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相模原の相模川沿いに点在する「ヤツボ」という水場の正体とは?

相模原の相模川沿いに点在する「ヤツボ」という水場の正体とは?

ココがキニナル!

相模原には湧き水を利用する「ヤツボ」という水場があります。水神様が祀られるなど、ちょっと不思議な空間。ヤツボとは何でしょうか。3箇所ほどネットで見つけましたが、他にもあるでしょうか(yummyzさん)

はまれぽ調査結果!

ヤツボとは、江戸時代に作られ、溜めた湧水を生活用水などに利用した水場。かつては相模川沿いに数多く存在したが、今では水量が少なくなり使用されていないところも多い

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ライター:小方 サダオ

ほかにもヤツボはあるのか



今回の投稿には、「ほかにもヤツボがあるか」という内容もある。現存している場所がほかにもあるのか、資料をもとに調べることにした。

相模原台地の成り立ちや自然などについて解説されている『相模原市史 自然編』の資料に、ヤツボがある場所についての説明があった。資料には「相模原市の大島から田名地区にかけてある段丘崖(だんきゅうがい)という地形から流れ落ちる水を、意図的に池状に溜めて、周辺住民が生活用水として利用している」と書かれている。

 
相模原の大島地区
 
田名地区
 

特に大島地区では、このような水溜りが壺状になっており、8つあるから「ヤツボ」といわれるようになったとあったが、諸説あり「ヤツボ(ヤ=谷、ツボ=壺)」という説もある。

また、ヤツボの数は8ヶ所ではなく、ほかにも発見されているとのことだった。

 

『相模原市史 自然編』に掲載されていた11ヶ所(黒点)
 

使用時期や用途はさまざまだ ※クリックして拡大
 

『相模原市史 自然編』に掲載されていた11ヶ所には、ヤツボ以外にも水が豊富に湧き出る場所があった。江戸時代・明治時代から使われ始めたものや、その時代まで使われていたものなど使用期間は各地で異なるようだ。しかし作られた年代ははっきりせず、だいたい江戸時代ごろからとされている。

また、相模原の大沢地区在住でヤツボを調査した笹野邦一(ささの・くにかず)氏の『おおさわ風土記』によると、「ヤツボの場所は、堺松・吉村家下、坂上・笹野家下、中之郷・荻原家下、榎戸・大貫家下、原村・大貫家下、水場・斉藤家下(二ヶ所)」と8ヶ所のヤツボが紹介されていた。



地図を元に今も残るヤツボを探す



2つの文献の地図を見ると、重複する場所もあるものの、ほかにもヤツボが存在するようだ。
その中から5ヶ所を選んで、今でも現存しているのか、現地を訪れてみることにした。

 

吉村家のヤツボ(青)、大貫家のヤツボ(緑)、滝坂(茶)、十二天社(紫)、勝坂遺跡(赤)(© OpenStreetMap contributors
 

まずは『相模原市史 自然編』に記載されたヤツボの内、最も北にある“大島境松 吉村家のヤツボ”に向かう。
しかし現地に到着したが、ヤツボへの階段は使えない状態で、残念ながら現場を確認することはできなかった。

近くに住む旧家の男性に、ヤツボについて伺うと「ヤツボはまだありますが、そこに向かうためのけもの道は崖崩れが起こって通れません。このあたりの土地の地下は、水の通り道になっているので地盤が弱い場所なんです」と話してくれた。

 

男性の家の井戸(青矢印)と隣家の井戸(緑矢印)。地下を水脈が流れているという
 

取材時、大雨で崩れていた崖
 

続いて“原村 大貫家のヤツボ”に向かうと、相模川沿いの崖から少し離れた、個人宅の敷地内にヤツボがあった。
敷地所有者の大貫さんによると「約50年前まであったカヤの木の根元から水が豊富に湧き出ていて、洗濯などに使っていました。今も水量は少ないですが、水は湧いているので溜めています」という。

大貫さん宅の周りにある水路には水が勢いよく流れていて、このあたりの湧水の豊かさを表しているようだった。

 

湧水を溜めている場所
 

このあたりにカヤの木があった
 

次に”田名宗祐寺(たなそうゆうじ)の滝坂”を訪れてみた。

文献には「多くの湧泉が配列し、かつては水力発電が試みられたり、周辺住民の生活用水になっていた」とある。
現地に到着すると、いくつもの急カーブのある崖の途中から、何ヶ所も湧水が流れていた。まさにいくつもの滝がある坂といえる。

 

急坂の途中が湧水スポットになっている
 

きれいな水が流れ落ちている
 

パイプから湧水が流れるところもあった
 

また、ヤツボではないが、資料には「かなりの水量の湧水が出ていて、ワサビ田のために使われた」という“十二天神社”という場所があった。湧水と神社の関係もキニナるので、この場所も訪れることにした。

このあたりの湧水は、十二天神社の近くから流れる清水ということで、御垂水(おみたれみず)と呼ばれている。水量が豊富だったのでその湧水により、以前は神社の前に宮川という川があったとそうだ。水量は今でも豊かなようで、畑の水として利用されていた。

 

湧水によりクレソンが栽培されている
 

境内にある「おみたれみず」の石碑
 

このあたりに宮川が流れていた
 

資料にあった場所を巡ってみると、今でもヤツボとして存在する場所はあるものの、地盤が崩れやすい危険な場所や個人宅、急な坂のある崖地など、公に管理されているような場所ではなかった。

また、十二天神社の境内近くから流れる清らかな水が「御垂水(おみたれみず)」と呼ばれており、地域の人たちに大切にされていたようだ。

湧き水と神社が関係しそうな湧水地は、縄文時代中期の集落跡の“勝坂(かつさか)遺跡下”もある。
『相模原市史 自然編』に「多量の湧水で湿地を形成していて、有鹿神社(あるかじんじゃ)の霊泉とされる」と記述があった場所。この遺跡のふもとには、湧水の場所があり、遺跡近くには有鹿神社の奥宮があるのだ。

 

有鹿神社の奥宮入口には水が流れていた
 

日々神社の場合だけではなく、有鹿神社でも湧水と霊泉の関係性があるようだ。