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横浜「1000ぶら」商店街探訪vol.51 藤が丘商店会で「汁まつり」!? 冬の到来を前に温まるもの探し!!

ココがキニナル!

横浜「1000ぶら」商店街探訪vol.51 藤が丘商店会で「汁まつり」!? 冬の到来を前に温まるもの探し!!

はまれぽ調査結果!

Revive-Recipe TENZOにてフレーバー甘酒と大根カツを、MAGUではマグカレーミニを購入。心も身体もしっかり温まることができた!

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ライター:福原 麻実

藤が丘商店会の魅力に迫る!


 


ここだ!(実は結構歩いて探し回った・・・)

 
こちらが副会長の三好寛朗(みよし・かんろう)さんが営むみよし治療室。開院から14年だという。出身も藤が丘だが「まさかここ(藤が丘)で開業することになるとは」とおっしゃった。
 


こちらが三好さん。とても面白い方だ
 

院内はきれいで明るい

 
そんな三好さんが開院の場所に藤が丘を選んだのは「開業するなら東急沿線と決めていて、全駅見て回ったところ、藤が丘は実はすごくきれいな街なんじゃないかと。東急線沿線はどこも瀟洒(しょうしゃ)ですが、駅前がこんなにきれいな街はあまりないし、鍼灸院もほかになかったし」という理由だそう。
じっくり選んだ結果が生まれ育った街だったというのは、なんだか素敵だ。
 


確かに駅前がとてもきれい
 

こんな穏やかな駅前はなかなかないと思う

 
藤が丘という街は50年くらい前に生まれ、三好さんのご両親の世代が住民の第一世代になるという。それまでは「人間よりタヌキやハクビシンが多い」街だったのだそうだ。
それが今では駅前にファミリー向けのマンションがたくさん建ち、小さな子どもも多い、住民の年齢層の幅広い街になったのだ。

藤が丘商店会が、お店の点在している「商店会」であることについては「東急田園都市線が商店街を形成する前提で街づくりをされていない」とおっしゃった。
田園都市線の開発が始まったのが1968(昭和43)年、日本ではスーパーマーケットがチェーン化を進めていたころだ。
 


スーパーの存在が当時の街づくりの前提だった(写真はフリー素材より)

 
「住民に生活必需品を供給する拠点が、商店街のような小売店からスーパーマーケットに移行する時期と田園都市線開通の時期がクロスしている」と三好さんは話してくださった。
そんな中で、自ら買い付けに行く酒屋さんや、着物を着る機会を作る着物屋さんなど、小売店は目端を利かせて(その場に応じて機転をきかせて)いろいろ頑張っているのだとも。
 


イベントを始めたきっかけって?

 
そのような事情を抱える藤が丘商店会の「汁まつり」。なぜこのようなイベントを? と尋ねると「もともと商店会は昔からあるけれど、住民さえ商店会の存在を知らないという状況だったので、まずイベントをやって商店会を認知してもらおうと。それがトレーニングになって、会員が各自で頭や身体を使って動き始めるはず。そう思ってスタートしたところです」との答え。

それが、汁まつりなんですね、という筆者の感想に三好さんはこう続けた。
「アベノミクスの影響で2014(平成26)年から始めました。政府が地域活性化を掲げていたでしょう。それで藤が丘商店会としても何かやろうということになったので。ちょい飲みをやれという声もありましたが、ここはそんなに居酒屋がないんですよ。で、あれこれ考えてたら、だいたいスープはあるだろうと。あそこはあら汁がある、フレンチもスープがある。そばもスープだし、ラーメンもスープだし、喫茶店だったらカレー・・・と。だから汁まつりにしたんですよ」
 


「スープ」ではなく「汁」だからこその何でもアリ感(写真は公式Facebookより)

 
ほかにも「FCC(藤・カルチャー・カフェ)」など、商店会をあげたイベントを定期的に行っているそうだ。

これは商店主が講師となって、自らの専門知識を講義するイベントで、藤が丘商店会の飲食店を会場にするのだという。

時計屋さんによるキットを使った時計作りワークショップをパンケーキのお店で行う。公文式の教室で算数の話を聞き、上階のフレンチレストランのコーヒーとスイーツを味わう。そういった形で物や人をクロスさせる。これにより、講師役の商店主と飲食店のコミュニケーションや顧客の流動性が期待できるのだ。
 


これがFCCでどこかに出張することとか、あるのかな?

