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横浜市内に古くからある「橋」の歴史を教えて!

ココがキニナル!

横浜市内には多くの橋が架けられています。普段は何気なく渡っている「橋」に面白いエピソードはないのかキニナル!(トラズキノコさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

関東大震災の復興事業の一環で架けられた「都橋」。名前は古今和歌集に由来する。元は横浜港開港にさかのぼり、明治までは「野毛橋」と呼ばれていた。

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ライター:橘 アリー

横浜市内に、橋はいくつあるのだろうか?



横浜ベイブリッジのように横浜のシンボル的存在になっているものから、日常生活の中で何気なく徒歩や車で渡っているものまでさまざまな大きさや形状を持つ「橋」。
その橋に関する調査を行うにあたって、 まずは、横浜市内にどれくらいの数の橋があるのかを調べてみた。

すると、横浜市道路局が 管理している18区内の橋の数は 、2013(平成25)年4月1日現在で、1744橋であるそうだ。
図書館にあった一番新しい横浜市内橋梁位置図で見ても、市内の至る所に橋が架かっているのが分かる。
橋の規模はさまざまだが、かなり多い数である。
 


1996(平成8) 年9月現在の横浜市橋梁位置図(発行:横浜市都市計画局)


架けられた橋を年代順に追っていくと、中区に古い橋が多いことが判明 。昭和初期に架けられた橋が、中区には多く残っている。 昭和初期というと、関東大震災の復興事業が行われていたころでもあり、67橋のうち、22橋が、震災復興橋梁として架けられ、 今も残っている。


橋に関する震災復興関連の内容を資料で調べてみると、1924(大正13)年から1930(昭和5)年までの間に、東京と横浜で合わせて149橋 の橋が架け替えられていた。 
なお当時横浜市内に架けられた橋の数は、市に確認してみたが資料が残っていないので不明というが、復興事業で架けられ今も残っている橋は45橋あると分かった。
 


横浜市内に現存する震災復興橋梁


古い建物は目を引くが、橋は何気なく通ってしまいがちなので、こんなに多くの古い橋が現在も残っているとは驚きである。

明治時代に架けられた橋は、ほとんどが木製なので、関東大震災時の火災で、それらは焼失してしまっているようだ。関東大震災の教訓から、火災に強い鉄やコンクリート製の橋が架けられるようになった。
それ以降、橋の素材には強度に加え火災などにも強い鉄やコンクリートが用いられるようになった。

では、まだ木製だったころのエピソードが残っている橋はないだろうか、調べてみた。



都橋は野毛橋と呼ばれていた!?



中区の大岡川を挟んで、吉田町と野毛町の間に架けられている「都橋」。その横には都橋商店街があり、そこは「はまれぽ」の記事にもたびたび登場している場所である。
 


桜木町駅方面から見た都橋
 

橋の上は傾斜も緩やかで通りやすい
 

橋の中程にある照明器具にはレトロな雰囲気がある
 

手すりには、松ぼっくりのような模様が!


今では多くの飲食店が軒を連ねる 商店街の名前にもなっている「都橋」。その名前が付けられる前は、「野毛橋」と呼ばれていたようだ。