検索ボタン

検索

横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

  • 36年ぶりに完全復活「横浜銀蝿 40th」。オリジナルメンバーで再結成!
  • 神奈川県内の横浜家系ラーメン店がどこにあるか地図からすぐわかる!横浜の観光情報「よこはまっぷ」
  • イベント開催、店舗オープン、新商品発売などリリース情報を配信したい方へ
  • はまれぽ.comにあなたのお店・会社を無料で掲載しませんか?

デビュー50周年! 湘南育ちの兄弟デュオ「ブレッド&バター」って、どんな人たち?後編

デビュー50周年! 湘南育ちの兄弟デュオ「ブレッド&バター」って、どんな人たち?後編

ココがキニナル!

デビュー50周年! 湘南育ちの兄弟デュオ「ブレッド&バター」って、どんな人たち?後編

  • LINE
  • はてな

ライター:山本航

海で育った環境が音楽となった



――今の若い世代でも、この時代の曲はたくさんカヴァーしてますよね。これだけ長いキャリアで続けていると、デビュー当時から音楽性がずいぶん変わったりいろんな冒険をすることが多いですが、ブレバタはデビューから一貫して茅ヶ崎の香りがする音楽を続けているイメージが確立されている印象です。そのあたりは意識されてきましたか?

 
ブレッド&バター
(提供:茅ヶ崎ロックンロールセンターAGAIN実行委員会)
 

(F)1979年頃のアルファでの3枚は、プロデューサーがかなり意識してました。むしろそれ以前はあまり考えてなかったよね。海が出てくる歌詞もそんなにないし。でも、周りはいつも僕らが歌うと海を感じるとは言ってましたね。
1969(昭和44)年のデビュー曲だって、設定は軽井沢だけどやっぱりリゾート地でしょ。だから曲を書いてくださった橋本淳(はしもと・あつし)さんと筒美京平(つつみ・きょうへい)さんも、そういう匂いを感じて書いたんでしょうね。

 
ブレッド&バター
(提供:茅ヶ崎ロックンロールセンターAGAIN実行委員会)
 

(S)デビューからずっと僕らはカテゴライズされてなくて。それでアルファで有賀さんというプロデューサーが初めて海というカテゴリーを打ち出したんだよね。それが僕らの看板となったんだよ。

――それが外部から押しつけられたという反発心ではなく、そもそも生まれ育った環境だったから受け入れやすかったんですね。

(S)そう。だからそういう育まれたバックボーンがしっかりあるのに、なんでそれをちゃんと表現しないんだ、と指導されたんだよ。

――なるほど。再始動した今はもう、茅ヶ崎をベースにマイペースにやっていくようなお気持ちですか?

(F)どうなんだろうね。歳も歳だしね。今さら急に忙しくなることもないしねー。

 
ブレッド&バター
50周年でもいつものようにと語る、二弓さん
 

――Cafe B&Bをもう一度、何らかの形でやってほしいという声が上がっているようですが、どうですか?

(F)あれは時代が良かったよね。今やろうとすると、すごいお金がかかるよ。当時だって全部自分たちで資材を調達して組み立てたけど、もうそういうのは難しいでしょ。

(S)数年前に、銀座で1週間くらい限定でやったかな? ゲストとか呼んで。ああいう期間限定で、誰かが企画してくれればやれそうだよね。

 
ブレッド&バター
おふたりはいつの時代も仲間と楽しくやってきた
 



和製サイモン&ガーファンクルと呼ばれたルーツ



――はっぴいえんどやYMOなどで知られる細野晴臣(ほその・はるおみ)さんとは、いつ出会ったんですか?

(S)アルファレコードに移る頃だったね。彼は復帰後にアレンジしてもらっただけじゃなく、実現しなかったけどいろんな構想でいっしょにやろうと思ってたんだよ。
僕らはノンジャンルで活動していたから、昔からいろんなミュージシャンと付き合いがあるんだよね。エイプリルフールの小坂忠(こさか・ちゅう)とかはフォークと接点がないけど、僕は『旅立ちの歌』で知られる、当時のフォークユニットを代表する「六文銭」に参加したので、フォークの人ともつきあいがあるしね。

 
ブレッド&バター
時代を作ったミュージシャンの名前が次々と
 

それで、フォーク・クルセダーズの加藤和彦(かとう・かずひこ)くんとも繋がっていたり。彼は人一倍、音楽性も人脈も幅が広かったね。ロンドンでレコーディングしていたとき、道でバッタリ会ったんだけど、背が高くてオシャレな着こなしをしていて、すぐにわかった(笑)
そんなこんなで、ビリーバンバンから南佳孝(みなみ・よしたか)やムッシュまで、それぞれが交わらないようなとこが全部繋がっていたよね。

――六文銭のときはこの音楽をずっとやるとか、別の表現を模索したとかありましたか?

(S)あんまりそういう考えは持っていなかったけど、フォークの世界はメッセージ性を重要視するから、メロディやリズム的にもっとこういう音楽をやろうよと言っても、あまり興味を持ってくれなかったな。練習するのに、みんなで集まっても、楽器をケースから出さないで一日中いろんな議論をして終わったりとか、しょっちゅうだったよ。

 
ブレッド&バター
50年間ブレのない音楽性
 

(S)そういう人たちとも付き合ってたし、同じようにその後もスティービー・ワンダーとかニューヨークの連中とか海外のミュージシャンとも繋がって、海外の大物ミュージシャンの前座も経験できた。いろんな音楽の影響を受けて、いろいろな大物アーティストの前座ができたのも大きいよね。

――すごいラインナップですよね。ビージーズやフリーなど。どういういきさつなんですか?

 
ブレッド&バター
憧れの海外ミュージシャンとの思い出を語る
 

(F)フリーは、ベーシストの山内テツさんとおつきあいがあったんで。ビージーズは、当時所属してた渡辺プロダクションのブッキングだったのと、同じレコード会社のポリドールだったから。

(S)B.B.キングともやってるんだよ。サンケイホールだったかな?

 
ブレッド&バター
数々のアーティストと同じステージに立った