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川崎市の第三京浜の柱に出てくるという「消しても消しても浮かび上がる女性の影のようなシミ」の正体は?

ココがキニナル!

30年前くらいに新聞記事り実際に見たこともあるのですが川崎市高津区千年の第三京浜の柱に消しても消しても浮かび上がる「女性の影のようなシミ」がありました。今はどう?(takedaiwaさん)

はまれぽ調査結果!

シミは柱の耐震工事のため外側からは見えなくなった。周囲で事件や事故が多かったため幽霊の噂が流行りやすく女性の姿のシミの霊の話が出たようだ

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ライター:小方 サダオ

新聞に載ったもう一つの幽霊の噂を追う
 
ところで前出の読売新聞では、当時宮前区の某所にも幽霊話があったと書かれている。

新聞の内容を要約すると「1983(昭和58)年8月、近くのテニスコートの経営者が深夜トラックにはねられて死亡した。その直後からその事故現場に犠牲者の霊が現れる、と噂になった」とある。

橘中学校前交差点から野川柿生線を多摩区の方へと車で30分ほど走ると、Aという街に着く。道路を外れ住宅地の中に入ると、田畑が広がっていて、のんびりとした光景だ。
 


Aには田畑が多い


畑仕事をしていたある農家の方に「例の幽霊話」に関して伺うと「30年ほど前ですけど、そんな事故はありました。近くに住む農家の男性で、自分が所有するテニスコートに寄った帰りに、乗っていた自転車ごとトラックにはねられました。だいぶ跳ね飛ばされたようですが、自転車が曲がっていなかったのが不思議だったそうです。そのころ計画的な殺人ではないか、なんて噂も出ました」とのこと。

「なぜ事故が計画的殺人なのか?」と思ったが、詳しくは聞けなかった。
 


農家の男性が轢かれたあたり


幽霊の話に関して伺うと「その事故の後から幽霊の噂が出はじめました。あるハイヤーの運転手は、夜道路上に男性が立っていたのでお客かと思ってドアを開けると、足がなく上半身しかない男性が立っていたそうです。しかし幽霊話だと、このあたりでは、40年ほど前にあった生田緑地の実験による爆発で、土砂崩れで20人ほど亡くなった人たちの幽霊のほうが有名です。結構見た人がいるそうですよ」と答えてくれた。
 


生田緑地


そこで幽霊話を求めて、Aからすこし離れた生田緑地に行ってみた。事故の犠牲者の慰霊碑があったが、特に周辺の人から事故死した霊の噂などは聞くことはできなかった。

しかしA方面へと戻る途中にあるお店の女性Tさんから、興味深いお話を伺った。
まずは生田緑地の霊の噂に関して伺うと「その事故はずいぶん前でちゃんと慰霊碑も建ってるし、霊なんて出ないんじゃない?」
 


生田緑地にある事故の犠牲者の慰霊碑


「それよりも、生田緑地付近で起こったある別の事件に関しては不思議なことはあったわ。その事件の後に、主人が運転する車に私が助手席に乗っていた時のこと。その事件現場のあたりで主人は犠牲者と思われる女の姿を見た、と言ったんだけれど、同じ場所を見ていたのに、私には見えなかったのよ。霊だったのかもしれない、という話になったけれど、まだその事件の遺族の方も生きているし、このことに関しては詳しくは言えないのよ」

「このあたりは事故や事件が多かったから幽霊の噂が出ても不思議ではないかもね。以前どこで聞きつけたのか、霊能者の織田無道という人がカメラマンとかを連れてきて心霊関係の取材に来て、私も心霊現象に関してインタビューされたけど『知らない』って言ってやったわ」   
 


生田緑地にある古民家


「実は私は、昔は霊感があったからよく霊みたいなものを見たのよ。この店でもニコッて笑いながら女の人がお店に入ってきて、お客さんだと思っていたらいつの間にかいなくなってて後で近所の人にその女性のことを話すと、亡くなっていた人だと聞かされたりしたことがあったの。でも亡くなった人の霊について騒いだりしたら、遺族の方たちが傷つくでしょ? 霊だ、なんだ、と騒いだり、過去のことを掘り起こしたりしないで、そっとしておくのが一番いいんじゃないかしら?」と答えてくれた。

