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1972年の横浜市電全廃から45年、当時の姿でよみがえった保存車両の現状に迫る!

ココがキニナル!

市電保存館以外での車両の行先や現状は/交通安全センターの公園にあった電車は/久良岐公園横浜市電改修後のイベントや今後の計画は(よこはまいちばんさん/ねこぼくさん/fire_jiさん/D5000xさん)

はまれぽ調査結果!

市電保存館以外で横浜市電の車体が残るのは、久良岐公園、野毛山動物園など、全部で4ヶ所。そのほか3ヶ所で車輪のみを確認することができた

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ライター:紀あさ

ちんちん電車が泣いていた



2010(平成22)年12月27日、神奈川新聞の齊藤大起(さいとう・ひろき)記者は懐かしの市電車両が手入れされず無惨に野ざらしにされている状況を記事にした。

記事内で、他県での古い機関車の修復事例をあげ「ボロボロの横浜市電も『修復は可能』」、「街の記憶をこのまま野ざらしにしていいものか」と書いた齊藤さんは、その後ついに取り壊しの話が持ち上がった久良岐公園の1156号を前に「この車両を自分たちの手で直そう」と決意する。

ラストの車両はこの久良岐公園の1156号である。

 

修復前の久良岐公園の1156号(五十嵐匠さん提供)
 

「清掃や修理の担い手は行政に限らない」と記事に書いた以上、自ら責任を持って市電の修復に関わろうと心に決めた。

鉄道ファンを自認する齊藤さんだが、1156号の修復は単に趣味的に「物」を直すのにとどまらない。身近な乗り物だった市電を残すことは、当時の市民の息遣いを後世に伝えることにもなる。自分たちで直しながら紙面でもレポートしようと、「1156号の修復の提案」と書かれた企画書を、久良岐公園を管理する横浜市南部公園事務所に送った。

「壊すと言っているけど、私も手伝うので残しませんか」と。

 

現役時代の1156号(森田満夫さん提供)
 



市電修復が始まる



期せずして齊藤さんと同時期に、磯子区の塗装会社「株式会社サカクラ」も市に対して直したいと申し出ていた。

かくして神奈川新聞社と、サカクラと、横浜市の3者は協力して市電を修復することになる。2011(平成23)年11月、時代考証や車両部品の調達を新聞社、塗装など大掛かりな修繕を塗装会社、車両の保有・管理を市が手がけるという内容で、市電1156号修復のための覚書を交わし、市電修復が始まった。

 

修復の過程を神奈川新聞に12回連載で綴った「横浜市電修復ノート」
 

齊藤さん自らが、少しずつ集めた部品が紹介された第3回
 

サカクラによる塗装の剥離やさび落としが紹介された第5回
 

3者に限らず、多くの企業が力を寄せた。板金は南区の渡辺工業が手がけ、窓ガラスの製作に県板硝子商工業組合と旭硝子、ほかにも佐山電気商会、ヱスビー商会、カミタ産業、京浜技研、湘南スター建設、竹内化成などが資材調達や工事に協力。
これにサカクラを含む9業者1組合には、修復完了後に横浜市から感謝状が贈呈されている。

 

第8回では、佐山電気商会の佐山昇さんにより前照灯・室内灯をともす夢が叶えられた
 

法人に限らず、横浜の鉄道ファンである諸先輩の有形無形の協力もあり、さらには、県外からの協力も。

 

古い機関車のランプを譲ってくれたのは埼玉県の東洋造機だった
 

こうした作業の様子は、神奈川新聞のニュースサイト「カナロコ」で、「本日の横浜市電1156」として速報的に写真記事でレポートされた。

 

記事は現在も「カナロコ」内で「本日の横浜市電」と検索すると閲覧可能
 

徐々に形がよみがえってくると、一緒に修復をしていた大学院生の平松晃一さんから、1156号のライトを点灯させるための電気配線図が送られてきた。全国的にみても、野外展示の鉄道車両でライトが点灯するものはめったにない。



よみがえった1156号、市電修復への思い



そして・・・ついに。

2012(平成24)年4月6日、覚書を交わした日から約5ヶ月後、1156号は復活し「修復記念式典」が開かれた。

 

関係者らが参加した式典の模様は1面と中面で報じられた
 

翌日の一般公開の来場者は1000人を超えた。

 

ピカピカによみがえった公開初日の1156号(五十嵐匠さん提供)
 


 車内には市電修復の関係者一覧が掲げられた(五十嵐匠さん提供)
 

どうしてこんなに市電は愛されるのだろう。

「横浜の街中を走っていた横浜市電は、この地域の歴史が刻まれている存在」と齊藤さんは考え保存にかかわっている。「無くしてしまうのは簡単だが、昔のことを想像するきっかけや、知るきっかけが失われてしまうので、何とか残したい」と。

 

1156号維持活動についての思いを伝えるカード
 

これだけ多くの企業や個人が守りたいと力を貸した市電修復だったが、興味深いのはこうした一連の動きを齊藤さん個人としてではなく、神奈川新聞社が当初から「会社一丸となって進めたい」と社として取り組んだ点だろう。

驚いたことにこの年、神奈川新聞社は、日本版ピュリツァー賞とも称される日本新聞協会賞に一連の記事で応募している。ただ記事を書くだけでなく、地域の歴史を形作ることも地域紙としての使命、と世に問う姿勢が表れている。