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保土ケ谷駅前にあった少年鑑別所はどんな所だった?

ココがキニナル!

昔、保土ケ谷駅東口の公団は少年院だったと聞きました。護送車の無い時代、ロープに繋がれた少年らが電車で駅から集団移動させられていたとの事です。当時の様子など凄いキニナル!(choberyさん)

はまれぽ調査結果!

国立横浜少年鑑別所が保土ケ谷駅前に出来たのは1950(昭和25)年で、1972(昭和47)年に港南区に移転。地域に根付いた施設であった

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ライター:小方 サダオ

保土ケ谷にあった鑑別所はどんな様子だったのか(つづき)


 
鑑別所ということで近寄りがたい印象を持つ人もいたが、地元の商店街にとってはお得意先であり、地元に根付いた施設だったといえる。
 
次に保土ケ谷駅前ハイツの脇にある坂道を上り、閑静な住宅街に向かった。
 


以前鑑別所があった場所の崖の上は公園になっている

 
坂を上ったところにある、1965(昭和40)年からこのあたりに住むお店の店員とお客さんに話を伺うと、そのお客さんは鑑別所の敷地内の様子をよく覚えていて、「塀は3メートル以上ある高いもので、窓に鉄格子のある2階建てでしたが、3階部分がある建物もありました。別棟で平屋の食堂があったり、作業所のような建物も敷地内にありました」
 
「崖の上から見下ろすと建物の中も見えました。入口と左右には塀がありましたが、崖側になかったことを考えると、高い崖を壁代わりにしていたのではないでしょうか?」
 


横浜鑑別所(青矢印)の周りには工場が多かった(昭和37年保土ヶ谷区明細地図)
 

高い崖を塀代わりにするために崖沿いに建てたのだろうか?

 
「脱走は私が知る限り何回かありました。脱走が起きると必ずこの店に警官が聞き込みに来ます。一度は私の店の前の道路に、パトカーが20台くらい集まる騒ぎになったこともあります」という。
 


この道路にパトカーが集まる騒ぎになったという

 
「また、3人一組くらいで腰に紐をつけてつながれて、刑務官に歩かされて駅から出てくる少年たちの姿を見たこともあります。服装は囚人のようなものではなく一般的な格好でした。手錠は見えませんでしたが、お互いの腰に巻かれた紐を目立たせないようにするためか、ぴったりと寄り添っているのが印象的でした」
 
「目的地まで電車で移動していたのではないでしょうか? 駅前に施設を作ったのは、入所者を電車で移動させるのに便利だったからなのかもしれません」とのことだった。
 


駅の方から入所者が連れられてくる光景が見られた

 
代々続くある店の店主に伺うと「私の親の代の時ですが、脱走した少年が当店のトラックの荷台に隠れていたことがあったそうです。しかし見つかって逃げたもののその後捕まったそうです」とのこと。
 


鑑別所があった当時も多くの住民が住んでいたという

 
また店主に紹介してもらった近くに住む女性は「私は1947(昭和22)年生まれで現在70才です。鑑別所の隣に刑務官の官舎があり、中学生の時の友達に、刑務官の子どもがいました。中学校の先輩や後輩、男女問わず、中に入っている人がいました。入所している少年の後輩や子分のような少年が、崖の上から声をかけたりしていました」
 


かつての駅前広場でバスを待つ人々

 
「地元の中学生も入所することもありましたが、万引きや恐喝などの少年犯罪のため、住民は悪質な犯罪者のいる危険な場所という感覚を持つ人は少なかったです。また脱走する少年もいましたが、後輩から差し入れをもらう目的で抜け出してくるような感覚でしたので、すぐに捕まって戻されていました」とのこと。
 
電車移動に関して伺うと「50年前の総武線でのことですが、車内で手錠につながれた囚人のような人を見たことがあるので、当時は少年たちの電車移動はあったかもしれません」ということだった。
 


地元の中学校からも入所者が出たという

 
さらに近くのお店の女性は「崖をつたって逃げることが多かったようです。このあたりは保土ケ谷区と南区と西区の境が近いので、逃げ込む場所によって警察の管轄が違い、所轄の対応の仕方が違うため、昔は捜査がしづらかったようですよ」という。
 


左が保土ケ谷区、右が西区、下が南区で鑑別所(青矢印)は3区の境目に近い(Googlemapより)

