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鎌倉にある神奈川県立近代美術館ってどんなとこ?

ココがキニナル!

日本最初の近代美術館、神奈川県立近代美術館を取材してください。(にゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

神奈川県立近代美術館は敗戦の混乱が残る1951年、芸術と文化で人々の心を明るくするために開館された歴史ある美術館だった!

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ライター:松宮 史佳

鎌倉に日本で最初の公立近代美術館があるという。美術館好きの松宮、これは取材せねば!

早速、神奈川県立近代美術館に取材を申し込む。ご担当者の方によると、同館は「鎌倉館」「鎌倉別館」「葉山館」の3つに分かれており、それぞれ異なる企画展を開催しているという。
1つの企画展が終了すると、次の企画展開催までは作品を入れ替えるため休館になるとのこと。
 
今回は「はまれぽ」の調査対象地域の「鎌倉館」と「鎌倉別館」を取材することに!

 


早速JR横須賀線で雨の鎌倉駅へ
 

若宮大路を進む
 

10分ほどで鶴岡八幡宮に到着!


が、しかし、美術館が見当たらない!掃除のおじさんに聞くと、「完全に通り過ぎてるよ」と言われる。・・・いつもの展開だ。数十メートル戻って美術館を発見!
 


神奈川県立近代美術館(鎌倉館)




神奈川県立近代美術館へ突撃!



笑顔のステキな女性、普及課非常勤学芸員の松尾子水樹(こなぎ)さんに1階の彫刻室でお話を伺う。(残念ながら写真はNG)
 


蛙や鳥の鳴き声を聞きながら取材を慣行


敗戦の混乱が残る1951(昭和26)年、“芸術と文化で人々の心を明るくしよう”と神奈川県立近代美術館は鶴岡八幡宮の境内に開館された。

なぜ、境内に開館されたのか?その理由は、鶴岡八幡宮の一部は国有地だったため、戦後は連合軍により占領されていたが、同年のサンフランシスコ条約により国有地が払い下げとなり、鶴岡八幡宮が土地を貸してくれたからだそうだ。ちなみに現在も土地は鶴岡八幡宮が所有しているが、建物は県が所有している。

また、当初は「作品を集めて展覧会を開催する」ということに活動の中心を置いていた上、購入費もなかったため、まとめて作品を購入することはなかったとのこと。しかし、活発に展覧会を開催し、徐々に作家や収集家の理解や信頼を得て予算もつくようになり、次第にコレクションが形成された。

現在は洋画や日本画、版画や写真など日本近代美術の分野を中心にし、公立美術館としては約1万点という有数のコレクションを誇る。所蔵作品には美術の教科書にも掲載されている岸田劉生作「童女図(麗子立像)」や松本竣介「立てる像」などを所蔵しているそうだ。
 


池に浮かんでいるかのような神奈川県立近代美術館


神奈川県立近代美術館を設計したのは建築家の坂倉準三(1901-1969)。東京帝国大学(現在の東京大学)文学部美術史学科を卒業後、渡仏して現代建築の巨匠ル・コルビュジエの元で建築を学んだ。1937(昭和12)年、坂倉はパリ万国博覧会日本館の建築において博覧会建築部門のグランプリを受賞し、国際舞台で認められた初の日本人建築家となった。

設計は5人の新進気鋭の建築士がコンペで競い、坂倉案が選ばれた。同案によって完成した建物は総床面積1,575㎡、鉄筋2階建てという現在の美術館としてはささやかなもの。しかし、このコンペは戦後間もなく混乱していた日本の建築界において「大きな出来事」だったそうだ。