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「誰だと思ってるんだ?」、横浜が生んだ笑いの神「トレンディエンジェル」斎藤司さんを徹底解剖!

ココがキニナル!

「誰だと思ってるんだ?」、横浜が生んだ笑いの神「トレンディエンジェル」斎藤司さんを徹底解剖!

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ライター:山口 愛愛

今の斉藤さん
  
―高校卒業後、日本大学の商学部に進学されましたね。そのころは芸能界を目指していたんですか?

ジャニーズに憧れて、歌って踊ってキャーキャーいわれたいと思っていました。19歳でジャニーズ事務所に履歴書を送ったんですよ。遅いですよね、19歳は。たぶん、年齢的な問題で落ちたのかな。それしかない。そのころ、妹が買っていた『Myojo(明星)』の木村拓哉さんのシールをもらって部屋に貼ってたんですけど、自分と見比べてみたら、ちょっと違うんですよね、ちょっとだけ。
 


今でも心はジャニーズ
 

―ちょっとですね(笑)。憧れと諦めと、心境の変化が出てきたんですね。

そうですね。V6が出てきて、同い年くらいの三宅健(みやけ・けん)君の髪型に憧れました。サラサラな前髪を斜めに垂らしているのがかっこよかったんですよ。

三宅君が『Myojo』でトリートメントの仕方を紹介していたので、必死に真似したんですけど鬼のようにクセ毛でぜんぜんあんな風にならなくて。
サラサラにしたくて、リンスをめちゃくちゃ塗って洗い流さなきゃいいんだと思たんですけど、すごいダメージだったんですね。それを繰り返してたらハゲてきちゃって(笑)。ゆすぎが大事ということに気付きました。
 


ゆすぎが大事だぜ

 
―頭皮のダメージの原因はリンスですか?

それもあったんですけど、1番はストレスですね、完全に。23歳のころから、ハゲてきたんですけど、名古屋に好きな子がいて、うまくいかない遠距離恋愛と求人誌の飛び込み営業の両方のストレスでハゲてきちゃいましたね。

―どんな仕事をされていたんですか?

求人誌の『DOMO』に掲載する店への営業です。担当が大田区だったんですが、家族経営の飲食店が多く、求人募集なんかしていないので、毎日追い返されてました。
何度も行かなきゃいけないのに、怒られるのが嫌で、途中から店に行ってメニューを書き写す日々。
 


会社は渋谷。ストレスで苦痛の日々

 
―それで転職を決意されたんですか?

営業の仕事はアルバイトでやっていたんですけど、その会社の人員整理でクビになったんです。
やっぱり自信の持てる、やりたいことをやろう! と、お笑い芸人で芸能界を目指そうと決意したんです。でも、どうやったら芸人になれるのか分からなくて、ネットで調べたんですよ。その途中で楽天の求人を見つけて、やっぱ安定だよなと思って(笑)。それで面接に行きました。

―安定の楽天へ(笑)。そこではどのようなお仕事をしていたんですか?

「車」の事業部だったので電話営業をしたり、楽天のテナントに出店してもらう店のホームページをつくったり。なので、画像処理して看板を作るなど、幅広くやっていましたね。ここではストレスはありませんでした。
 


「GREE」の創業者で社長の田中良和(たなか・よしかず)氏も同時期に在籍

 
―ストレスはなかったけれど、楽天を辞めて、NSC(吉本興業の養成所、ニュー・スター・クリエイション)に入りますよね? 何かきっかけはあったんですか?

同期が目標を達成できず、上司に怒られているのを見たんですよ。そこで、ちょっと考えて。

商品を売り込むときって、心から本当にいいですよ、と思えるものばかりではなくて、「これはいいものだ」とちょっと自分に暗示をかけて売ってる感じってありません?

お客さんに本当に自信を持っていいものをお伝えするんだったら、自分を売った方がいいと思ったんですね。自分が売れなきゃ、それは仕方ないって。前の仕事も含めて、営業は自分を売ることだと気付いたんですよ。自分を気に入って買ってもらったほうが早いなと。

―社会での営業の経験がそこにつながるんですね。

そうなんです。求人誌の営業をしていたときに、何かの本でNSCの広告を見たのを思い出して、それで養成所に応募したんですよ。

―養成所に入ったときは、これほど成功すると思っていました?

