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江戸時代の横浜に殿様や旗本はいたのか?

江戸時代の横浜に殿様や旗本はいたのか?

ココがキニナル!

江戸時代の横浜一帯は、なんという藩で、お殿様がいたのでしょうか、それとも将軍家直轄で、将軍様が、おさめていたのでしょうか?気になります(おにぎりさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

江戸時代の横浜は江戸幕府直轄で代官が管理する地。旗本の領地が多く、寺社領もあった。藩があったのは、米倉氏が藩主の六浦藩のみ

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ライター:ハヤタミチヨ

村の「お殿様」旗本岡野氏
 
横浜市域は、家康が来る前は小田原の北条氏が支配していた。先の彦坂元正は、徳川家康が三河国(現在の愛知県)から江戸へ移った時についてきた家臣だが、戦国時代には北条氏の家臣だった氏族が、江戸時代に横浜市域の領主となっていた例もある。
 
その1人が、現在の港南区笹下にいた間宮氏だ。この間宮氏は、先に書いた4人の代官頭がいた時期と同じ頃に、間宮彦次郎が久良岐(くらき)郡(中区・西区・南区・磯子区・金沢区のあたり)の代官となっていた。間宮氏や笹下の歴史については、過去の記事でも紹介している。
 
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北条氏に仕えていた家が江戸時代に旗本になった例として、他に、長津田に領地を持っていた岡野氏がいる。
 
大河ドラマ『真田丸』を見ていた人は、北条氏政の家臣だった坊主頭の「板部岡江雪(いたべおか・こうせつ)」という人物を覚えているだろうか。この江雪が、岡野氏の祖である。
 


坊主頭の人物が板部岡江雪斎。八丈島を巡検している場面(『北条五代記』国立公文書館デジタルライブラリーより)

 
江雪は、戦国時代に小田原北条氏の重臣として、重要な外交交渉における使者としても活躍していた。北条氏が徳川家康と同盟を結んだ時にはその交渉役をつとめ、豊臣秀吉が領土問題で北条氏を詰問したときにも交渉人の1人となる。
 
だが、秀吉との交渉は実らず、小田原合戦は起こってしまった。この戦で北条氏は敗北するが、江雪はこの降伏交渉でも秀吉と対面する。その時、秀吉は以前から交渉人となっていた江雪を責めるが、江雪は主君である北条氏の非を唱えず、むしろ自分の首を刎ねるよう申し出た。秀吉はそんな江雪の忠義にうたれ、自分の家臣とし、この時に名字を「岡野」と変えさせたといわれている。その後、江雪は秀吉に気に入られたようで、その側近として話し相手などをする「御伽衆(おとぎしゅう)」となった。
 
ここで余生を終えてめでたし・・・となりそうなところだが、世の中はまだ江雪を手放さない。秀吉死後に、石田三成と徳川家康の間で有名な関ヶ原の合戦が起こると、江雪は家康に味方する。そして、この合戦で家康が勝利を決めた鍵とされる小早川秀秋(こばやかわ・ひであき)の裏切りを密かに交渉したのが、江雪だったのだ。家康の勝利をもたらしたのは、江雪の功績も大きい。
 
このように江雪が家康についた理由は、かつての小田原合戦の時に五代当主であった北条氏直の助命を秀吉に頼んでくれたのが家康であり、その恩に報いるためともいわれる。
 
江雪は一見すると主君を変える世渡り上手にも見えるかもしれないが、それも天下人に欲せられる才能を持つからこそ。さらに、最初の主君である北条氏に関わる恩をずっと忘れないような義理堅さも、秀吉や家康から信頼を受け、重用された理由かもしれない。
 
その後、江雪は京都で亡くなるが、この江雪斎の長男・岡野房恒(おかの・ふさつね)が、旗本として江戸幕府から長津田を与えられ、子孫は代々長津田の領主となった。この岡野氏ゆかりの地として、長津田には「殿様屋敷跡」と呼ばれる場所がある。
 


道の左側が殿様屋敷跡。現在は幼稚園が建っている

 
岡野氏は江戸時代の初めは長津田に住んでいたが、やがて江戸の町が整備されて旗本が江戸に住むようになると江戸に移り住み、長津田は現地に住む岡野氏の代官が管理した。しかし、江戸幕府が滅亡し明治時代になると、岡野氏は再び長津田に移り住んだ。そのとき岡野氏が住んでいた屋敷があった場所が「殿様屋敷跡」とされている。
 
この幼稚園から徒歩3分ほどの場所に、岡野氏歴代の墓がある「大林寺(だいりんじ)」が建っている。
 


曹洞宗・大林寺。法要のお忙しい合間に対応いただいた

 


大林寺の境内には長津田十景の「大林晩鐘」や、本堂に五百羅漢(ごひゃくらかん)などもある

 


墓所は横浜市の地域史跡として登録されている

 


多くの墓石が並ぶ墓所

 
大林寺は岡野氏の菩提寺で、開基は岡野房恒とも父の江雪斎とも伝えられる。墓所内にあった石碑によれば房恒の本家は絶えてしまったそうだが、墓所は現在でもきれいに整えられていた。撮影の後日には、住職の鈴木昭彦(すずき・しょうげん)さんから板部岡江雪や岡野氏のお話を伺うこともでき、村のお殿様である岡野氏の歴史が、お寺や地域の方々で大切に語り継がれていることを知ることができた。
 
 
 

取材を終えて


 
よく時代劇などで見られるような「藩主」の領地は横浜にはほとんどなく、旗本や代官が治める土地だった。そのような江戸時代の横浜の姿は、開発により現在ではほとんど見られなくなっている。だが、地名や地形、寺院など、横浜にいた「お殿様」の歴史を感じることができる場所は、まだ残っていた。
 
 
-終わり-
 
 
参考文献
『企画展 江戸時代のよこはま 都筑の村々』2000年・横浜市歴史博物館
『図説 横浜の歴史』1989年・横浜市

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