 
たくさんの情報をいただき、みよし治療室を後にする。どこか痛くなったらここに来よう。

既に夕方。次は先程のみよし治療室で教えていただいた酒屋さん「浅野商店」に行ってみることに。
 


こちらが浅野商店「酒のあさの」

 
お話を聞かせてくださったのは、浅野雅彦(あさの・まさひこ)さん。
 


この方、ビールは水とおっしゃった

 
浅野商店が開店したのは1967(昭和42)年。なんと学生のころにこのお店を始めたのだそうだ。どうして? という筆者の問いに、浅野さんは「田園都市線が走っていたからかな(笑)」と笑った。
ああ、なるほど! って、ちょっと待って、意味分からないです・・・。先程の三好さんもだが、藤が丘には面白い方が多いようだ。

当時の藤が丘は新興住宅地で、周囲には5~6件しか店はなかったそう。
「東急が開発し、東急の分譲する東急ホームに入って、皆さん東急バスに乗って勤めに行かれたんだよ」とどこまでも明るく話す浅野さん。東急電鉄の路線ができて、東急が沿線を開発し、東急不動産の販売する家にたくさんの人が住み、その方々は東急バスに乗って仕事に出かけたということだ。
商店会は1973(昭和48)年に生まれたのだという。浅野さんは商店会を作るのにも携わった。

多種多様なお酒が並ぶ浅野商店、当時は地酒を蔵元から買い付けて売るお店だった。
 


見たことのないお酒がたくさん
 

買い付けはスタッフ全員で行うという

 
日本酒だけで200~300種類ある中で、おすすめのお酒は京都の「まつもと」。最近蔵元が代替わりして激変し今後流行るのではという。
 


これが「まつもと」

 
梅酒だけでこの品ぞろえ、と思いながら梅酒の棚を見つめていると・・・、
 


同行していた宇都宮がやけに熱心であることに気付いた

 
どれくらい熱心だったかは、このお店で彼が撮影した45枚もの写真のうち、35枚が酒瓶で埋まっていたといえばお分かりいただけるだろうか。後で個人的に買おうと決めたのか、宇都宮は浅野さんに閉店時間を確認していた。

素敵なお店だった上、残金で買えるワインなどもあったが、残念ながらお酒の飲めない筆者は断念。

今度は三好さんと同じく商店会副会長の方のいらっしゃるトヤマ時計眼鏡店へ。
 


こちらの建物の3階がトヤマ時計眼鏡店

 
お話を聞かせてくださったのは副会長の外山高嗣(とやま・たかつぐ)さん。
「トヤマ時計眼鏡店が開店したのは昭和53年だ」という言葉に、宇都宮がやけに素早く「1978年ですね」と言ったので外山さんと一緒に驚いたが「僕、1979(昭和54)年生まれなので」だそうだ。
今ごろこの編集者の年齢を知った。次回会うころには忘れているかもしれない。
 


気さくで楽しい外山さん

 
外山さんは2代目。先代は鶴見区で働いていたが、そこから独立する形で藤が丘に開業した。

そのころは時計と眼鏡だけでなく宝石も扱っていたそうだが、建物を建て替えて3階に移ったと同時に時計と眼鏡の店になったそうだ。
 


こう並んでいると美しいなあ

 
最近は時計屋さんが少なくて、ベルトのサイズ直しや電池交換から分解修理まで多くのお客さんが来店するという。

商店会の人々について尋ねると、皆さん仲が良いそうで「夜中のテンションは男子の部室のようで女性は引くと思います」とおっしゃった。逆に興味深い気もする・・・。

外山さんは一級時計修理技能士、SS級認定眼鏡士の資格を取得されているとのこと。
 


よくわからないけど凄そうだなあ
 

時計に囲まれて時を過ごすのって不思議な感じ

 
専門店って今まであまり行かなかったけれど、専門家の存在は頼りになるのも事実。これからはそんなお店を選んでいきたいと思った。まして一生ものかもしれない時計や、視力を左右する眼鏡だし。

午後5時を過ぎ、寒くなってきた。残金で買える温かいものは・・・!


さあ、最後のお店、MAGUへ!