉じた。その跡地は現在、「MEGAドン・キホーテ山下公園店」になっていた!!
ライター:大和田 敏子
バンドホテル閉鎖、そして今の姿は?
高度経済成長、オイルショック、バブル経済とその崩壊という中、ホテルから客は次第に遠のいていった。さらに、ホテルの前に高速道路の高架が立ちはだかって、海の見える景観が完全に遮られたことが大きな打撃となる。1999(平成11)年、バンドホテルは70年の歴史に幕を閉じた。
バンドホテルは閉鎖直後に取り壊された(写真提供:森日出夫)
現在は「MEGAドン・キホーテ山下公園店」が建っている。ドン・キホーテは繁盛しているようだが、バンドホテルの歴史を知ってあらためて眺めると複雑な思いが込み上げてくる。
MEGAドン・キホーテ山下公園店
ドン・キホーテの屋上に上ってみた。高速道路の高架が目の前を遮り、海はほとんど見えず、バンドホテル全盛当時の景観を想像するのは難しい。
ドン・キホーテ屋上から。当時の美しい景色は想像しづらい
別方向に目を向けると、マリンタワーやニューグランド、遠方にみなとみらいのビル群が見える。バンドホテルの窓からは、長い歴史の中で変わりゆく横浜の景観を眺めることができたのだろう。
ドン・キホーテ屋上から。こちら側は横浜らしさのある景色
ドン・キホーテの隣には、「HONKY TONK」という看板のあるビルがあった。文字のスタイルが写真で見た「BUND HOTEL」に似ている気もするし、ツタのからまる建物は、かなり年代物のようだ。
「バンドホテルと同時期のものだろうか?」と、ビルのオーナーにお話を聞いたところ、ここは40年ほど前の建物とのこと。ビルが建った時には、すでにバンドホテルはあって、芸能人が多く訪れるという評判も聞いていたという。
バンドホテルのあった場所の隣のビル
周辺にバンドホテルの名残りがないかと探してみたが、残念ながら、何も見つからなかった。1970~80年代、大人の憧れの場所だったというバンドホテル。その形跡はなくなっても、人々の記憶には深く残っているに違いない。
取材を終えて
バンドホテルの調査のために、市立図書館や横浜市史資料室を訪ねたが、資料の少なさに驚いた。
一時代、娯楽・文化の先端的存在だったバンドホテルについて、公の資料がほとんど残されていないことを残念に思う。1970~80年代の横浜に対する興味が募る取材となった。
―終わり―
参考文献
「ランドマークが語る神奈川の100年」読売新聞社横浜支局編(有隣堂)
「横濱」YOKOHAMA 2005年秋号 Vol.10(神奈川新聞社)
ハマっちさん
2016年10月13日 21時36分
90年代に3度ほど宿泊したことがあります。 当時、磯子区の住居を引き払い、他県に越していましたが横浜に遊びに来るときには好んで「バンドホテル」を利用したものです。 全盛期の様子は知りませんが、ノスタルジックで、ちょっともの悲しい雰囲気がお気に入りでした。 今後も利用したいと思っていたので99年の閉鎖はショックでした。 これも時代の流れなのでしょうかねェ・・・それにしても、宿泊しておいてよかったな。 ホントにそう思います。
さすらい日乗さん
2014年10月11日 11時29分
『別れのブルース』のホテルは、本牧の「ちゃぶ屋」のことです。戦前は、本牧の埋め立てはなくすぐに海岸だったので、窓を開ければ港が見えたのです。清水宏の映画『港の日本娘』などに当時の風景が出てきます。
おぉ。さん
2014年07月16日 00時15分
シェルガーデンで月に1度必ずライブをしてました。バンドホテルは、サザンの歌にも出てきますよね。趣のあるホテルでしたよ。でも、ドンキになっていたなんて………ショックです。