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京急線戸部駅~日ノ出町駅間のトンネルのカーブが凄いのはなぜ?

京急線戸部駅~日ノ出町駅間のトンネルのカーブが凄いのはなぜ?

ココがキニナル!

京浜急行の戸部と日ノ出町の間にある長いトンネル。先頭車両で観察していると結構グニャグニャと曲がっている事に気づきました。なぜ、あそこまで曲げる必要があったのか調査をお願いします(zumiwoさん)

はまれぽ調査結果!

京浜電鉄(当時)が横浜~日ノ出町間を建設する際に横浜市や地域と協議を重ねた結果、曲がりくねるようにトンネルを建設したと推測できる。地上の老松中学校を避けた可能性も高い。

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ライター:若林健矢

トンネル上部の京急の管理地前では、道路が膨らんでいる!?



野毛山隧道があれほど長いなら、トンネル上部にあたる地表部分には何かヒントがないだろうか? トンネルの地表面にあたりそうな部分を調べてみると、老松町の商店街の一角にある道路が、わずかに盛り上がっているのを発見した!

 
京急線戸部駅~日ノ出町駅間のトンネルのカーブ
「スクールゾーン」と白く書かれたあたりが膨らんでいるのがわかるだろうか
 

地元の方に聞いたところ、このように道路が膨らんだ形になった理由には、やはり京急の野毛山隧道があるようだ。まだこの道路が砂利道だった頃、隧道が建設される際にトンネル部分のみがコンクリートで形成され、後からアスファルトを整備したためにこの形になったそう。要するに、この部分はトンネルの設置深さが浅いため、真上の路面だけが盛り上がるようになったのだ。すぐ下に京急線が通っていて、よく耳を澄ますと電車の通る音がごくわずかに聞こえる。

これだけではない。道路の盛り上がった部分のすぐ近くには、緑のフェンスで仕切られた京急電鉄の管理地を見つけた。

 
京急線戸部駅~日ノ出町駅間のトンネルのカーブ
何もない区画にフェンスが立てられ「京浜急行電鉄(株)管理地」と掲げられている
 

これについても京急電鉄に問い合わせてみると、この管理地は2003(平成15)年に取得したとのこと。この付近は隧道全体でも土被りの薄い(トンネル上の土の厚さが薄い)区間になっているため、土地が売りに出された際に京急電鉄が保全のために買い取ったようだ。

京急電鉄管理地からは、その部分の土被りが薄いことで生じた路面への影響がうかがえたが、まだ「トンネル内部がなぜ曲がりくねった構造になったか」が分かったわけではない。それにさらに近づくため、次は京急の歴史を探ってみよう。



歴史から野毛山隧道をひも解いていく



京急電鉄がまだ「京浜電気鉄道」と「湘南電気鉄道」に分かれていた時代、1930(昭和5)年4月に湘南電鉄が黄金町~浦賀間、および金沢八景~湘南逗子(現・新逗子)間で開業した。が、起点の黄金町駅が横浜の中心部から離れていたことと、競合路線となる横須賀線の存在から、同社の業績は良くなかった。状況を打開するには、何らかの手段で横浜駅への乗り入れを果たす必要がある。

その状況に提案を持ちかけたのが京浜電鉄だった。京浜電鉄にはもともと、横浜駅から長者橋(現在の日ノ出町駅付近)を経由して現在の長者町付近まで延伸する構想があった。そこで、湘南電鉄が黄金町駅から日ノ出町駅まで延伸し、京浜電鉄は横浜駅から同じく日ノ出町駅まで延伸することで、両社を接続させようという計画を持ちかけた。

両社ともそれぞれ工事を始め、1931(昭和6)年12月に横浜~黄金町間が開業する。その時に京浜電鉄によって建設されたのが現在の掘削区間、そして野毛山隧道ということになる。その後は1933(昭和8)年に京浜電鉄の品川駅から湘南電鉄の浦賀駅への直通運転が始まるという流れだ。

 
京急線戸部駅~日ノ出町駅間のトンネルのカーブ
昭和初期の戸部~日ノ出町間。現在もほぼ変わらない(画像提供:京急電鉄)
 
京急線戸部駅~日ノ出町駅間のトンネルのカーブ
野毛山隧道工事中の集合写真(画像提供:土木学会附属土木図書館)
 

京浜電鉄は横浜駅から、湘南電鉄は黄金町駅からそれぞれ線路を伸ばし、日ノ出町駅付近の旭橋で見事接続を果たした。横浜駅からこの付近まで、当時から住宅が密集していた上に地盤が軟弱だったため、工事は非常に大変だったらしい。

 
京急線戸部駅~日ノ出町駅間のトンネルのカーブ
この旭橋で京浜電鉄と湘南電鉄の線路はつながった
 

ちなみに湘南電鉄が横浜駅方面への延伸を計画する際、実は東京横浜電鉄(現在の東急東横線)と手を組んで桜木町駅に接続するという案もあった。もし歴史が違えば、京急の路線網は現在とは違ったものになっていたかもしれない。

 
京急線戸部駅~日ノ出町駅間のトンネルのカーブ
『復刻版・湘南電鉄沿線名所図絵』にも、黄金町から桜木町に延伸する構想が描かれている(横浜都市発展記念館所蔵)
 
京急線戸部駅~日ノ出町駅間のトンネルのカーブ
大岡川沿いを走り、現在のJR桜木町駅に接続する構想だったという
 



法律上の条件は・・・?



今度は法律の面で見てみよう。野毛山隧道の計画および建設時には「地方鉄道法」が適用されていた。これは簡単に言えば、私設鉄道を建設する場合に関連する法律だ。現在は、路面電車に関連した「軌道法」と合わせて「鉄道事業法」と改められている。

鉄道を地下やトンネルに敷設する場合、地方鉄道法では地中に一定の範囲を定めて、鉄道事業者の敷地として使用できるようになっている。これを「地上権(または区分地上権)」という。野毛山隧道においては「地下は地下でもトンネルの周りは京浜電鉄(現:京急電鉄)の敷地ですよ」という風に考えよう。

だが、現在の老松中学校付近はトンネルまでがかなり深い。このような高山の地下にトンネルを建設する場合、地方鉄道法では土地利用に大きな影響はないとされていた。そして地表部分に建物があり、かつその真下を鉄道が通る場合も、土地を買収せず所有者に承諾を得るのみで解決できることが多い。

当時の状況を考えると、当該部分について京浜電鉄は横浜市、あるいは老松小学校(当時)に承諾を得た可能性が考えられそうだ。