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鶴見区「生麦」の地名の由来って?

ココがキニナル!

鶴見区にある「生麦」の地名の由来ってなんですか?

はまれぽ調査結果!

諸説あるようですが、一番の有力説は岸谷にある龍泉寺のお墓に書かれていた「生麦の碑」が何か関係しているようです。

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ライター:河野 哲弥

現在の「生麦」は、旧東海道沿いに魚介商が並ぶ「魚河岸の町」として知られています。
なのに、どうして麦を使った地名がついたのでしょうか。

さっそくインターネットで調べてみると、「江戸幕府第二代将軍秀忠の行列が通る際、道がぬかるんで悪かった為、住民が街道脇の麦の穂を敷き詰めて整備した」という説明がありました。

でも、海岸沿いに麦なんて、ちょっと思い浮かばない光景ですよね。
そこで、改めて町の人に聞いてみることにしました。



町の人に聞いた「生麦の由来」とは


 


旧東海道沿いに並ぶ、魚河岸の看板

 


魚介商の方に聞いてみた


すると、

・秀忠ではなく、徳川家康が入国した際に、生麦を刈り取って道を開いたという説
・道ではなく、大名行列が通るときの休憩所を、麦を刈って作ったという説


など、諸説が出現。

やはり、「麦」が関係しているのでしょうか?
そんな中、生麦駅近くに研究家がいて、その人なら何か知っているかもしれないとの情報を得ました。

早速ご紹介いただいて、訪ねてみることに…



またまた新説登場、生貝のむき身で生むき村?



教えて貰った場所に着いてみると、そこには「生麦事件参考館」と「神田屋酒の記念館」が建っていました。
この両館の館長をしていらっしゃるのが、神奈川施設ミュージアムネットワークの会会長を務める浅海武夫さん。

自費でこのような資料館を設立し、また生麦事件の研究家としても有名で、公演の依頼なども多いそうです。
本当は、アポなしでは中々お会いできないような多忙な方なのですが、何とか取材に応じて頂きました。
 


自宅兼の「生麦事件参考館」