 
 
 

鑑別所ができる前は何があったのか
 
保土ケ谷関連の取材でお世話になっている、保土ケ谷の老舗そば店桑名屋の近藤博昭(こんどう・ひろあき)さんに話を伺う。近藤さんはこのあたりの歴史に詳しく、「保土ケ谷宿場まつり」を立ち上げ、実行委員も務めている。

 
「あの場所は1932(昭和7)年ごろは、浅野セメントの採掘所の山があり、その前にはトロッコが走っていました。その後材木屋の工場になり、戦後間もなく鑑別所になりました」

 


1886(明治19)年創業の桑名屋の4代目店主だ

 

前出の崖(青矢印)はセメントの採掘所の名残のようだ

 

1932(昭和7)年の古地図に描かれた投稿の場所(青矢印)

 
保土ケ谷駅前にはセメントの原料になる砂の採掘場の山があり、鑑別所はその跡地に建ったものだったのだ。

 


施設は完成していない(青矢印)。1949(昭和24)年の航空写真

 

施設(青矢印)の周囲には民家も少なくない。1967(昭和42)年の航空写真

 
近藤さんはこの鑑別所について、「お得意様で出前に行っていたのでよく知っています。鑑別所は役所のような建物で、廊下は広かったです。建物の中と外で少年同士が夜中に大声でしゃべっていることがありました」

 
「脱走は数年に1回くらいのペースでありました。昭和40年前後には、こちらの東口にまで、向こう側から逃げてきた少年を裸足でランニング姿の刑務官が追いかけているのを見たことがあります」と話してくれた。

 


昭和40年代の保土ヶ谷駅西口

 

保土ヶ谷駅前で少年の脱走劇があったという

 
入所者は軽犯罪程度のものだったのでは、と伺うと「中には悪質な少年もいましたよ。私の同級生は、いきがって『また行ってくる』などと言っては入出所を繰り返していました。喧嘩などによる傷害罪が多く、やくざにも知られる有名人でした」という。

 
「電車移動」に関しては「私が見たのは鉄格子のはめられたマイクロバスでしたよ。駅前の街並みが整備されるにしたがって場所が不適切となり、鑑別所は移転したのでしょう」と答えてくれた。

 
中には自らの貫録をつけるために入所する少年もいたようだ。入所した回数が多いことが、本人の自慢となっていたのかもしれない。

 
最後に、電車での護送について横浜少年鑑別所の担当者に問い合わせた。保安上の理由で詳しくは説明できないとのことだったが、「現在でもほかに移動手段がないなど状況によっては、公共交通機関を使用して護送する場合はあります」とのことだった。

保土ケ谷駅前に鑑別所があったころも少年たちを電車で護送していた可能性はある。
 
また少年の脱走については
「一般的に少年が施設外に逃げた場合には、警察に連絡して捜査をする形になります」という。すると前出の「裸足でランニング姿の刑務官が少年を追いかけていた」というのは、異例なケースだったのかもしれない。
 
 
 

取材を終えて


 
横浜鑑別所が保土ケ谷区に建てられたころから、駅前には民家が多かったようだ。そのため周辺の学校の生徒が入る形になったりと、地域の特に不良少年やその関係者にとっては名所であったといえよう。

 


市電が走っていたころの保土ヶ谷駅東口駅前の風景

 
 
―終わり―
 

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  • 天王町駅近くや、採掘場だった場所の丘の上にセメント工場があるのは当時の名残だったのかな?

  • 1頁「昭和60年代の保土ヶ谷駅東口」と2頁「昭和60年代の東口の駅前広場」の写真はどちらも西口の間違いです(年代も他の方の指摘通りちょっと違うと思います。昭和60年代はSM分離後で既に橋上駅舎になっていたはず)。東口はすぐ国道に面していて、バスが回れるような広場はありませんでした。上りも下りのバスも道路にバス停がありました。小さなタクシー乗り場のロータリーは東口駅舎横にありましたが。

  • 保土ヶ谷の東口の急勾配の坂に、そんな歴史があったとは!びっくりでした。あと、駅前画像で昭和60年代の東口の駅前広場って記載がありましたが、1960(昭和40)代かと・・昭和60はバブル時代だし、映っている車が古~いドラマで走ってましたよ(ザ・ガードマンとか・・。

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