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閉店が決まった横浜の名料亭として名を馳せた「あいちや」の歴史とは?

ココがキニナル!

横浜駅西口にある日本料理店「あいちや」。あいちやさんの歴史や料理が気になるのでレポートをお願いします!/今月いっぱいで閉店するみたい。様子を見てきて!(maniaさん/5656さん/今宵月男さん)

はまれぽ調査結果!

後継者問題により、2016年1月に閉店が決まった料亭あいちや。建物、しつらえ、料理、器、書画、もてなしなど、全てに格の高さを感じさせる店だった

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ライター:吉澤 由美子

あいちやの歴史



「うちはもともとここで酒屋をやっていました。あいちやは母が母の姉と二人で始めた店です。創業したのは、戦後間もない時期。このあたりはまだ砂利道で、店から木造の横浜駅がよく見えたそうです。はじめは小上がりとカウンターだけの小さな店でした」

そのころは、まだ物資が不足していた時代。酒屋としての伝手(つて)があったことで酒を仕入れることができたため、この商売を選んだそう。
 


1955(昭和30)年の横浜駅西口(撮影:長谷川弘和、横浜市史資料室所蔵『横浜の空襲と戦災資料』)
 

1966(昭和41)年ごろ、当時の「あいちや」前で撮った写真。前列写真右から4番目が先代の女将(写真提供:あいちや)

 
「伯母が女将を、母が経理を担当していました。僕が小学校2年の時に父が亡くなったこと、伯母が生涯独身だったこともあって、母と伯母が二人三脚で育ててきた店なんです。今は、やはり独身の姉が女将を、僕が経営を担当しています」

戦後復興から高度経済成長により日本経済全体が上向くにつれ、店も大きくなっていき、やがて横浜の名料亭として政財界の大物にも愛される店になっていった。バブルがはじけ、接待に関して企業や官公庁が引き締めをはじめるまで、あいちやは華やかな社交の場だった。往時には連夜、迎えの黒塗りハイヤーが店の前にずらりと並んだそう。
 


あいちやで一番広い大広間。20人以上が集まる大宴会が数多く行われてきた

 
「昔、昨年は240日も通っちゃったよと笑っていたのは確か三菱ドックの方でした。東京からの常連さんも昔からかなり多いんですよ。東京で遊ぶと目立ちますが、横浜だとばれにくい(笑)。政財界や官僚の方にとって、横浜は気楽に遊びやすい場所だったのだと思います」

料亭では普通、客の求めに応じて接待用に芸者を呼ぶ。ところが、あいちやでは、多い時には30人ほど専属の女性を雇い、行儀作法を教え、三味線を習わせるなどして接客を行っていた。若くて躾の行き届いた女性がいる店はほとんどなかったため、これも人気を集める要因となった。当時としてはユニークで新しい方法だったそう。
 


1966(昭和41)年ごろの正月に店入り口で撮影した写真。左から3番目は岩井さん
(写真提供:あいちや)
 

廊下と部屋の間に次の間があることで、どんちゃん騒ぎをしてもほかの部屋に音が伝わらない

 
「今の閣僚でも、お若いころ、議員のお供でいらしていた方がたくさんいます。活躍されている姿を拝見すると、とてもうれしいですね。昔から変わらず通い続けてくださる方も多いんですよ」

バブルがはじけてからは、さすがに派手な使われ方をされることはなくなったが、昔から通ってくださっている方を中心に、お祝いごと、顔合わせなどおめでたい席で使われることが増えてきたという。

つい先日、サッカーの有名選手が所属するスペインのクラブチーム「FCバルセロナ」の選手も来店したそう。横浜を訪れる外国人にとっても、あいちやは日本料理の粋と共に、丁寧なもてなしを楽しめる貴重な店なのだ。
 


椅子とテーブルの部屋もある

 
では次に、こうした歴史に培われたあいちやの料理について見ていこう。



ミシュランで何度も星を獲得した料理



あいちやは、ミシュランで何度も星を獲得している。

できたてを間髪入れず客に提供できるカウンター中心の小さな店と違い、贅沢な空間をもてなしのひとつとしている料亭では、厨房から客の前に料理が運ばれるまで、どうしてもある程度時間がかかってしまう。そうした制約の中でミシュランの星を獲得するというのは大変なことだ。
 


