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花街として栄えたころの「鶴見三業地」を徹底調査!

ココがキニナル!

京急鶴見駅を出ると三業地という地名があります。ディープな飲食店が多く、今もその面影がかすかに感じられます。花街として栄えた頃の鶴見三業地について調べてくれませんか?(ryoryoさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

鶴見三業地は、芸者衆が行き交う細い路地が入り組み、見越しの松がのぞく黒板塀に囲まれた料理屋から三味線の音が聞こえてくる情緒あるところだった!

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ライター:吉田 忍

鶴見神社へ、そして元料理屋の女将さんに会う


 
細谷さんはこの本を執筆するにあたり、昔の写真を探されたそうだが、戦前の写真は空襲もあり、ほとんど見つからなかった。また戦後の三業地の写真も見つからなかったとのことだった。
 
しかし、この本の中に、1枚だけ三業地の芸者さんたちが写っている写真があった。ぜひ掲載させていただきたいので、写真の所有者を伺うと、鶴見神社の宮司さんだとのこと。さっそく鶴見神社に伺う。
 


旧東海道を東京方面に向かうと鶴見神社。かつては、あの杉山神社だったそう

 
ようやく1枚だけ見つけた鶴見三業地の芸者さんたちの写真がこれだ。
 


浴衣姿の三業地芸者衆。祭のときのもので、旧東海道で撮られた写真のようだ ※鶴見神社所蔵

 
写真は1950(昭和25)年に久しぶりに祭が行われたときのもの。鶴見神社の金子宮司はこの写真を見ながら「終戦後5年が経ち、ようやく祭ができて、本当にほっとした」と話してくれた。後ろに山車が見えるが、芸者衆はその先頭を歩いたという。

金子宮司は「鶴見歴史の会」の会長もされていて、昔の資料や写真を収集されている。

「三業地のことなら、こんなのもあるよ」と、社殿の裏手の方へ案内していただく。
 


1919(大正8)年に、「鶴見二業組合」から奉納された石碑

 
これが鶴見三業地の始まりを示すものだろう。「三業」ではなくて「二業」なのは、当時「待合」がなく、二業で始まったことが分かる。書いてある加盟店を見ると、「鶴見見番」「小川屋」など聞いてきたものがある。見番が最も多い十口となっていることから、力関係も想像できる。

この石碑は、現在は公開されていないが、表の方に設置する予定だとのこと。

芋づる式奇跡の出会いはまだ続く。

「さすがに芸者衆は残っていないけど、いい人がいるよ」と呼んで頂いたのが30年ほど前まで料理屋をやっていたという、関口サダ子さん。
 


この日が83歳の誕生日だった関口サダ子さん。おめでとうございます

 
関口さんは三業地内ではなかったけれど、30年ほど前まで鶴見神社の近くにあった「せき龍」という料亭の女将さんだった。

「三業地の見番に電話をして芸者さんを呼んだわよ。そうねえ、芸者さんは昭和50年くらいまでいたかしら。最盛期は100人くらいいたかも」と関口さん。
 


せき龍で芸者を呼んだことがあるという金子宮司。夕子さんと華子さんがお気に入りだったとか

 
関口さんのお父様は、なんと元宮内庁の料理番。昭和天皇の料理を作っていた方。

「せき龍は料理が自慢の店で、王選手や佐渡ケ嶽(さどがだけ)部屋のご贔屓だったんだよ」と金子宮司。

王選手からもらったバットとボールは関口さんの宝物だそう。

「鶴見は、大企業の社長さんクラスがお仕事の話をしたり、遊んだりする場所だったんですよ。『あめりか物語』や『ふらんす物語』の作者
永井荷風も遊びに来ています。新橋の華月楼の人が荷風の彼女だったんですね。華月楼は鶴見の花月園を作ったところなので、そんな縁もあったんだと思います」
 


幇間(ほうかん:太鼓持ち)の悠玄亭玉八(ゆうげんていたまはち)さんと関口さん

 
「文人墨客(ぶんじんぼっかく)も集う場所でした。だからお洒落で粋なお店がいくつもありましたよ。区画整理でずいぶん様変わりしたけれど、2メートルにも満たない細い路地がクネクネ入り組んで、黒い板塀に見越しの松がのぞいて、三味線の音がどこからか聞こえてくる。東京でいえば神楽坂とか柳橋のような場所でした。三業地はとても風情がありましたよ」
 
 
 

取材を終えて


  
現在の三業地を見ると歓楽街であったと想像はできるが、お話を伺って、当時の風情のようなものはまったく残っていないことが分かった。かつての鶴見には政治家の別荘も多かったという。今のイメージとは違って、政治家や大企業の社長、文人たちが使う料亭が建ち並ぶ粋で風情ある町だった。


黒塀、細い路地の現在の神楽坂。こんな雰囲気だったのだろうと想像するしかない

 
 
― 終わり―
 

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  • もしかしたら、京都の先斗町の様な風情豊かな街に成っていたかもしれない。

  • 二子新地にも三業地ってあったようですね。

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