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美術館? 民家? 川崎市麻生区にある普通の民家すぎて一見入りづらい謎の美術館があるって本当?

ココがキニナル!

川崎市の麻生区に、山田土筆細山美術館というのがあるのですが、普通の民家ぽくて、とても入りにくいです。2度アタックし、2度とも引き返しました。とても気になっています(オオバさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

山田土筆細山(やまだどひつほそやま)美術館は、一見民家風で入りにくいが小路の奥にあり、昔の麻生区を描いた日本画を鑑賞できる美術館だった

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ライター:吉澤 由美子

投稿者のオオバさんがキニナった川崎市麻生区の山田土筆細山美術館(やまだどひつほそやまびじゅつかん)は、なんだか謎めいていて面白そうだ。そこで電話をかけて取材の申し込みをすると、館長さんが快く引き受けてくれた。

さっそく出かけてみると、ゴルフ場前の小路を少し入ったところに控え目ながら達筆の「山田土筆細山美術館」という看板を発見。
 


緑に囲まれた矢印と看板


そこに「開館日時 土日・祝日 午前十時~午後四時」とある! この開館日時も謎めいている。看板のある場所は道路より一段高くなった緑豊かな庭で、個人宅のよう。とにかく進めばわかるだろうと、看板の矢印に従って歩き出した。
 


まずは看板を見つけてひと安心




二度引き返す気持ちが分かる

庭の緑が切れた部分に小さな階段を発見。この先に山田土筆細山美術館があるようだ。
 


個人宅のようで、入るのにちょっと勇気がいる


足を踏み入れると、石を敷き詰めた小路が緩やかなカーブを描いていて先が見えない。とりあえず青々とした緑を紅白の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が彩っている中を進んでいく。
 


石畳をたどっていく


先まで進むと、もうこれは絶対に個人宅という家の前に出てしまう。確かに、二度アタックしてあきらめた気持ちも分かる。不法侵入しているような気分になりながら小路を少し引き返すと、途中に見落としていた分岐点があった! 
 


飛び石が敷かれた細い小路があった


木々が密集した先を覗きこむと、扉の上に「山田土筆細山美術館」と書かれた扁額(へんがく)が見えた。よかった、ここで合っていた。
 


コンクリート打ちっぱなしのモダンさと木の引き戸やさりげなく置かれた民具に風情がある入口


中に入ると、館長の山田土筆先生が笑顔で出迎えてくれた。
 


笑顔の山田土筆先生




このあたりは長閑な農村だった

ここは日本画家の山田土筆先生の作品を集めて展示している美術館。「本当にこの先かしら」と庭の小路で迷われる方はいるという。また、細山はこのあたりの地名で、ここには80年ほど前の細山を描いた日本画がたくさん展示されているそう。

山田土筆先生は、地元の名士であり豪農の次男として細山に生まれ育った。生家は井上靖原作の映画『しろばんば』ロケにも使われたという。御年はなんと89歳。来年90歳を迎えるとは、にわかに信じられないくらい若々しい。

「このあたりは縄文土器がたくさん出土していて、かなり昔から人が住んでいた場所ですね。昔は田んぼに入ると胸あたりまで浸かってしまう深田(ふかだ)がたくさんあって、1927~1928(昭和2~3)年くらいまでは道が狭くて車も入れない、お店もない集落でした。子どものころはキツネに化かされたという話を化かされた本人から何度も聞いたことがありますよ」と山田土筆先生が教えてくれる。
 


箱に入っているのは出土した縄文土器。後ろのレプリカは、再現したもので奥様の作品


山田土筆先生が3歳くらいの時、細山が神奈川県のモデル農村に選ばれて大きく変貌していく。暗渠(あんきょ)で排水して田んぼから水を抜けるようになり、二毛作が可能になった。地域のみなで力を合わせ、鶏や豚を飼い、栗の木を植え、養蚕をはじめ、村は徐々に豊かになっていく。

そのころは農耕に馬を使っていたから、草競馬も盛んだったらしい。最初は近くのお寺の境内を一回りするものだったが、後に競馬場も作って本格的に行うようになった。「草競馬と運動会は特に盛んで、屋台が出てお祭りのようににぎやかでした」と懐かしそうに山田土筆先生。

そのころの細山の景色を描いた作品が、この美術館にはいくつも展示されている。「これは昔の新百合ヶ丘駅付近を描いたスケッチ」そう教えてくれた絵がこちら。
 


新百合ヶ丘駅付近は昔、里山に抱かれた建物の前に水田が広がっていた


「今は市役所やパチンコ店、映画館がある場所ですね」と指さしながら教えてくださる言葉に思わず絶句。数十年前はこんなに長閑(のどか)な景色だったとは。

ほかにも、金程(かなほど)や長坂といった周辺の昔の風景がずらりと並んでいる。どれもどこか懐かしく、美しい里山の景色。じっくり見ていくと、その場所の温度や風、湿度までが伝わってくる。
 


このあたりを描いた作品が集まっている。下に並んでいるのはスケッチ


展示室は二つあって、ひとつは細山を描いた作品、もうひとつは山田土筆先生が『日本の残しておきたい風景』を描いた作品と分けられている。
 


細山以外では、宮ヶ瀬や茨城・霞ヶ浦、長野・蓼科(たてしな)をモチーフとしたものが多い


旧作と新作のほか、スケッチや下絵なども見せていただけるほか、作者の山田土筆先生から直にお話を聞くことができるというのがこの美術館の魅力。

また、庭に植えられた四季折々の花々や山野草の多くは、もともと多摩丘陵に自生しているもの。絵を眺め、庭を眺め、先生のお話を聞くことで、よりリアルに昔の細山の景色を味わうことができる。

山田土筆先生が日本画家を志したきっかけや、美術館を作られた経緯もキニナる! ということで、そのあたりも詳しく伺ってみた。