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山下町の旧地名に藩の名前が使われていた理由を教えて!

ココがキニナル!

加賀町、薩摩町というのは、今は山下町になってるけど、どういう理由なのか。藩邸があったのでしょうか。(亜仔さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

居留地の警備に各藩の藩兵が置かれていたことがあり、加賀藩は日本大通に屋敷跡があったようだが薩摩藩は不明

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ライター:橘 アリー

横浜の居留地



現在は町名では無いが、加賀町は「加賀町警察署」の名前に、薩摩町は「薩摩町中区役所前」というバス停の名前として残っている。
 


現在の加賀町警察署
 

薩摩町中区役所とは何なのか?と不思議に思う名前である


加賀町と薩摩町は、共に山下町が居留地だった明治時代の町名である。
以前、加賀町については加賀町警察の名前についてのキニナルで調べたことがあり、山下居留地に加賀藩や薩摩藩などの藩兵が置かれ、そこの警備が行われていた。
加賀藩については、現在の日本大通61番地辺りにその屋敷があったようだと分かっている。
 


日本大通を堺にして、右側が日本人の居住区で左側が外国人の居留地だった


そこで今回は、なぜ「薩摩町」や「加賀町」が「山下町」になったのか、薩摩藩の藩邸が有ったのか、そして、居留地に藩兵が置かれるようになった理由、などについて調べてみることに。



どうして「藩」の名前が地名に?



今回のキニナルに関する「薩摩町」や「加賀町」は、かつて山下居留地にあった地名のことである。

横浜は1859(安政6)年に開港。現在の神奈川県庁が建つ場所に輸出入の取り締まりなどを行っていた現在の税関にあたる「運上所」(うんじょうしょ)があり、そこを境に、東側は外国人の居住区として作られた「山下居留地」があった。
 


県庁の敷地内に運上所跡の碑が立っている


なぜ全国の「藩」の名前が、山下居留地の地名に使われたのかは次の理由から。

居留地が作られた当時は番号(番地)だけだったが、それでは不便ということになり、藩兵が置かれていた地域や、もともとあった「本村通り」など「通り」のついた地名が町名としてつけられた。その後、1899(明治32)年に、横浜居留地の町名が全て廃止されたことにより、町名が「山下町」なった。

当時、廃止された町名は阿波町、上田町、蝦夷町、越後町、大坂町、小田原町、尾張町、海岸通り、加賀町、角町、九州町、京町、神戸町、薩摩町、駿河町、長崎町、日本大通り、函館町、花園町、琵琶町、富士山町、二子町、豊後町、堀川町、本町通り、本村通り、前橋町、水町通り、武蔵町、武蔵横町の30に及ぶ。

これら、加賀町・薩摩町などの町名は、1879(明治12)年に新設され、1899年に廃止されるまでの20年の間使われていた。
 


狭い範囲にこれだけの町名があると、覚えるのが大変そうだ
 

「山下町」の名前の由来は、山手居留地が高台にあったのに対して、その山の下にあるということで「山下町」という名前になったようだ。

次に、居留地に藩兵が置かれるようになった理由について調べてみた。