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かつて田んぼだらけだったころの新横浜について教えて!

ココがキニナル!

新幹線が通る前の現在の新横浜駅周辺は人口の少ない湿地帯だったと話には聞きますが、実際にはどうだったのでしょうか?(機野さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

新幹線開通前、新横浜駅周辺は湿地帯で人口も少なかった。駅開発に関しては、湿地帯だったがために起きた政財官を巻き込む汚職事件もあった。

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ライター:三輪 大輔

政財界を巻き込んだ汚職事件とは?



「もし新幹線の駅ができるとなれば、辺りの土地は一気に高騰するでしょう。そこで、新横浜駅建設の発表がある前に土地を抑えてしまおうと考え、大阪の土地ブローカーを名乗る男がやってきます。これが、横浜市の職員も絡む、大汚職事件に発展していきました。時の運輸大臣は佐藤栄作、衆議院議長は西武グループ創立者の堤康次郎です」

ここで岩田さんの話と『堤義明・闇の帝国』を参考に、この事件の詳細を説明したい。計画の全貌はこうだ。まず佐藤栄作と西武グループ創立者の堤康次郎のパイプ役となったのが「中地新吾」である。

運輸大臣である佐藤栄作は、もちろん新横浜駅建設の話は知っていた。その「政府発表前の情報」を、中地を仲介し、堤康次郎に売った。一方、堤は佐藤から仕入れた情報を元に、安値のうちに新横浜駅の土地を入手することを計画。そこで中地を利用して、大阪の土地ブローカーに仕立て上げ、新横浜駅一帯の土地を購入する。

 

中地が買おうとしていた新横浜駅前の土地の様子
(資料提供:横浜市史資料室/本田芳治撮影)
 

ちなみに勝負田の人々が、中地を信じるに至ったエピソードがある。地元の秋祭りの時、中地は2台の大型ハイヤーで登場すると、八幡神社と菊名天神にそれぞれ1万円の賽銭をあげたらしい。その姿を見た、ある土地の古老が「あのように敬神の志の厚い人なら信用できるだろう」と語ったという。

そうして1960(昭和35)年1月下旬には、54名の地主が3万7530坪を坪7000円で売ることを契約した(当時の大卒初任給が1万3000円~1万6000円)。しかしその後、7000円で売った土地は、国鉄に6倍以上の価格で買われることになる。この時、情報提供者の佐藤の懐にも、巨額の金が流れ込んでいたそうだ。

なお東京オリンピック前に新横浜駅は開業した。そして、東京オリンピックの後、佐藤栄作は内閣総理大臣となり、7年8ヶ月もの長期間に渡って政権の座につくことになる。

 

1963(昭和38)年に出版された梶山季之(かじやま・としゆき)の『夢の超特急』
 

「この事件を暴いた小説が、梶山季之(かじやま・としゆき)が『夢の超特急』です。『黒の超特急』というタイトルで映画化もされています。主演は時の人気俳優の田宮二郎でした」

この『夢の超特急』は小説というジャンルであるが、ほとんどノンフィクションであるという。週刊誌のトップを飾る記事を執筆して売る「トップ屋」であった梶山季之が、何人もの調査員を導入し、入念に調べ上げて執筆をしたそうだ。

新横浜駅周辺が湿地帯だった故に起きた事件。その事件に関連した場所が、現在どのようになっているか、早速現地に見に行ってみることにした。



新横浜に残る湿地帯だった名残とは?



新横浜駅に降り立ったが、ここが元々湿地帯であったとはにわかに信じられない光景が広がっている。横浜アリーナや日産スタジアムなどの娯楽施設も多くあり、この日もたくさんの人でにぎわっていた。

1985(昭和60)年には横浜市営地下鉄が開業し、当初は「こだま」しか停車しなかった新幹線駅にも「ひかり」が停車するようになり、交通の要所としての地位を確固たるものにしている。

 

現在の新横浜駅の駅ビル
 

まずは、博打で使用された田んぼ「勝負田」が広がっていた駅前の新横浜2丁目近辺に行ってみることにした。

しかし現在、田んぼであったような名残は何もない。利用価値のなかった田んぼが広がっていた地域は、新幹線や近代的な歩道橋に生まれ変わっている。唯一の名残と言えば、駅前にパチンコ店が営業をしていることくらいかもしれない。

 

勝負田と呼ばれていた新横浜駅前の地域
 

ビルが立ち並び「勝負田」の面影は全くない
 

また、中地新吾が1万円のお賽銭を放った篠原八幡大神は、港北区篠原町に現存している。ここは新幹線の開通前後まで、陸生のホタルが生息していたらしい。新横浜駅から観音寺方面を通って神社へ登っていく途上に、餌となる湿地を好む貝類がたくさんいたからであったそうだ。これも湿地帯であったが故に見られた光景であったのだろう。

 

湿地を好む貝類がたくさんいた観音寺周辺
 

新横浜の街並みが一望できる篠原八幡大神