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かつて伊勢佐木町と馬車道にあったマルイは忘れられてしまった?

ココがキニナル!

昔、イセザキモールと馬車道にマルイがありましたが、誰も信じてくれません。開店・閉店の時期や、なぜ皆の記憶から消えたのかキニナル。(みゆみゆさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

伊勢佐木町は1965年開店1999年閉店、馬車道は1980年開店2000年閉店。2店舗展開の経緯は未詳だが、30代以上なら覚えている人は結構いるはず。

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ライター:永田 ミナミ

イセザキモール1.2st. にて

(つづき)

さて加藤さんの話に戻ると、当初、イセザキモールの丸井ビルは現在のものより小さかったという。現在のビルは高島屋ストアーと丸井のクレジット、そして博雅亭(はくがてい)の3つのビルを解体して建てられたものだそうだ。
 


このような感じに並んでいた中小のビルを取り壊し現在のビルが建てられた
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高島屋は撤退し西口に移転したのだろう。古い資料には、高島屋と旧ロゴマークのマルイが写っていた。
 


「たそがれの伊勢佐木町通り」。残念ながら撮影年は不明
(提供:横浜市中央図書館所蔵 提供)


また、1966(昭和41)年発行の「横浜市中区商業名鑑」掲載の地図に「丸井のクレジット」を見つけることもできた。
 


このころもまだ「丸井のクレジット」(横浜市中央図書館所蔵)
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この地図に現在の丸井ビルを重ねてみると、こういった感じになる(横浜市中央図書館所蔵)
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「商業名鑑」に丸井横浜イセザキ町店の広告も発見(横浜市中央図書館所蔵 提供)
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ちなみに地図の黄色部分は現存する店舗である。松坂屋の閉店でさまざまなことが言われているが、加藤さんによるとイセザキモールは現在でも平日1日で3~4万人、週末や休日は5~6万人の人手があるというから、移り変わる時代のなかでもまだまだ活気を失っていない。
 


埋立て前の伊勢佐木町
  

空襲後の伊勢佐木町。開港から戦争、接収を経て、町の表情はさまざまに変化してきた


加藤さんによると、当時はマルイもイセザキモールの一員としてイベントなどにも積極的に参加し、一緒に商店街を盛り上げていたという。また当時、松坂屋とは斜向いで近接していたが、松坂屋は40~50代、マルイは10~20代と客層も自然と住み分けができていたそうだ。
 


事務所には野澤屋(のちの松坂屋)屋上から羽衣町方面を撮影した写真も。厳島神社が見える
 

現横浜市役所が建設中であることから1957(昭和32)年ごろの撮影か


豊富な資料を見せていただき、興味深い話も聞かせていただいて外に出ると、ちょっとタイムトリップしたような感覚になった。そしてその感覚のまま、マルイに隣接していた「ワールドフーズいせ一」にも話を聞いてみることにした。