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日ノ出町駅周辺に「質屋」が集中しているのはなぜ?

ココがキニナル!

京浜急行に乗って車窓を眺めていると、日ノ出町駅付近で「質屋」の看板を多く見かけます。日ノ出町駅付近に質屋が多いのはなぜ?(恋はタマネギさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

日ノ出町から伊勢佐木町にかけて質屋が多い。理由は遊技場や歓楽街を擁する繁華街であるからで、戦後質屋の需要が高まった時期に店舗が増えた。

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ライター:小方 サダオ

質ロデオドライブに伺う(つづき)

「また『質屋に入れるものないから女房を入れて博打をやる』という落語がありますが、博打打ちも質屋を利用します。日本三大ドヤ街として知られる寿町もその場所のひとつです。寿町や松影町には、横浜港復興で出稼ぎ労働者が住んでいて、造船やドッグヤードなどで働いて日銭を稼いでいたのです」

「瑞穂ふ頭は、朝鮮戦争やベトナム戦争の後方支援の軍事拠点となっていましたが、そこでは戦場から送られてくる死体を船から降ろし、本国へ送るために洗ってきれいにするという仕事があり、彼らにとっていいお金になったそうです。そのドヤの中に博打場があったのです」
 


競艇場外船券売場「ボートピア横浜」
 

出稼ぎ労働者が住み、博打場があった寿町
 

「そのため質屋のお客として一日50人以上はドヤの人がいた時もありました。1人で出稼ぎをしているため仕送りの必要もなく、酒や女や賭け事などにお金を使っていたのです」  
 


寿町付近にあるパチンコ店
     

「また伊勢佐木町は昭和40年代までは横浜一の歓楽街でしたから、ヤクザのお客も多かったです」とのこと。
 


横浜一の歓楽街だった伊勢佐木町
 

有名人のお客に関して伺うと「昔は桂歌丸さんも質屋をご利用されたことがあるそうです。そのご縁からか、神奈川質屋組合の、高座に座った姿のポスターに載る仕事を引き受けてくれました。 また戦後の有名な歌手の弟が、姉の宝石や衣装を質入れに来たことはありました」と答えてくれた。
 


桂歌丸さんをモチーフにした質屋組合の看板
 

質屋の職業意識に関して伺うと「私は質屋の仕事をはじめてから古いものを大事にし、古いものの価値を再評価する意識が生まれました。今では技術が発達して、腕時計、車など、どんなものでも家電製品になってしまいました。直して使うのが難しいものになってしまったのです。車も電子制御になっていますが、キューバではまだ50年代のアメリカ車が走っていて、機械なので修理ができるのです。『古いものを直して使う』というのは大事なことです」
 


外車のイメージ
 

「また質屋には人情も必要です。私の父は、あるお客が『雨が降って仕事にあぶれて、どうしようもなくなった』と、価値の低いものを持ってきたとき、とりあえず1000円を渡しておいて、質草としては扱わなかったことがありました。金融と違って取り立てはできませんし『物の価値はなくてもその人がそう言うならと貸し、それで損をしてもそれも質屋だな』という気持ちを持っていたのです」とのこと。
 


質ロデオドライブの入り口
  

質屋業界に関して伺うと「現在は貸金業規制法が改正されましたが、以前は、金融業者からお金を借りると何もない所でお金が貸されるから、返さなければ債務が重くなり、厳しい返済や取り立てがあったかと思います。しかし質屋で借りるのは、元々持っている物が流れるだけ、債務が発生しないため、身の丈に合っていてちょうどいいのです。しかし本当に価値のあるものを持っていれば、質屋では大金を貸してくれるのですが、今はそのようなものを取得することは難しいので、質屋は利用しにくいのかもしれません」
  


清潔感のある質ロデオドライブの店内
 

「質屋業界がかつての盛り上がりを見せることは考えにくいでしょう。しかし質屋の形態が変われば良くなる可能性はあります。当店はブランドバッグの買い取りを日本で最初に始めました。質屋の暗いイメージを払拭するために店を改装して物を売っていけばよくなるのではないか、と継続してきて、20年が経ちました。当時は中古のブランドバッグがお金になり、流通するとはだれも思っていませんでした」とのこと。
 


ブランドバッグの買い取りの先駆け、質ロデオドライブ
 

ほかの都市とくらべて横浜の質屋の特徴に関して伺うと「横浜の質屋は数が多いです。当店は新宿にも店がありますが、新宿では、最盛期で60軒ほどあったにもかかわらず、今は10軒ほどしかないのです。東京にしては数が少ないです」

「横浜の店が生き延びたのは、自分だけ儲けるなんてありえないと、お客の立場に立ってきたからなのです。質屋業界が最盛期を過ぎる前の早い段階から、自主的に融通を利かせてフレキシブルに対応したので生き残っているのです。横浜は30年前にお客様の目線に合わせる姿勢に変えました。今はほかの都市でも横浜と同じ水準になっているようです」
 


伊勢佐木町内には質屋の看板が多い
 

「また私は、質屋組合の仕事とは別の活動で『ATF全国質屋ブランド品協会(質屋の販売商品から偽造ブランド品を排除することを目的として会員質屋が協力して研究・情報交換を行う団体)』の理事をしています。質屋はATFを通じて、『目利きになって質屋同士190社の情報網で見分けていこう』と、偽物を買わないように一生懸命勉強しているのです」 と答えてくれた。