はい。人気が出るイメージはしていました。絶対に売れる。誰と組んでも売れると言い続けていました。それは常に口で言うようにしていたんです。
 


「絶対に売れる」とずっと周りに言っていた

 
―ネタに自信があったんですか?

いやぁ、そこは。でも売れる自信は持っていました。

コンビを最初に組んだ1つ年下のヤツが、不動産屋で働きながら養成所にきていたので、芸人になると覚悟を決めたなら「仕事を辞めなよ」と言ったんですけど、辞めなくて。

そいつに、二子玉の河川敷で初めてネタを見せたんです。「俺の処女作どう?」って真剣に聞いたら、「処女膜破れてないね」って。片手間でやってるヤツに言われて、マジでムカついた(笑)

―それで、たかしさんと組むことになったんですか?

たかしとは集団コントの授業でいっしょになって、相方が辞めて1人になったので「一緒に組みたい」と電話をもらったんです。僕はコンビを組んでいたので、それで3人になったんですけど、最初の大事なネタ見せのときに、元の相方が遅刻してきたのでクビにして、それで2人になったんです。
 


取材中、何度も笑い崩れてしまう

 


ハゲネタ芸人からエンターテイナーへ



―たかしさんと組んで、ハゲラップなどのネタを始めたんですか?

最初はハゲネタはやっていなかったんです。ハゲネタなんて、昭和の芸人がやるようなことだと思っていたんで。でもほかのことで大爆笑がとれなかったんですね。

で、あるときスポーツ刈りのヅラを被って、「松岡修造が納豆を食べさせにくる」というコントをやったんです。コントの技術がなくて6割くらいのウケでした。

ふだんは小さい劇場でカットアウト(一瞬で暗転)するんですけど、そのときの「ヤマハ劇場」は徐々暗転でゆっくり暗くなっていったんです。
そのときに、やばい、帽子を取って挨拶しなきゃ、と思って、帽子とヅラを一緒に取ったら、大爆笑が生れたんです。これだ! と。結局、ハゲネタに。
 


おもむろに頭を見せ、深く挨拶

 
―そんな誕生秘話があったんですね。ハゲネタは出落ちで終わったり、一発芸になりがちだと思うんですが、長く続けていくには、技術や信念が必要ですよね?

ハゲネタだけではきついとか、賞レースでも優勝できないなどと、先輩に言われて悩んだときもありましたね。そう言われるのも分かるんですが、それしかできないし。
自分に合ってるなと思ったんです。やっぱりウケるし。ハゲネタを続けていたら、自分たちの味が出てきたんですよね。

―お2人が楽しそうなのがいいですよね。見ていておもしろいです。

おもしろいですよね、そうですよね(笑)。たかしと、おもしろいと思える価値観が一緒っていうのがいいんだと思います。

―M-1グランプリで優勝されましたが、決勝の1本目は新ネタだったんですよね。大勝負のときに初披露とは勇気がいりますよね? 

そうですね。でも会場のお客さんが温かくて、1本目はとにかく楽しかったですね。

当時はインスタ(グラム/Instagram/写真共有アプリ)にハマっていて、渡辺直美(わたなべ・なおみ)がよく拡散してくれたのもあって、おもしろいと言われ始めたころでした。10万人くらいにフォロワーが増えた時期だったんですね(現在のフォロワーは77万人以上)。

その流れでM-1の敗者復活戦があったんで、いわゆるネット票が強かったと思います。正直、インスタ効果があるから、強いネタを温存しても敗者復活は通って、3本やることになると思い、決勝で新ネタをぶつけたんです。まぁネット票だとしても、そのシステムを利用した斎藤の勝ちです(キメ顔)
 


2004(平成16)年のM-1は2回戦敗退も、今では王者の風格が

 
―決勝の2本目をやり終わった後、優勝しそうな手応えは感じていたんですか?