料理長の西川宜孝(にしかわ・のぶたか)さん。あいちやで20年、味を守ってきた

 
出していただいたのは、前菜とお吸い物、お造り、蟹と蟹味噌の甲羅焼き。
 


運んでくれた知久さんは修行2年目の20歳

 
1月前半の時期にふさわしく、お正月を感じさせる華やかな前菜。
 


寿の文字が描かれたポチ袋には、あぶったカラスミが入っていた
 

入店5年で前菜を任されるようになった長崎さん

 
蓋を開けたとたん、ふくよかな香りが部屋いっぱいに広がるお吸い物は、焼餅が入った雑煮仕立て。
 


大根と人参の紅白、名を上げるにちなんだ菜、鴨に丸餅

 
お造りは刺身自体のおいしさはもちろん、ツマやケンなど全体のバランスが美しい。
 


翼を広げた器を活かして、お造りから鶴の顔が覗く

 
甲羅焼きは、器の下に炭があって、それで熱々を楽しめるようになっている。老舗の料理旅館でも余計な匂いが出てしまう固形燃料を使うのは珍しくない時代に、こうしたことができるのは、炭を活けられる器があるからこそ。
 


下に炭が活けてある

 
コースでは、これに焼肴、煮物、酢の物、食事、デザートなどがつく。

ほかに、小会席、しゃぶしゃぶ、フグ、そして昼にはお弁当のメニューがある。
 


お昼の小会席料理(左)とお弁当(画像提供:あいちや)

 
「料理に関しては、できるだけ余計な口出しをしないようにしています。出汁ひとつをとっても、いい素材をこれでもかとたっぷり使っていますよ。たぶん、よその店ではありえないくらい原価率が高いと思います」と岩井さん。

味見させていただいた料理はどれも、色合い、歯触りなどの食感、香り、味のすべてが吟味され、丁寧に仕上げられた逸品だった。



66年の歴史が閉じられる



この名料亭あいちやが、2016(平成28)年1月いっぱいで閉店してしまう。相鉄ジョイナスにあった支店の「分、あいちや」が閉店したのが2015(平成27)年7月。そして、あいちやの閉店を常連客が知ったのは2015年12月はじめ。「あとたった2ヶ月で閉店してしまうなんて」と惜しむ声が各方面から上がった。

「閉店を決めたことに関しては、後継者の問題が一番大きかったですね。僕ら夫婦には子どもがおりませんし、女将の姉は独身を通しています。僕が来年70歳。年も年ですし、そろそろのんびりしてもいい時期かなと」

そして、時代が変わってしまい、料亭という商売が難しくなっているのも事実。
 


柱がある部屋なので、印象的な照明を配して、空間をより贅沢に演出している

 
「それでもうちは、いいお客様に恵まれて支えられてきました。だからこそ、ここまで続けて来られましたし、うちを気に入って通ってくださっていた方には本当に申し訳ないと思っています。くそ真面目な母が1度も借金せずに育てた店ですし、僕も幸い借金することなく続けることができました。さんざん皆さんにお世話になって自分勝手な言い分だとは思いますが、惜しまれるうちに閉めることができて幸せだと思います」
 


2~3人のための部屋もこれだけゆったり。ここにも次の間が当然ある

 
仕事をやめて、これからどう過ごされますかとの問いには「若い時にかなり遊びましたから、今さら遊ぶのにも食指が動きませんし。女房孝行に船旅をしようかと誘ったら、温泉に行くくらいが一番いいわと言われて(笑)。とりあえずは、しばらくのんびりしようかと思っています」と答えてくれた。
 


とても控え目で笑顔が印象的だった岩井さん

 
もしかしたら、そのうち小さい店を出すかもしれないとのこと。それを楽しみに店を辞した。
 


振り返ると水引が華やかにかかった松飾りが見送ってくれていた

 


取材を終えて



横浜の名料亭、あいちやは、建物、しつらえ、料理、器、書画、もてなしなど、すべてに格の高さを感じさせる特別な店だった。
 


茶室のような天井など、細部に渡るこだわりが見て取れた部屋の数々

 
あの一等地で、1組にこれほどゆったりと空間を使うだけでも贅沢なこと。なくなってしまうのはとても残念だが、ここまで続けてきたご苦労も並大抵ではなかったと思う。
 


あいちやの看板に灯りが点るのも、残りわずか

 
そして、閉店が決まってなにかと忙しい時期に、快く取材に対応いただいたことに深く感謝したい。


― 終わり ―
 

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  • 田中家のように、いずれ復活するのでしょうか。良き伝統が一つ消えた気がします。

  • 土地が19億で売れて良かったです。これからはごゆっくりお休みください。長い間お疲れ様でした。

  • あいちやさん、無くなるんですか? 残念ですね。ドンキが有ってダイエーが有って、ハンズ有って人が、わさわさしている所を、過ぎたら、辺りの空気が違っていましたね。ハンズも無いし、今は静かになっているんでしょうね。

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