長い歴史に幕を下ろした横浜ニューテアトル。伊勢佐木町の映画館の灯が途絶える?
ココがキニナル!
2018年6月1日に閉館した、伊勢佐木町の横浜ニューテアトル。閉館日の様子は? 今後はどうなる?(はまれぽ編集部のキニナル)
はまれぽ調査結果!
多くの人に惜しまれながら閉館日を迎えた老舗映画館。伊勢佐木町のにぎわいのためにも、継続を模索する動きがあるようだ
ライター:はまれぽ編集部
家族の定番コースだった映画館
「メリーさんも、この映画館の前を歩いていたはず!」
両親の世代から横浜で暮らしてきたという市内在住の長沼京子(ながぬま・きょうこ)さん(写真右)は、「昔から、家族で野毛山公園からこの映画館まで来るのが休日の定番コースでした」と振り返り、閉館を惜しんだ。「横浜はお洒落な部分が注目されがちだけれど、メリーさんのような人たちを受け入れてきた面も、若い人たちに知ってもらいたい」。
川崎市在住の岡安康子(おかやす・やすこ)さん(写真左)は、奇遇にも以前はまれぽで取材させていただいた方で、「大和田伸也・五大路子フレンズクラブ」のメンバー。「中村監督や映画館を通じて、横浜や伊勢佐木町の歴史を発信し続けてきたのはすごいこと。ニューヨーク公演も果たした『横浜ローザ』を演じてきた五大も、感謝の気持ちでいっぱいだと思います」と話してくれた。大和田伸也さんが監督を果たした映画作品『恐竜を掘ろう』がニューテアトルで上映されたこともあり、感慨もひとしおだったようだ。
「メリーさんのことを思い出して涙が出ました」
関内にお勤めというミヤザキさんは、ニューテアトルには初めて来館。1986年ごろ、馬車道で何度かメリーさんと言葉を交わしたことがある。
「職場の人たちは『あの人に話しかけちゃいけないよ』『病気がうつるよ』と噂していたけれど、見た目で判断していただけ。勇気をもってあいさつすると、かわいらしい声で『ごきげんよう』と返してくれた」と振り返る。誰にでも返事をしてくれるわけではなかったので、喜びも大きかったという。
「そのころのメリーさんは背筋もしゃきっとして、人を近づけないオーラがあり、格好良かった」と語るミヤザキさん。ヨコハマメリーとも縁深い劇場の終幕に立ち会うことになった。
いよいよ閉館の時が迫る
劇場とは別れがたく、午後10時を過ぎても多くの人が館内に残り続けていた。
後ろ髪惹かれる思いでニューテアトルを後にする観客
最後は、横浜みなと映画祭のスタッフからねぎらいの花束が贈呈
本当に多くの人に惜しまれながら、その歴史に幕を閉じた
横浜ニューテアトルの閉館後は?
閉館した横浜ニューテアトルだが、伊勢佐木町の街から映画館がなくなるのは、地域にとっても惜しいことに間違いない。
「映画館の閉館は、伊勢佐木町の活性化という観点からも望ましいことではありません。横浜市としてお手伝いできることがあれば、協力したい」。そう話すのは、横浜市都市整備局都心整備課の担当者。
あくまでも民間の事業者である映画館の運営を、直接的に手助けできるかは難しいという。それでも、伊勢佐木町全体のにぎわいを考えた時に、歴史ある映画館の存在は大きなものとしてとらえているようだ。
文化的価値も無視できないはず
現オーナーはすでに閉館を決めている横浜ニューテアトルだが、その後の施設の扱いについてはまだ未定の状態。別の運営者が名乗りを挙げて「映画館」として再開する可能性は十分にあるようだ。関係者の中には「すでに次の運営者の調整が行われているらしい」と話す人もいた。
復活の可能性も?(写真は過去記事より)
「ジャック&ベティ」(中区若葉町)や「シネマリン」(中区長者町)といった周辺のミニシアターも、運営が引き継がれる形で復活した経緯がある。可能性はゼロではなさそうだ。
取材を終えて
「伊勢佐木町の映画館」はどのような道筋を辿ることになるのか、まだ見通しは示されていないようだ。だが、一つの歴史にピリオドが打たれたのは間違いのない事実。
その上で、できれば伊勢佐木町の映画の灯が何らかの形で続いてほしいと、願わずにはいられない。
今は、役割を終えた横浜ニューテアトルを労いたい
ー終わりー
たけむらさん
2018年06月05日 17時03分
映画館再開に向けたクラウドファンディングがあれば協力します