次にAに戻り、ふたたび地元の人から例の「農家の男性の事故」に関してお話を伺っていると「知ってるが話したくない」と、その話題になると歯切れが悪くなる人がいることに気づいた。

それでもいろんな人に話を聞いていると、集団就職列車でこの地にやって来たという、ある初老の男性から前出の農家の方の話を補てんするお話を聞かせてくれた。
 


初老の男性が話をしてくれた

 
「農家の男性の事故」について伺うと「あの人は娘のためにつくった専用のテニスコートの照明を毎夜消しに行ってたんだ。その日いつものようにテニスコートへと向かおうと道路を渡ろうとした時、後ろから来た車に引かれて死亡したんだけれど、それはわざとだ、という噂があるんだ」
 


テニスコートがあったあたり


「このあたりの農家では当時財産争いが多く、それがらみの事件のようなんだ。昔はこのあたりは普通の農家だったんだけれど、川崎が工業地帯になったせいで土地の値段などが上がり、急激に金持ちになった農家が多くなった。それで財産争いが起こるようになって、兄弟同士で裁判をするなんて家もあったんだよ。あれは事故ではなく事件である、と言われている。迷宮入りになったようだけどね」と答えてくれた。
   
幽霊の噂に関しては「近くにお墓があって霊が出そうな雰囲気だからじゃないの?」とのこと。
 


事故現場の山の上にお墓がある


もしかしたらここに現れた霊は、交通事故に遭った怨念によるものではなく、財産関係のトラブルに巻き込まれた怨念によるものなのかもしれない。特に事情を知る農家の人たちの間では「恨みを抱いたあの人の霊が現れた」と噂が立ちやすかったのではないだろうか?

ちなみに野川柿生線上には、緑ヶ丘霊園という有名な心霊スポットもあり、付近の幽霊の噂の流布を助けている可能性もある。



なぜ当時心霊現象がマスコミで報道されたのか?



今では考えられないが、昭和50年代には今回の「女のシミ」など心霊現象をマスコミが取り上げることが多かったようだ。それは世間がそのような問題に関心が高かったからだろう。

昭和45年代にはオカルトブームが起こった。テレビのワイドショーで心霊番組が放送されたり、『心霊写真シリーズ』なる本が出されたりした。
さらにユリ・ゲラーなどの超能力ブームや矢追純一のUFO番組が人気になったのもそのころだ。

私の記憶でも学生時代、修学旅行時に「華厳の滝の岩肌に女の顔が見える」などと騒いでいたことが思い出される。信じない人は「岩肌の影がそう見えるだけだ」などと冷めていたが、そんなことを集まってみんなで話すことを楽しんでいた。

ブーム当時の心霊写真を見ると、はっきりと顔が写っていたりする心霊写真もあるが、判別しづらいものがほとんどだ。

毎日新聞では「全校上げて霊魂論争~東京都東村山市の八坂神社では、心霊写真がよく写る。中学生の心霊写真研究グループが境内の石碑を写した写真に人間の顔の心霊写真が写っていた、という」との話が取り上げられている。
 


毎日新聞1974(昭和49)年、1975(昭和50)年東京中日スポーツ、いばらき 1985(昭和60)年

 
このように「心霊写真や岩肌や柱などの物体に浮き出たシミが人の姿に見える」などは、霊能者ではない、一般の人でも認識できるもので「女の姿に見える」「いや、武士の姿だ」などと幽霊を見た気分で想像力をかきたて、当時の人たちを惹きつけたのではないだろうか?

