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「溝の口」「溝ノ口」「溝口」・・・謎の「みぞのくち」表記の真相は!?

ココがキニナル!

「みぞのくち」は、「溝の口」「溝ノ口」「溝口」など表記が複数あります。なぜでしょうか?(浜っ子魚河岸五代目さんのキニナル) / 溝の口駅西口商店街をぜひ取材してください。(むろさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「みぞのくち」の表記は行政表示では「溝口」!立ち飲みや居酒屋が多く昭和の匂いを残すディープな西口商店街はかつて地域で最も繁栄した場所だった!

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ライター:吉田 忍

川崎市高津区にある「溝口」は「みぞのくち」と読む。ここには、東急田園都市線の「溝の口駅」と、JR南武線の「武蔵溝ノ口駅」があって、「の」「ノ」と、表記が違っている。なかなかややこしい。

そして、このややこしい「みぞのくち」には、異彩を放つディープスポットがいくつもある。特に昭和のムードを色濃く残す「溝の口駅西口商店街」は独特の雰囲気でファンも多い。

そこで、今回は溝の口駅西口商店街と、街で見かけた「みぞのくち」表記の混乱ぶりをご紹介。



ディープな溝の口駅西口商店街へ


 


「溝の口駅西口商店街」なのに、「溝口駅近道」


いきなり「みぞのくち」の表記がややこしいことになっているが、表記問題は後回しにして、商店街でお話を伺うことに。

まず、キニナルにあった「パンやお菓子まで販売しているクリーニング屋さん」だが、現在は場所が変わっていた。
 


かつて「パンやお菓子まで販売しているクリーニング屋さん」があった場所


見回してみると、少し東に「クリーニング」の看板があった。以前はキオスクくらいの大きさの店舗前面にパンやお菓子が所狭しと並び、奥にクリーニング済でビニールがかけられた衣類がズラリと下がっているというカオスでディープな店構えだったが、今はポップな黄色で真新しく広い建物になっていた。
 


店頭に並べられたパンやお菓子の数は、以前に比べて[だいぶ少なくなっていた


看板代わりに巨大な昔のアイロンオブジェが飾られている。「お店の名前がどこにもないですね」と伺うと、「駅前のクリーニング屋でわかるから。お店の名前は、鈴屋っていうんだよ」と笑顔で教えてくれた。
 


クリーニング店鈴屋の山根さん


お話を伺うと、昨年の11月、こちらの店舗に移られたそう。「動いたのはほんのちょっとだけど、パンなんかを買ってくれる方はかなり減ったね」とのこと。

それまでクリーニング店があった線路脇は農業用水路だった場所。昔はズラリと店が並んでいた。
 


植え込みになっている場所は元農業用水路


地元の方、何人かに伺ってみたのだが、その話を総合すると、西口商店街の水路上にあった店については以下のような経緯があったらしい。

終戦後、西口周辺は食品などを売る100軒ほどの店が並ぶ闇市だった。

この闇市では、線路脇の用水路の上にも店が建ち並んでいた。その部分は市が保有する公有地なのでいわゆる不法占拠だが、闇市自体が非合法に設けられた市場。

物資不足で餓死者も珍しくなかった時代、闇市は必要なものとして警察にも多くが黙認されており、まして私有地ではない用水路の上だったので、特に問題視されるようなことではなかった。
 


左側に用水路があって、そこにも店が並んでいた


1983(昭和58)年に、川崎市は用水路上にある店に建物の取り壊しを求めた。ただし、地元に根を張って長く商売を続けている店ばかりということもあり、強く立ち退きを迫られることはなかったらしい。

しかし、6年前の火災をきっかけに状況が変わる。
2007(平成19)年2月4日未明、不審火による火災が発生し、8店舗、約390平方メートルが全焼した。

再建許可を求める署名活動も行われたそうだが、用水路上は再建を認められなかった。クリーニング店は一番入口側にあったため、焼け残った。その後も営業を続けていたが、昨年11月に現在の場所に移転した。


火事の後、元用水路の場所の店はなくなったが、商店街はまだ昭和の雰囲気を残している




昔の西口商店街



西口商店街内の三叉路にある八百屋さん「澤田青果店」で、お話を伺った。
 


新鮮野菜が近所でも評判。澤田青果店の高橋澄子さん


今は居酒屋や立ち飲みの店が目立つので、近寄らない女性もいるそうだが、以前はレコード店、菓子店、乾物店、青果店などがあって買い物客が多く訪れていたそう。
「昔のことなら、そこの本屋さんが古いから聞いてみたら?」と教えてくれた。
 


昭文堂書店の小澤留雄さん・日出子さんご夫妻


ご夫婦がここで書店を始めたのは約40年前だが、日出子さんは、この商店街にあった豆腐店に生まれた。

「もともと大山街道の宿場町で栄えた場所で、戦後、最初に賑やかになったのはこのあたり。その頃の駅向こう(丸井がある側)は田んぼで、その周辺も畑が広がっていたわねえ」とのこと。

なるほど、この西口商店街は、旧大山街道と駅をつなぐ立地。とても便利な場所だったのだ。