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戦争の記憶を後世に。横浜大空襲体験者が戦争の悲惨さを語る

ココがキニナル!

5月29日に行われた「横浜大空襲祈念の集い」はどんな様子だったのかキニナル!(はまれぽ編集部のキニナル)

はまれぽ調査結果!

毎年5月29日に開かれる横浜大空襲を語る集い。今年も、何人もの空襲体験者が当時の惨状を語り、会場には涙する人もいた

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ライター:松崎 辰彦

“嫁入り前の娘が見ちゃいけない”


やがて行き着いた東神奈川は、燃え盛っていた。前も火の海、後ろも火の海。(どうしよう…)どこにも人はおらず、彼女は当惑した。

「ネエちゃん、そんなところにつっ立っていたら死んじゃうぞ! ハンカチでもなんでも水に濡らして、口にくわえて、そこを這いずって通り抜けなきゃだめだぞ!」

立ち尽くしていた彼女に、赤いハンテンを着た消防団のおじさんが声を掛けた。おじさんのいうようにハンカチを濡らしてくわえて、そこを通過した。

その後どこをどう歩いたか──やがてわが家の近くまできたが、彼女は“家のすぐ前には消防署があるから大丈夫”と思っていた。近所の川までたどりつくと、ようやく一人の男性を見つけた。

彼は声をあげた。

「ネエちゃん、だめだ、そんな川の縁(ふち)なんか行っちゃ! そこにはいま死人が・・・人が埋まっていて、そんな姿をお嫁入り前の娘が見ちゃいけない」

──空襲時、付近の人は逃げ場がなく、川に飛び込んだのだが川面に油が浮いており、そこに火が点(つ)き燃え広がって、人々は焼け死んだのだった。
 


川の水は熱湯になったという。写真は黄金町

 


一番苦労するのは市民



ようやくたどり着いたが、頼みの消防署は焼けており、実家も焼けていた。呆然と立ち尽くしていると父が出てきた。

「元気で帰ってきたか、よかったよかった。この通り、きれいに焼けたけれど、裸になったから、これから鞭打って、戦うことができるんだ。人間裸になればなんだってやれる。一生懸命アメリカが来ようが何が来ようが、立ち向かって行けるんだ」

そういう父親の言葉に励まされた。
 


テレビも取材に訪れた

 
彼女の下に兄弟姉妹6人。幸いだれもケガをしなかった。焼け焦げたトタンを集め、なんとか住む所を作り、そこで何ヶ月も寝起きをした。

着るものなど当然なく、食べるものに苦労した。焼け焦げたお米を口にしたが、とても食べられるものではなかった。しかし、お粥やおじやにしてどうにか食べた。

食べ物の買い出しで戸塚に行ったとき、帰ろうとしたら、農家のおじさんが「いますぐ駅へ行ったらダメだよ。手入れが入っているからとり上げられちゃう。ここをまっすぐ行けば横浜へ帰れるから」と助言した。

関戸さんはいわれたとおりに戸塚から保土ケ谷を通って歩いたが、旧東海道と新東海道の入り交じったところに差しかかると、角に交番があった。警官が彼女を見咎めた。

「オイオイ、背負っているのはなんだ」「サツマイモです」「下に降ろしなさい」
降ろされたサツマイモを見た警官はいった。

「これは統制物資(自由販売が許されていないもの)であることを知っているか」
「知っています。けれど、うちは兄弟が多いんで、これを持っていかないと妹たちが食べることができないんです」

そういって泣いてしまった。警官も困った。

「なんで交番の前を通るんだ。私がむこうを向いているから、裏から逃げなさい。もう交番の前を通ってはいけないよ。なるだけ人出が少ないところを通ってうちに帰りなさい」

そのまま黙って見逃してくれた。家にたどりついた彼女は、また泣いてしまった。
 


“私がむこうを向いているから、裏から逃げなさい”

 
そうまでして家族を養った彼女だったが、終戦三日前には妹を栄養失調で亡くした。遺体を焼こうにも、薪を20束持ってこなければ焼けないといわれ、当惑した。仕方なく土葬で葬ったが、人形から着物を剥いで、着せてやった。

「平和になったらいっぱい着物を着せてやるから我慢しろよ」と父はいった。

このように筆舌に尽くしがたい体験をした関戸さんも17歳で結婚し、子どもも生まれた。そして自分の戦争体験を小学校でも話すようになった。彼女はいう。

「今日あたりでも国会で討論していますが、あの人たちは戦争の苦労なんかなんにも知らないんです。一番苦労するのは下で働く兵隊さん、市民なんです。もうあんな思いは二度としたくない、戦争はしてはいけない。
・・・これで終わりにしたいと思います。ありがとうございます」