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江戸の人気スポットだった「松寿弁財天」、その秘密は?

ココがキニナル!

江戸の大人気スポットだったらしい「松寿弁財天」が気になります/新年2013年は巳年。干支のヘビ関連の神様をお祭りしている神社レポートをお願いします(tamaさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

多摩川の大洪水から村人を助けた、松にかかった白い布。それが白いヘビになったという言い伝えが後に数々の伝説を生み、人気の観光地となった

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ライター:河野 哲弥

巳年ならでは、白ヘビの伝説を求めて



今回の投稿にあった「松寿弁財天」を調べてみると、多摩区宿河原にある常照寺に、「松寿弁才天図(しょうじゅべんざいてんず)」という川崎市重要歴史記念物が所蔵されているようだ。
 


JR南武線、宿河原駅近くにある常照寺の境内


本堂を訪ねてみると、住職の川腰さんが、貴重な同図の原画を用意して待っていてくださった。まずは、この文化財を手かがりに、伝説を追ってみることにしよう。



伝説の核になる「綱下げ松」とは



川腰住職によれば、この「松寿弁天図」は江戸時代末期の1858(安政5)年に、杜水という絵師によって描かれたものであるらしい。その後大正時代に、近くの豪農の手によって、傷んだ絵図の修復が行われたそうだ。
 


普段は複写された写真が飾られ、原画は非公開となっている
 

弁財天が、竜のような生き物の上に座っている


この絵図を見てみると、下の方には川が逆巻く姿、上の方には松の枝らしきものが確認できる。実はこの弁財天図、かつて江戸時代に起こった、多摩川の氾濫をモチーフとしているらしい。「洪水によって流された村人が、1本の松から下げられた白い布を頼りに丘へ避難してみると、その布は弁財天が遣わした白いヘビであった」という言い伝えが、この地に残っているそうだ。
 


本堂の欄間(らんま)にも、弁財天と白いヘビの彫刻が見受けられる


また、肝心の松は、この境内にはないそうだ。同寺が境外地として管轄している、現「緑ヶ丘霊園」の一角にあるという。また、伝説の詳細については、郷土史研究家である角田先生が詳しいとのこと。
そこで次に、「綱下げ松」があるという霊園へ、向かってみることにした。



細い松に、一抹の不安



川崎市営緑ヶ丘霊園は、南武線の津田山駅と久地駅間にある、広さ約60ヘクタール(東京ドーム13個分)ほどの墓園である。管理事務所で「綱下げ松」の場所を聞いてみると、弁財天を祭る祠(ほこら)が建てられているのは知っているが、正確には同霊園の敷地ではないそうだ。
 


ここが問題の「祠」のようだ
 


白ヘビも、モチーフにされている


ご神体を拝見してみると、白いヘビがとぐろを巻いていた。さすがにそのお姿を写真に撮ることはためらわれたので、奉納された石碑などを参照していただきたい。

さて、案内板などによると、これこそが江戸時代の人気スポット、「松寿弁財天」であるようだ。天保年間、古木となった「綱下げ松」に霊魂があるとされ、人々の信仰が集まり建立されたと説明されている。しかし、肝心の松の姿は、どこを探しても見つからない。
 


唯一、松らしき木があったが、直径10センチメートル程度の若木


それにしても、「白い布がヘビだった」というだけで、そこまでのブームが起こるのだろうか。わざわざ江戸から観光客が訪れるほどの人気の裏には、何か特別な理由があったのではないだろうか。
松の件も含めて、ここは、専門家に頼るしかないだろう。最後に、郷土史研究家の角田先生宅を、訪問してみた。