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泉区中田北にある「千神麺工業」の麺がおいしいって本当?

ココがキニナル!

気になっていた千神麺の業務用ラーメン。今回太めの喜多方ラーメンを試してみたところ家族にも好評!でもネットでのクチコミがみつかりません。どんな会社なのか、巷の評判は?(せせらぎさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

以前は精麦業を営んでいた小麦についてのプロが、素材や水にこだわって麺を作っている。卸先や飲食店での評判も良く、今までで一番との声も。

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ライター:河野 哲弥

横浜周辺ではあまり見かけない謎の存在



投稿にあった「千神麺」。インターネットなどで調べてみると、本社所在地などの情報はあるものの、口コミの評判などはなかなか見つけることができない。

実際に横浜周辺のスーパーなどで探してみても、大手メーカーの麺ばかりで、その姿すら確認することが難しい。利用者の声を聞こうにも、どこに行けばよいやら見当が付かない状況だ。

そこで、千神麺工業に直接取材を申し込んでみることにした。
 


横浜市営地下鉄中田駅近く、千神麺工業に到着
 

象形文字のようなものが、トレードマークとなっているようだ


カメのように見えるこのマーク。麺だけではなく、会社の存在そのものが、何か神秘のベールで包まれている感じを受ける。さっそく、詳しいお話をうかがってみることにしよう。



元は大地主だった、同社の歴史

対応していただいたのは、同社の代表取締役を務める小山さん。その祖先は、この地の大地主だったのだとか。13代、約450年に渡る家系図も残っており、先々代までは、付近の農家が栽培した小麦などを製粉する精麦業を営んでいたそうだ。
 


同社の2代目となる小山さん


しかし、戦後の高度成長期になると、年々農業従事者の数が減っていったらしい。そこで1955(昭和30)年、小麦に関する知識を利用して何か新しいことができないかと先代が思いついたのが、製麺業とのこと。千神麺工業は、まさに第1次産業から第2次産業への時代の変化の中、創業されたことになる。
 


麺を入れる木製の箱にも、例のマークが


製麺の技術は、当時知人に紹介してもらった千葉麺業(現在廃業)に教えてもらったそうだ。このマークも、当時千葉麺業が使用していたものを、そのまま譲ってもらったらしい。「おそらく縁起物のカメを図案化したものだと思う」と小山さんは話すが、詳しいことは伝わっていないとのこと。

ちなみに千神麺工業の名前は、この「千」葉麺業と、創業地の「神」奈川から一文字ずつ取って、命名したのだそうだ。
 


今では、麺だけでなく各種「皮」なども扱っている


その後、高度成長期の中で出現したのが、いわゆる立ち食いソバ店である。創業間もないころの同社にとっては欠かせない存在で、1日約3000食売れた店舗もあったらしい。

また、その評判を聞きつけた企業などからの問い合わせも多く、一時は高島屋の社食にも出入りしていたそうだ。最盛期は、約20年前の平成に入った頃で、当時の年商は2億5000万円ほどあったとのこと。
 


同社の扱う中華麺一例、投稿された「喜多方ラーメン」もあった


そんな同社にとっての転換期は、戸塚の再開発にあったそうだ。ここ5年余りで、次々と飲食店が廃業。また、わずかに残った取引先からは、以前のように一括してではなく、麺の種類ごとに一番安い業者へ発注する方法に切り替えられていったとのこと。

例えば高島屋の希望価格では、中華麺単体では赤字でも、全体で黒字が見込めたらしい。それが中華麺だけの発注になってしまうと、取引を続ける意味がなくなってしまう。
 


自慢の万能製麺機も、稼働率は半分程度に


もともと評判に支えられていた同社、今まで特に営業をしてこなかったので、現在の年商は1億円程度にまで激減してしまったそうだ。かつての売上の、約2分の1になってしまったことになる。

その一方で、明るい話題もあるらしい。
千神麺のおいしさが忘れられないという卸先が、折からのヌードルブームに沸くオーストラリアやヨーロッパへ、販路を切り開こうとしているとのこと。
 


出荷を待つ、海外向けの商品例


海外では、カップヌードルなどの進出によって、次第に麺文化が広まりつつある。「使用している原材料規制など課題はたくさんあるが、何とか出荷のめどが付いてきた」と、小山さんは話す。