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古城のような旧根岸競馬場のスタンド、補修計画の予定は?

ココがキニナル!

根岸森林公園にある旧根岸競馬場のスタンドなど補修保存の話はないのでしょうか?建ってからかなりの年月がたっているので放置していたら崩れる危険も。歴史的に貴重だと思うのですが(タッカーさん、WELLさん)

はまれぽ調査結果!

一等スタンドは将来的な活用を考えて検討中。補修には数十億円が必要で、まだ目処が立っていない。

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ライター:松崎 辰彦

横浜が近代競馬の発祥地であることは、はまれぽ記事「根岸にある『馬の博物館』ってどんなところ?」でも見てきた。

日本初の洋式競馬場は1866年12月(旧暦・慶応2年11月)に横浜の根岸で誕生し、翌月の1867年1月(旧暦・慶応2年12月)、レースが開催されている。
この「根岸競馬場」は1942(昭和17)年に幕を下ろすまで、76年間の歴史を歩んだとされる。
 


かつての競馬場の様子。外国人が多い


投稿にある旧根岸競馬場のスタンドとは、現在は根岸森林公園にある一等スタンドのことである。当時は一等馬見所(いっとううまみじょ)と言った。

横浜は1923(大正12)年に大震災の被害を受け、根岸競馬場の馬場にも大きな亀裂が生じた。それまであった木造のスタンドも壊れたが、大正から昭和になって復興が進むと、スタンドも新たなものが建設された。

それが今回とりあげるJ・H・モーガン設計による一等スタンドで、現在ではこの建物だけが往時をしのぶ時代の遺物となっている。



馬見所を見る



ともあれ一等スタンドを訪れてみよう。今回は、根岸森林公園に隣接する根岸競馬記念公苑から行くルートをとらせていただく。
 


根岸競馬記念公苑に着く


JR根岸駅から徒歩、あるいはバスで根岸競馬記念公苑へ。敷地の中へ入ると、すでに遠くに三人の巨大な衛兵のようなスタンドが顔を覗かせている。
 


すでに顔をのぞかせている


そのまま脇道を進むと建物が見えてくる。巨大な衛兵と見えたものは一つの建物の三つの上階部分で、全体を眺めるとおとぎの国のお城のような、不思議な存在感がある。
 


旧根岸競馬場の一等スタンド


設計者のモーガンは1920(大正9)年、東京の丸ビル設計のためにアメリカから来日し、そのまま横浜に住んだ。

一等スタンドは地上7階、延べ面積約7,700㎡(横浜スタジアムのグラウンド面積の約0.6倍)、観覧席4,500席。さらに貴賓室・委員室・食堂・騎手室・ラウンジ・休憩室・事務室などがあったと「根岸の森の物語」(馬の博物館編)には記されている。
 


スタンドの設計図


一等スタンドの建設が着手されたのは1929(昭和4)年5月のことだった。完成したのは、現地のパネルによると1930(昭和5)年である。東側には二等スタンドも建てられた。

総工費は約40万円(現代の貨幣価値で約20億円程度と考えられる)、当時としては目を見張る近代建築だったという。支柱をできるだけ少なくして、左右のコーナーもよく見渡せるようにした。「日本一見やすいスタンド」と言われ、全国の競馬スタンドのモデルとされた。