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富岡総合公園には以前どんな施設があったの?

ココがキニナル!

金沢区の富岡総合公園はかつて米軍施設だったところにありますが、実際にどんな施設があったのでしょう?((-'-)さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

公園丘陵部には米軍により建設、使用されていた施設は無かったようだ!ただ、地中には横浜海軍航空隊によって作られた地下倉庫が存在した。

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ライター:二階堂 イズミ

金沢シーサイドライン南部市場駅の南に位置する富岡総合公園(面積219,208㎡)は、もともと横浜海軍航空隊の飛行艇基地となっていた所にあり、終戦後は基地全体が米軍に接収され、一般には入ることができなかった地域だ。

1971年、この接収地の返還がなされ、その4年後に一部が公園として開放された。それが現在の富岡総合公園だ。
 


接収当時、もとの基地一帯は「富岡倉庫地区」と呼ばれていた
「かながわの米軍基地(19年4月)」より


投稿されたキニナルを調べるべく、まずは公園の管理を行う横浜市環境創造局施設管理部南部公園緑地事務所に連絡してみた。すると、米軍接収地当時の資料は無く、詳しい方もいらっしゃらないとのこと。

そこで、接収以前の持ち主であった海軍の歴史などを研究している方なら何か手掛かりが見つかるかもと、「磯子区郷土研究ネットワーク」代表で「磯子区の戦争体験を記録する会」代表でもある葛城峻さんに取材を試みた。
 


葛城さんは、様々な講演会などでも活躍されている




米軍基地として使用される前は横浜海軍航空隊の敷地だった!?
 


葛城さんお手製の横浜海軍航空隊時代の海岸線(太線部分)
 

当時、海軍が使用していた大型飛行艇(二式大艇)の構造図


「太平洋戦争で敗れるまでは、今の富岡総合公園になっている場所と神奈川県警の第一機動隊の基地、国家公務員富岡住宅のある一帯が横浜海軍航空隊の基地で、毎日のように飛行艇が発着していたんだよ。私の家も海の近くにあったから、飛行艇が屋根すれすれに飛ぶと、その度にガラス戸がガタガタ揺れてね。今だったら苦情が出るだろうけど、当時は戦争中だから、こんなに大きな飛行艇があるから日本が敗れることはないってみんな喜んでた。

アメリカ軍に接収された後は、今の機動隊の敷地が主に使われて、公園の丘の方はとくに利用されていなかったようだね。現在のアーチェリー場付近からライフルの弾が見つかったという話は聞いたので、射撃の練習場などとしては利用していたようだがね」と葛城さんは言う。

なるほど、海軍時代からの敷地には格納庫などの建物があり、米軍もそのまま利用していたようだが、現在の富岡総合公園側に何かを新設していたという話は無いようだ。
 



(上)埋め立て前、1964年(昭和39年)撮影の旧横浜海軍航空隊の基地周辺
(下)現在の地図に当時の海岸線を記したもの



ちなみに、海軍の敷地だった頃、現在アーチェリー場やテニスコートのある一帯に、地下倉庫が広がっていたらしい。現在の施設を作る際、崩落のためブルトーザーの作業員がけがをしたという話も残っているが、現在はこうした地下倉庫の入り口は完全にふさがれており、当時の痕跡を辿ることはできない。

現在も残っている基地時代の遺跡などはないのだろうか?