その“物体に浮き出たシミ”のブームを生んだのは「1975(昭和50)年7月、茨城県守谷町中坪の公民館広場にある成田不動明王に石碑に幽霊がにじみ出る」という話といえるだろう。

1975(昭和50)年東京中日スポーツの記事を要約すると「1898(明治31)年に建立された、表面に不動明王が筋彫りになった石碑に、近所の少女が赤ちゃんの顔が浮かび上がっていることに気づいた。この話が人づてに広がりマスコミ各社が取材に来るようになり、石碑の前が連日多くの人並みで埋まった。ジーッと見ていると石碑の表面に、猫の顔や僧侶の姿が浮かび上がってく
る。人によって現れて見えるものは違う」とのこと。
 


1970~80年代には新聞にも多数心霊現象の記事が出ていた

 
また同じく茨城県で似たような話が新聞に載った。

茨城の地元紙1985(昭和60)年6月の記事を要約すると「茨城県東海村にある高さ2.5メートルほどの「馬力神」の塔に、1985(昭和60)年3月ごろから車のヘッドライトの角度で女の顔が浮かび上がるといううわさが立ち、多い時では100人が見物に来る」とある。

さらに恐怖現象をまとめた書籍『日本怪奇ゾーン』によると1978(昭和53)年6月には、和歌山県経済センタービルの地下西側駐車場のコンクリートの壁に浮き出た人間像のシミが話題になった。

「戦時中の大空襲で、人々は経済センターの西側にあった公園に逃げ込んだが、火がおよび大勢が焼け死んだ。犠牲者たちは駐車場西側壁面あたりで合同埋葬された。壁に現れたのが母子像と分かると、集まった人々は、近くのお寺から住職を招き、母子像に対する供養を行った」とのこと。



取材を終えて



一般的に幽霊というと、霊能者のような特別な人にしか見えない可能性がある。しかし石碑や柱にシミとなって現れる幽霊などは、一般人でも認識しやすい状況下における心霊現象といえよう。
昭和のオカルトブームも、石油ショックや公害問題など進歩する科学技術に対する不安から来た、という話がある。人々が柱のシミなどに心霊現象を投影して、非科学的な不思議な世界への関心と期待を高めていた時代だったのかもしれない。
 


補強工事の鉄板の下で女のシミはまだ姿を現しているのかもしれない



―終わり―
 

参考文献

『都市妖怪伝説』
『日本怪奇ゾーン』

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  • 自分は中原区の下小田中で育ちましたが、確かにこの話は有名でしたね。大人になり、多摩区の宿河原に住み、車や溝の口から新横浜行きのバスにほぼ毎日乗るようになり、これらの噂話がなぜ起こるのか、少し分かるようになりました。暗くて危ないんですよね、第三京浜の下。だから何かいるような気がする。人間は本能的に暗闇を怖がるというのは科学的な話です。だから色々な話が作られる。非科学的なオカルトの話はどうでもよいので、現実的に安全な道にして欲しいです。昔事故が起きたなら再発させてはならない。それは死者への供養の一つではないでしょうか。今住んでる宿河原の隣の久地を通る東名の下も暗いですし、側道も危ないです。LEDも普及し始めた今、改善が望まれます。

  • 1985年に横浜市内の大学に入り都内からよくバイクで通っていたので第三京浜川崎ICをよく利用していた。当時結構この話が話題になったので毎回その柱を探していたけどはっきりとシミを見たことは一度もなかったな。まあバイクで走りながらだからかもしれないけど。

  • 今は他の店に変わってますが、自分はこの直ぐ近くのカラオケ店で15年程前に店長していた者です。赴任初日、同じく店長研修の男性と二人で、お互い初勤務だったのですが、お店をオープンさせる昼12時前に、レジを立ち上げていたら、目の前に、ピンク色のセーターの様な服、下が白色のロングスカートで、髪がストレートロングの女性が、昼前から夕方まで、自分の真ん前に立っていて、昼間だったので、気のせいだと思ってましたが、働いてたもう一人の男性が夕方、階段を清掃していたら、何度も後方を振り返って「おかしいなー」と呟いていたので、どうしたの?と聞くと、「さっきからそこに何かいない?」と言って、指差したところが、昼頃に女性が立っていた場所で、自分の目の前でした。文字数的に詳細は書けませんが、自分は、お店で寝泊まりもたまにしていて、この女性と、ママを探している3歳の女の子の霊を今でもハッキリ覚えています。

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