検索ボタン

検索

横浜のキニナル情報が見つかる! はまれぽ.com

  • 36年ぶりに完全復活「横浜銀蝿 40th」。オリジナルメンバーで再結成!
  • 神奈川県内の横浜家系ラーメン店がどこにあるか地図からすぐわかる!横浜の観光情報「よこはまっぷ」
  • イベント開催、店舗オープン、新商品発売などリリース情報を配信したい方へ
  • はまれぽ.comにあなたのお店・会社を無料で掲載しませんか?

昭和30年ごろ、六角橋にロバが屋台を引いてやって来る「ロバのパン屋さん」がいたってホント?

ココがキニナル!

昭和30年ごろ、六角橋にはロバが屋台を引いているパン屋さんがいて子供たちに大人気だったそう。どこからパンを売りにきて、いつごろまできていたの?(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

「ロバのパン屋さん」は山下町の「星野商店」が昭和3年ごろはじめ、昭和30年代後半まで六角橋に来ていた可能性が高い

  • LINE
  • はてな

ライター:橘 アリー

楽しい移動販売!?



“ロバが屋台を引いてやって来る”というパン屋さんは、どのようなものだったのだろうか? どうやらいわゆるパンの移動販売をする店のようだ。現在自動車を中心に行われている移動販売。その普及まで、ロバ・馬・牛などの動物が力仕事の担い手となっていた時代があった。
 


可愛いロバが美味しいパンを売りに来るのは嬉しいものだ!(フリー画像より)


そんな「ロバのパン屋さん」があったとしたら、確かにキニナル。
そこで、まずは六角橋へ行って「ロバのパン屋さん」をご存じか聞いてみることに。
 


六角橋で覚えている人はいるのだろうか?



現在の六角橋近辺は、車の往来も激しく、「ロバのパン屋さん」が来ていたのどかな様子は想像しにくい。
 


六角橋近辺の様子


まずは、この地で古くから営業しているお店の方に聞いてみた。
 


星野陶器店さん


星野陶器店さんは、関東大震災後からこの地で営業。現在のご主人は、1955(昭和30)年ごろ、12~3歳くらいで、「“ロバのパン屋さん”というものがあったという話は聞いたことがあるが、見たことはない」とのことだった。

星野陶器店さんと通りを隔てたところにある、以前「六角橋に牧場があった?」に登場した末廣園さんにも聞いてみることに。
 


六角橋の生き字引、末廣園さん


末廣園のご主人も、1955(昭和30)年ごろは12~3歳くらいだったそうで、「ロバのパン屋さん」を見たことがあるような気がするが、パンを買ったことはない、とのことだった。

その後も、ご近所の商店何軒かで聞いてみたり、道を歩いている地元の年配の方12人にも聞いてみたりしたが、星野陶器店や末廣園の店主同様「聞いたことはあるが、見たことがない」と口をそろえて言っていた。
残念ながら、六角橋では手掛かりが見つからなかったので、次に、インターネットや資料などで調べてみることに。
 


札幌が「ロバのパン屋さん」の発祥の地だった!?



「ロバのパン物語」という本を参照すると、昭和の初めごろからその後30年ほど、全国的にロバや馬を使ってパンなどの移動販売が行われていたということが発覚。
 


「ロバのパン物語」の様子


日本初の「ロバのパン屋さん」は、札幌にある石上寿夫(いしがみとしお)さんの店。1931(昭和6)年に「ロバパン石上商店」を創業、偶然譲り受けた一頭のロバを「ウィック」と名づけ、馬車を引かせてパンの移動販売を行っていた。そして、当初パンづくりは全くの素人だった石上さんは「ロバで馬車売りのパン屋をやれば、子どもたちに夢を与えられる」と考えたようだ。
 


ロバのウィックと石上さん(『ロバのパン物語』より)


ウィックは数年で引退、その後は数頭のロバが役目を引き継いだが、終戦後「ロバに重い馬車を引かせてはかわいそう」と行商をやめ、小売店への卸しや学校給食への供給に営業方法を変える。
 


本には仲の良い様子の石上さんとウィックの写真が載っている(「ロバのパン物語」より)

 


「ロバのパン屋さん」はフランチャイズチェーンの走りだった!?



ほかの地域で営む「ロバのパン屋さん」についての記載は1931(昭和6)年、京都に立ち上げられた「株式会社ビタミンパン連鎖店本部」という会社。「パンの粉」のヒットにより製法を継承した店が増えていったらしい。現在のフランチャイズチェーンの走りであるといわれているのだそう。1953(昭和28)年には、全国に50軒の代理店ができるほどになった。

ちなみに、「ビタミンパン」とは、パンの原料の小麦粉にはビタミンB群が豊富に含まれているから。同社のパンは、焼いたパンではなく、蒸しパンだったらしい。

この「ビタミンパン」という会社からも「ロバのパン屋さん」が誕生。1953(昭和28)年に、代理店のひとつである浜松の「亀屋パン」の社長が、パンを売る馬車を作ったことによる。
 


「亀屋パン」は、ロバではなく馬に引かせていた(「ロバのパン物語」より)


こうして1953(昭和28)年の京都と浜松が同時に「ロバのパン屋さん」を始め、この仕組みもチェーン店展開と同時に広がっていった。1955(昭和30)年ごろ神奈川県にも2軒あったようだが、それがどこのパン屋さんだったのかはわからない。
 


定価16万円の馬車


最盛期は1960(昭和35)年ごろで、1963(昭和38)年に自動車の需要増加により、「ロバのパン屋さん」はなくなっていったと書かれている。

投稿にあった「ロバのパン屋さん」は「ビタミンパン」からチェーン展開された店なのだろうか。さらに調査をすすめ、「横浜パン協同組合」に話を伺った。