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金沢文庫は、かつて「かなざわ」ではなく「かねさわ」だったって本当?

ココがキニナル!

最近知ったのですが金沢文庫は「かなざわ」じゃなくて「かねさわ」と読むのが歴史的には正しいそうです。なぜ「かねさわ」が「かなざわ」と呼ばれるようになったのか気になります(sk2さん)

はまれぽ調査結果!

鎌倉時代には「かねさわ」と呼ばれていたが、江戸時代に諸国の情報が入手しやすくなると石川県の金沢が広く知られ、「かなざわ」という読みが広まった

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ライター:河野 哲弥

ズバリ、金沢文庫に聞いてみよう



地名には謎が多い。
読みが先行し後から当て字をふったものや、港北区の「大豆戸(まめど)」のように地形を示す言葉が転化していったものまで、それぞれにそれなりの理由がある。
 


今回は、駅名にも使われている「金沢文庫」についての調査


今回の謎は、県立の博物館「中世歴史博物館 神奈川県立金沢文庫」にたずねるのが近道だろう。連絡をしてみると、取材に応じてもらえるというので、訪ねてみることにした。



武家の書庫として設立された、「金沢文庫」の歴史



話を伺ったのは、同博物館で学芸員を務める高橋悠介さん。金沢文庫の読み方についての質問は、今までにも何回か受けたことがあるそうだ。
 


金沢文庫の正面入口


この写真、普段利用する西側からではなく、東の山側から撮ったものであることをお気づきだろうか。実は同館の正面は、あまり人の出入りがない、こちらの方なのだとか。その理由は、金沢文庫の歴史と、深い関係があるという。
 


西側から見た、金沢文庫の様子


「金沢文庫」は1275(建治元)年頃、北条実時により設けられた本のコレクションである。北条実時は鎌倉幕府の重鎮であり、施政や社交を行うための参考文献などを、充実させる必要があったのである。
 


国宝・北条実時像(称名寺所蔵・県立金沢文庫保管)


このとき実時は、本のコレクションを六浦金沢の邸宅近くに保管した。なお当時は、投稿にあったように、「かねさわ」という地名だった。したがって「金沢文庫」も、「かねさわぶんこ」もしくは「かねさわのふみくら」と、読んでいたと思われる。

その後、1333(元弘3/正慶2)年に鎌倉幕府が滅亡すると、「金沢文庫」は、一族の菩提寺(ぼだいじ)である「称名寺(しょうみょうじ)」が管理することになった。金沢文庫の東側に隣接する、浄土庭園を持つ仏閣である。
 


本堂の前に池を配置した「称名寺」外観


「称名寺」と「金沢文庫」の間には、山の尾根があったため、専用のトンネルが掘られていたそうである。現在のトンネルではなく、そのすぐ北側にあるのだが、今は立ち入り禁止となっている。
 


「称名寺」側からのトンネルの様子、奥に「金沢文庫」が見える


こうした経緯があり、金沢文庫の正面入口は、トンネルのある東側を向いているそうだ。
やがてその貴重な書物の一部は、室町時代から戦国時代にかけて、時の権力者に持ち出されてしまったこともあった。しかし、1930(昭和5)年に県立金沢文庫が設立されると、称名寺所蔵の文化財の多くは県立金沢文庫に寄託された。現在、県立金沢文庫では、「称名寺」に伝わる美術品・古文書などを中心に、約2万点を収蔵している(一般図書館の蔵書を除く)。
 


称名寺本尊の模像「弥勒菩薩立像(みろくぼさつりゅうぞう)」


では、「かねさわ」が「かなざわ」に転じていったのは、どうしてなのだろう。また、いつごろだったのだろうか。引き続き高橋さんに、話を伺うことにしよう。