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倒伏してしまった鶴岡八幡宮の大銀杏、その後はどうなる?

ココがキニナル!

風で倒壊した鶴岡八幡宮の大銀杏は現在どうなってるの?また挿し木などで増やした苗木はどんなところにあるの?キニナル。(にゃんさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

残された大銀杏は、もともと生えていた場所の隣りに移動。現在は大銀杏を移動した場所から生えているヒコバエを育成中。

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ライター:若松 真美

鶴岡八幡宮の起源



全国に同じ名前のつく神社は多いが、これは広く信仰された神が各地に分祀されたため。ちなみに鶴岡八幡宮のご祭神である「八幡さま」は「お稲荷さま」に次いで全国に2番目に多く、その数は4万社と言われている。
 


堂々とそびえたつ楼門(ろうもん)


八幡さまこと八幡大神の総本宮は、725(神亀2)年に大分県宇佐へ設立された「八幡総本宮宇佐神宮」。古墳時代に大陸文化と産業を輸入し、新しい国づくりをした15代天皇である応神天皇(270~310年)の神霊として、宇佐の地に祀られるようになったのがはじまりだ。また、伊勢神宮と並び、皇室の祖神(祖先である神様)としても崇拝されていた。

鶴岡八幡宮は1063(康平6)年に源頼義が奥州を平定(武力で治めること)し、鎌倉に入った際に源氏の氏神として出陣のご加護を祈願していた、京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜にお祀りしたことに起源する。

その後、源氏再興の旗揚げをした源頼朝が、鎌倉に入るとすぐに由比ヶ浜の八幡宮を現在の地に遷し、1191(建久2)年に鶴岡八幡宮を創建。八幡大神は源氏一門の信仰により武家の守護神や武道の神として、また国家鎮護の神として全国に広まっていった。

現在のご本殿は1828(文政11)年、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による江戸建築である。若宮とともに国の重要文化財として指定され、知っての通り今では国際的に知られる歴史ある鎌倉の中心となり、国内外より多くの参拝者が訪れている。
 


平日にも関わらず、結構参拝者は多い




鶴岡八幡宮のシンボルであった大銀杏が倒伏



今回投稿にあったのが、言わずと知れた大銀杏について。推定樹齢は1000年とも言われ、1955(昭和30)年には天然記念物に指定された。高さは約30m、幹の太さは7mもあり、朱色の社殿と並ぶように、大石段横にそびえたつ姿は鶴岡八幡宮のシンボルとなっていた。

そんな歴史ある大銀杏だが、2010(平成22)年3月10日、雪まじりの強風により根元から倒伏。筆者もテレビのニュースで知り、ショックを受けたことを覚えている。

現在は再生作業が進められているそうだが、一体どのように行われているのか。そしてご神木の行方も気になる。さっそく鶴岡八幡宮に取材を申し込む。

今回は大銀杏についてのご回答、写真撮影の許可をいただき現地へ向かうこととなった。
 


おなじみの鎌倉駅
 

若宮大路から鶴岡八幡宮へと向かう
 

立派な鳥居が見えてきた!




新たな大銀杏の育成方法とは?



鶴岡八幡宮から回答によると大銀杏の再生作業方法は、挿し木によるものではなく、ご神木があった場所や親木から生えた若芽である「ヒコバエ」を生育しているそうだ。

当初、専門家のアドバイスのもと、倒伏した大銀杏の根元から高さ4mまでを、もともと生えていた場所から隣りの7mほど離れた位置へ移動。根付かせると同時にその親木からのヒコバエと、大銀杏があった場所に生えるヒコバエを育てていく計画が進められる。
 


大銀杏。倒伏後とはいえ幹は立派だ!


そんななか同年3月18日には、大銀杏再生の祈願祭が行われたそうだ。

期間限定で境内に設けられた「芽吹きを祈る記帳所」には、1ヶ月半の間に6万人を超える記帳が寄せられたというからすごい。倒伏から1
月後には大銀杏があった元の場所からヒコバエが芽吹きはじめたという。

こうして現在は、何本かのヒコバエの中から生育の良いものを剪定(せんてい)し、育てている。
 


親木の隣り、ヒコバエが生えている場所