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数々の有名ミュージシャンが訪れた、関内にある横浜最古のジャズライブハウス 「エアジン」にライター・クドーが突撃取材!

ココがキニナル!

馬車道のジャズのライブハウス「エアジン」を取材して下さい。横浜で一番古いジャズのライブハウスでいろいろとおもしろい歴史があるはずです。(aki0992さんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

理屈でも、そうでなくても、良き音楽の巣窟。純粋にヨコハマがヨコハマでいられるミュージック、それが「エアジン」の息吹、ライブ。ナウ・ザ・タイム

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ライター:クドー・シュンサク

「アバンギャルドって言葉もわかんねーのかって」
「徹底的な音楽会を作ろうと思って、やってみたイベント」
「安全になったジャズは、もうジャズじゃない」

1969(昭和44)年から、今まで、そしていつまで続いていくのか。「ヨコハマ」で「ジャズ」が聴こえる場所、横浜最古のジャズライブハウス「横濱エアジン」。

冒頭の3文は、取材に応じていただいたエアジンのボスが取材中に発した言葉。
詳細は、本文にて。
古き良き硬派なライブハウス、エアジンの回。本物の、ライブハウス、エアジンの回。

ペプシの看板を目指すことに。



ジャズライブ「横濱エアジン」

1969(昭和44)年の創立から3年間は、ジャズ・レコード喫茶として東京新宿で。
本格的なジャズライブハウスとして産声をあげるべく横浜に移ったのが1972(昭和47)年。

その5年後、創始者であった初代オーナーが不慮の事故で他界し現在の体制に。
伝統と前衛の神髄を、ライブというカタチで発信し続け、現在に至る。
永き歴史とその足跡とこれからを伺うべく、中区住吉町で息を続けるライブハウスへ。
 


42年間の生ける音楽
 

この階段をあがった4階で生まれ続けている


取材日も、もちろんライブが行われる。リハーサル前の時間にゆっくりとお話を伺うことに。
 


この奥がエアジン


お話を伺うのはエアジンの2代目ボス、うめもと實(みのる)さん。ドイツのケルンにて、オペラハウスのトランペット奏者として若き日を過ごしていたミュージシャンであり、1980(昭和55)年からエアジンを守る。いや、作り続け攻め続ける音楽人。
 


ボスにお話を伺うことに


港町横浜で、1972(昭和47)年からジャズの「ライブ専門店」としてスタートしたエアジン。そのころ現ボスのうめもとさんは、ドイツのケルンでクラシックのトランペット奏者として活動。ジャズをこよなく愛した先代のオーナー夫妻は、横浜や湘南地区でのジャズコンサートやイベントを鋭意制作。ライブハウスをやりながら、ジャズの普及と新たな音楽の誕生に奔走し活動を広げる。
 


「横濱エアジン」のボス、うめもと實さん


「先代が亡くなったのを聞いて、葬式でドイツから日本に一時的に戻ってきたんだけど、姉(先代の奥様)から、どうしようかって言われて・・・どうしようってもね(笑)こっちも仕事があったけど、とにかくいろいろな経緯で2代目として受け継ぐことになったんだよね」。
 


「5年間ドイツにいたけど、このままドイツで暮らすかどうかで、日本にした」


一度はエアジンをどうするかの瀬戸際で「エアジンをやめる」という決断をしたボス。しかし、山下洋輔氏(ジャズピアニスト)から「やめる理由はなんだ」と問われる。

ミュージシャンの層が厚く、音楽人として刺激的だったドイツでの生活を10年も続けていると、それが当たり前になってしまい、エアジンの状況も、これからの自分の生き方も加味し、日本に戻りエアジンを受け継ぐことにしたという。
 


クリエイティブなミュージシャンを募り、2代目のエアジンが始まる
 

その代表ともいえる「ICPオーケストラ(オランダ出身の代表的なオーケストラ)」
エアジンでのライブフォト


2代目エアジンは、先代の伝統的なジャズの世界を受け継ぎ、さらに実験的で前衛的なジャズや現代音楽をも取り入れ発信し始める。
 


その発信活動は周囲も動かすことになる


中区の仲間から、ジャズの協会を作りたいとボスに打診が入る。そこでジャズのフェスティバルを企画。「ほかの何ものでもない、徹底的な音楽会を作ろうと思って、やってみたイベント」とボスが語るイベントが、今ではプロとアマチュアのミュージシャン総計1500人以上が参加し、十数万人の観客を動員する、横浜が世界に誇るジャズフェスティバル「横濱JAZZ PROMENADE」の始まりだった。
 


大きなジャズの渦がここから始まった