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東海道の名残を探す旅!はまれぽ東海道中膝栗毛

ココがキニナル!

横浜市内に3つの宿があった東海道。今も、当時をしのばせる「名残」が各所に残っている。編集部・千葉が、はまれぽ誌上の記事を振り返りながら、その名残を探す旅に出発!

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ライター:はまれぽ編集部

歌川広重の「東海道五十三次」は、東京・日本橋から京都・三条大橋へと続く東海道にある53の宿を描いたおなじみの浮世絵である。また、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の「東海道中膝栗毛」は、弥次郎兵衛と喜多八(通称:弥次喜多/やじきた)の二人が、江戸から京都、大阪を目指す珍道中を描いた旅物語だ。

数多くの作品のモチーフになっている東海道。ご存知の通り、横浜市内には神奈川宿、保土ケ谷(程ヶ谷)宿、戸塚宿があり、旅の重要な拠点となっていた。はまれぽでも、多くの記事にその名前が登場している。

現在でも、当時をしのばせる「東海道の名残」が残っている。今回は、編集部・千葉が「弥次喜多」に成り代わり、はまれぽ誌上の記事を振り返りながらその名残を探す旅に出る!
 


イメージは、東海道五十三次を題材にしたゲームらしい




海の町として栄えた神奈川宿

神奈川湊のそばにつくられた街で、相模国や武蔵国多摩郡方面への物資の経由地として重要な拠点となった神奈川宿。
 


各所に「神奈川宿歴史の道」の碑がある


かつてはすぐ近くまでが海だったこのあたりは、歌川広重の浮世絵では「台之景」として描かれている。「台」とは「高台」のことだ。
 


現在の青木橋周辺から横浜方面を眺めたアングル


浮世絵には帆船が浮かんでいて、なかには釣り船も見える。「東海道中膝栗毛」では、「座敷はほとんどが二階造りで、波打ち際から眺める景色がいたって良い」という描写も見られ、“海の町”として描かれているのが特徴だ。

なお、当時の東海道は青木橋の西側から台町を通り、浅間町(芝生村)から天王町駅へと向かう。歌川広重の浮世絵に描かれた茶屋「さくらや」の位置には、料亭・田中家がある。
 


かつての腰掛茶屋通りは、昭和初期まで料亭街としてにぎわった
(「横浜に江戸街風情な街並はあるの?」より)


はま旅「神奈川編」では、周辺の「神奈川宿歴史の道」の碑をめぐった。開港当時はイギリス士官の宿舎だった「普門寺」や、フランス公使館として使用されていた「甚行寺(じんぎょうじ)」などを紹介している。はま旅「神奈川新町編」では、「良泉寺」が諸外国の領事館になることを断るため、本堂の屋根を壊して「修理中」であることを主張したという逸話に触れた。
 


神奈川宿歴史の道はタイル敷だ(はま旅「東神奈川・仲木戸編」より)


ほか、縄文時代には横浜新道あたりまで海だった、という話題を「神奈川湊はその昔、横浜新道まで入り海が広がっていたって本当?」で取り上げた。
 


横浜駅を越えて、保土ケ谷宿へ移動