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戦後から残る鶴見線高架下の住宅の様子は?

ココがキニナル!

JR鶴見線の鶴見~国道駅間の高架下に住宅?があるのがキニナル。不動産屋でこういった部屋の賃貸情報も見たことが無く、分譲なのでしょうか?間取りや住み心地なども知りたいので調査をお願いします(イルカさん)

はまれぽ調査結果!

国鉄時代の賃貸契約の物件で、ほとんどが以前は店舗もしくは店舗兼住居であったもの。現在は、空き家もあるが、新規募集はしていない。

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ライター:小方 サダオ

高架下の住民や店主などに話を伺う

(つづき)

次に交差する国道15号線を越えて、「国道駅」の高架下に向かった。

 

国道15号線をまたぐ高架
 

このあたりは駅舎の通路の左右に建物が建っている
 

これまでの建物は、高架下の敷地とほぼ同じ面積の土地の上に建っていたが、ここでは、アーチ状の駅舎の下が通路になっているため、その両側の橋脚分と外側に張り出した場所の下に建物が並ぶ形になっている。

 

再び高架下に建物が建つ区間になる
 

そしてアーチ状の通路を進み、交差する車道を越した先には、再び高架下の土地を利用した建物が並んでいる。

 

古びた手書きの看板が印象的だ
 

トンネル内に作られた街のような独特の雰囲気がある
 

ここで高架の近くに住む初老の男性に話を伺うと「鶴見線は臨港鉄道から始まりました。1928(昭和3)年あたりに、この線路の工事が完了し、完成後高架下は商店街や住居になりました。しかし2~3年で流行らなくなってしまいました」

「戦時中は鉄道が空襲で狙われるというので、この周りの建物は壊され、住民は疎開しました。当時は、商店は統制されましたから、高架下のお店も商売をやめてしまいました。戦後再び始めましたが、数軒ほどの小規模なものになり、外に出来た生麦魚河岸通りの方に商店が並びにぎやかになりました」と答えてくれた。

 

高架下の建物(男性とのコメントとは関係ありません)
 

次に高架下の家に住むある人に話を伺うと「約50年前からここに住んでいるよ」と答えてくれた。

 

住宅内の階段
 

騒音と振動に関して伺うと「『住んだら都』だよ。また電車が来たか、といった感じで気にならなくなるよ」と答えてくれた。

そして後日、前出のEさんともに、そのお兄さんである岩森壮介(いわもり・そうすけ)さんが数軒借りている高架下の建物の一つを見せてくれることになり、伺うことにした。

 

気さくに取材に応じてくれた岩森さん
 

岩森さんが借りる住宅(画面左)に入れていただいた
 

岩森さんに、この場所に住むことになった経緯などについて伺うと「私の親は鶴見区の潮田(うしおだ)に住んでいました。戦争で疎開することになり、長野県の野沢温泉のほうに移り住みました。戦争が終わり、1947(昭和22) 年ごろ、JR横浜支社から土地を3コマ借り、建物は自分で建てて活版印刷工場を始めることにしました。この場所にした理由は、契約の面でほかの場所より借りやすかったからです。2階は住居で、私と妹と弟の5人家族で住んでいました」

 

以前印刷工場だった場所
 

「以前値上げの交渉がありました。住人は一緒になって『値上げ反対』を訴えましたが、バス会社の臨港バスなど大手の入居者はすぐに妥協しました」

「そして私たちだけは10年近く頑張りました。その後インフレで物価が上がりましたが、私たちは当時の安い値段で借りられています」

 

比較的急な階段
 

「国鉄時代は構造物を含めた地代契約でした。しかしJRになってからは『借地借家法』に基づく不動産貸借に変わりました」

「旧借地法」によると、借地人の土地を借りる側が契約を更新し続けることで、割安な地代で半永久的に契約が続けられる。このため、地主にとっては不利だった。そこで1992(平成4)年に新しく“契約期間の延長を拒める”制度などがある「借地借家法」が制定された。

「今はJR側の姿勢としては、高架下に新規に建物を建てるような場合は土地を貸さないそうです。収益上の問題よりも、鉄道線路の保守の問題からです。線路の下に人が住んでいない状態の方が、安全上好ましいのです」

 

台所と奥には風呂場になっている
 

2階のベランダ
 

「建物は12坪。2階部分に関しては2Kで、下は工場になっているため住居の間取りではありません。12坪で地代を月に2万2000円ほど払っています。この辺りの地代と比べると高いといえます」と答えてくれた。

 

押入れの中に高架の柱の部分が張り出している
 

建物の屋根は高架の線路部分だ
 

土地に合わせたため畳のサイズが合わず継ぎ足した部分
 

岩森さんは更地の土地から借りたという。高架下に建物を建築する時に難しかった点について伺うと「柱の劣化を招かないという条件がありました。建物の側面は柱に接地していませんが、天井部分は高架とくっついています。また2階の上には天袋があり、高さが1.5メートルくらいあります。全体的には3階建てを建てられる高さはあります」

「以前線路の配管からの水漏れがあり、押入れの中などにカビが生えてしまいました。さらに土地を返すときは建物を壊し更地にするという契約があります」と答えてくれた。

 

車両の短い列車用だったため、線路が急な角度で曲がっている(オレンジ矢印)
 

電車の音や振動と住み心地に関して伺うと「電車が来ても、寝ていて起きることはあまりありません。臨港時代は箱型の列車用の線路だったため、線路としては珍しく鋭い角度で曲がっています。しかし長い車両になり、以前脱線事故があったのでスピードが時速30kmに制限されました。ゆっくり走るようになり、音は大きくありません」

 

住宅の上を走る電車※クリックすると動画が再生します