次のジャルジャルさんや銀シャリさんのときと比べて、お客さんの笑いの数でいったら、優勝できたかなと。
ほかの大会でも優勝するときは、待っているときになんか分かるんですよ。晴天の霹靂(へきれき)みたいな、独特の感覚が急にくるんですよ。まぁ、経験がなせる業です(キメ顔)

―M-1の優勝以降、お仕事の幅も広がり、俳優業や歌にダンスとお笑い芸人の域を超えたエンターテイナーという感じですね。

そうです。エンターテイナー斎藤さんです。幅広く、なんでもやりたいですね。芸人というとハードル上がるし(笑)
アユ(<浜崎>はまさき・あゆみ)が僕のことをすごい好きで(笑)ステージで共演するかもしれなくて。ここ1年でガラッと仕事が変わりましたね。

夢のBIGBANGとも共演でき、BIGBANGのファンミーティングの著名人からのコメントVTRも出させてもらったんですよ、この僕が。インスタでもBIGBANGのことを、よく書いていたから縁ができたのもあって。
やっぱり夢は言ったほうが叶うと思います。それは1年目のときから、ずっとやっている。そうなることをイメージすることが大事ですね。
 


歌やダンスも楽しめるステージ

 
― 今後のご活躍も楽しみにしています。では、最後に斎藤さんにとって横浜はどんな場所ですか?

たまに帰ってくると安らげる場所。営業で全国のいろんな所に行くようになって、田舎っていいなと思うこともありますけど、やっぱり横浜の実家に帰ったときに、ふと空気が変わって落ち着きますね。ふるさとです。横浜を盛り上げていきましょう!



取材を終えて

席に着くときから、取材陣に「狭くないですか?」、周りの背景を気にしながら「ここで大丈夫ですか?」など、気を配ってくれた斎藤さん。

どんな質問をしても、多くのエピソードや笑いで返してくれる機転の早さに驚き、笑いの絶えないインタビューだった。高校時代の辛い話も包み隠さず話してくれ、ありがたい。だんだんとイケメンに見えてくる、斎藤さんの魅力が詰まった取材だった。
 


「I LOVE YOKOHAMA」入りの貴重なサインもしてくれた


『耳で感じる斎藤さんだぞ 〜女は耳で恋に落ちる〜』好評発売中
 

耳で感じる斎藤さんだぞ 〜女は耳で恋に落ちる〜
発売日/2016年6月17日
発売元/よしもとアール・アンド・シー
価格/1000円+税
URL/http://www.randc.jp/artist/trendy-angel/discography/cds/

特殊なダミーヘッドマイクを使って録音した斎藤さんの美声が、耳元で感じられる。隣に斎藤さんがいるような臨場感にドキドキ。斎藤さんとたかしさんの禁断の愛を語る「漫才ボーイズラブ」も必聴。


―終わり―
   
斎藤司さんのサイン色紙を1名様にプレゼント!

ご希望の方はお問い合わせフォームから、以下の情報を明記の上、ご応募ください。
・お名前
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※当選の発表は商品の発送をもってかえさせていただきます。(応募締切:2016年7月15日<金>まで) 
 

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  • 田奈高生の話題がたくさん出て来て懐かしかったです。私も田奈高卒なのですが、世代的に遊んであげていた田奈高生が同級生かもしれないと思うとほのぼのします。これからもご活躍を楽しみにしております。

  • 田奈高卒なので、ドカン公園(桂台二丁目公園)と言う言葉に懐かしさを感じました。私の子供が日吉の日大付属に通っているので、この前、ロケで学校に来ていたと言っていました。良い思い出がないみたいなので、仕事とは言え辛かったでしょうね。

  • これだけハゲてる事を武器にネタにした芸人が居ただろうか…… 大抵は、隠しますよね。いちきゅう分け(もうバレバレなのに)、横分けバーコード状態(頭皮が透けてますよー).ヅラを被る(お気持ちは察しますが、明らかにこれは……でしょう)、某次期大統領も多分・・・でしょう。ヘタに隠しても ボウズ 二枚刈り、マルガリータにして堂々と生きましょうよ!❗️

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