お忙しい中、気さくに取材に応じてくれた原社長に感謝し、お別れをした。
 


質 浜一にお話を伺う



前出の岩田さんに、1948(昭和23)年から続く老舗の質屋ということで、中区末吉町の質 浜一を紹介していただいた。

大岡川沿いに建つオシャレな外観の質店だ。店主の林さんにお店について伺う。
 


質 浜一
 

ハイセンスなお店の外観
 

「当店は1948(昭和23)年に、祖父と祖母が始めました。初めは伊勢佐木町で進駐軍の払い下げ品を譲り受けて古着を売っていました。しかし質屋の需要があると感じ、ここに場所を移し、質屋を始めたのです。1965(昭和40)年ごろまで英語の台帳があったのは、米兵のお客が多かったからかもしれません」 とのこと。
 


港・ヨコハマの風情を想わせる壁に描かれたタイル画
 

オシャレな店構え
 

ショーウインドーに並ぶ商品
 

質 浜一の店内
 

質物や客層に関して伺うと「以前は基本的に質でしたが、今は来店の段階で“質か買い取りか”伺います。質物としては、昔は衣類、背広や和服が多かったですが、今は時計、カメラなどの電化製品が一般的です。またバブルのころは宝石が多かったです。お客は京急沿線沿いの方が来られますが、黄金町の風俗店で働いていた人なのでしょうか? タイやフィリピンなどの外国人の女性のお客が来たときがありました」

「また年金が入る時までのつなぎで、品物を質に預ける方もいらっしゃいます。パチンコなど賭け事のお客もいますが、故郷で不幸があったからお金の工面のため、という深刻な事情の方もいました。昔は使い古したものに価値がありましたが、今は変わりましたね」と答えてくれた。
  


質屋について分かりやすく解説されている
 

外に出てお別れを告げると、林さんが「昔はこの大岡川沿いに、川にせり出した屋台があったのを覚えています」とつけ加えてくれた。

川沿いの屋台、と言うと、戦後桜川沿いに建てられた、日雇い労働者などのための簡易飲食店を思い出させた。そこにあったような屋台が、この場所にもあったのだろうか。

そうだとすると、質 浜一は、そんな生活苦にあえいでいた人たちの助けとなっていたのかもしれない。
 


質 浜一の前を流れる大岡川
 

以前は大岡川沿いに屋台が並んでいた、という
 

野毛のヤミ市(『昭和の横浜』横浜市史資料室所蔵)
 

露店が雑然と並ぶ(『昭和の横浜』横浜市史資料室所蔵)
 



伊勢佐木町内のお店にも伺う



伊勢佐木町を散策していると、質屋やブランド買取店がいくつも確認できる。


伊勢佐木町の繁華街


ブランド品の買取・販売店
 

イセザキ・モール沿いにあるブランド品の買取・販売店
 

伊勢佐木町のある質屋を訪れ、店主に客層を中心にお話を伺った。
         
「商品は店頭のショーウインドーに置いておくと盗まれる可能性があるので、当店は、販売はしていません。客層は、以前は暴力団関係者のお客が多かったです。当時は堂々としていましたが、今では暴対法で暴力団との取引が禁止されているので、むしろ暴力団と分からなくしています。夏場で半袖になった時に『この人そっちの人か』と気づくときがありました」

「今はホストや韓国人などの外国人のお客が多いです。パチンコの金策としてという理由もありますが、豊かな今でも生活質(生活のための質)もありますよ。DVをする夫の妻で、お金がないため品物を質に入れさせられている、という場合もあるようです。また年金や生活保護受給者で、受給まで指輪を出しに来るお客もいます。消費者金融も銀行も相手にしてくれない人で、生活をつなぐためにお金が必要な人はまだいます。そのような人にとっては、質屋は助け舟といえ、質屋がなくなると困ると思いますよ」と答えてくれた。
 


人でにぎわうイセザキ・モール
 

イセザキ・モールにあるJRAの場外馬券場
 



取材を終えて



進駐軍の遊行費のための金策等、質屋は戦後、日ノ出町や伊勢佐木町が繁華街へと発展してゆくのを助けた存在だった、といえよう。

また人々の「物を大切にする意識」が強い昨今だが、「中古リサイクル店に売る」ことよりも、さらに一歩進んで「質に預ける」ことの方が物を大切にする意識が強いといえるだろう。
  


にぎやかな、伊勢佐木町と日ノ出町をつなぐ道路
 


―終わり―
 

岩田質店
http://www18.ocn.ne.jp/~iwata78/
 
株式会社アールケイエンタープライズ
http://www.rk-enterprise.jp/

質ロデオドライブ イチオシページ
//hamarepo.com/ichioshi/66739.html

ATF(一般社団法人 全国質屋ブランド品協会)
http://www.atf.gr.jp/

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  • 絶賛するコメントを書いた人には悪いですが、もう少し読みやすい記事を心掛けていただきたいです。冗長な文章、定まらぬ論点、多用される「」などなど、読みにくいと感じてしまいます。

  • 丁寧な取材とレポート、ありがとうございます。理由は遊技場や歓楽街だったのですね。質草となるような品物も持ち合わせておらず、幸いにも(?)質屋さんにお世話になったことはありませんが、今後も営業を続けていただきたいです。ブランド品の買い取り店より、味があっていいですよね。質流れ品のウィンドウショッピングでもしてみようかな。

  • スマホを見ずに、車窓から外を見ていて気付いた、いい質問に、まじめに熱心に興味を持って取り組んだすばらしい取材記事でした。「横浜らしさ」が「質屋」取材を通して浮き上がってきます。中区の懐かしい写真もありがとうございました。不老町生まれの老爺は、「はまれぽ」を毎日読む楽しみに完全にはまっています。  宙

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