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怪談めいた話が出てくる? 川崎市高津区にある地名「子母口(しぼくち)」の由来を教えて!

ココがキニナル!

川崎市高津区に「子母口(しぼくち)」という地名の地区があります。かなり変わった地名で、その由来が必ず何かあると思います。何か怪談めいたものを想像してしまうのですが・・・(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

丘に挟まれた地形を意味する「しぶ」から「しぶくち(渋口)」と呼ばれ、後に訛っていき「子母口」に落ち着いたという説が有力。怪談めいた話はない

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ライター:橘 アリー

「子母口」の由来を続々発掘



各地に変わった地名はいくつかあるが、「子母口(しぼくち)」というのも、かなり変わった不思議な地名である。投稿にもあるが、字面から「鬼子母神(人間の子供を食べる女神)」も連想させるし、なにか怪談めいた怖い話が出てくるのだろうか・・・?

「子母口」があるのは川崎市高津区。まずは、その地域の図書館へ行ってみることに。
この地域の図書館というと、プラザ橘という施設の中にある「川崎市立高津図書橘分館」である。
プラザ橘は、矢上川を挟んで子母口の隣町の久末(ひさすえ)にある。
 


プラザ橘の全景

 
ここは地元の図書館なので、川崎や高津区などに関する資料がそろっている。
そして、地域の町名について書かれている資料は、『川崎詩考』『川崎の町名』『川崎地名辞典』などがあった。

これらの資料によると、現在の「子母口」は、「しぼくち」と呼ばれる以外にも、「しおくち」「しぶくち」「しんぼくち」などと呼ばれていたようだ。

まず、「しおくち」は『川崎誌考』に書かれている説。「しおくち」とは海水の潮の口という意味で、縄文時代には現在の「子母口」の辺りが多摩川の河口となっていて、その河口まで海の潮が迫っていたことにより「潮口(しおくち)」と呼ばれていた、というもの。

次に、「しぶくち」は『川崎地名辞典』に書かれている説。矢上川は上流から金渋(かなしぶ:水に混じった鉄の錆のこと)が流れることがあり、その金渋が低地に出る口ということで「渋口(しぶくち)」と呼ばれていたというもの。
 


現在の矢上川の様子。川の左側が子母口

 
その「渋口」という呼び名に関しては『風土記稿』の中の「1266(文永3)年の『岩松右京大夫本領所注文』という文書に『武州春原庄内万吉郷渋口郷』と書かれている」とあり、当時の資料にもその名が使われていたという証拠が残っている。しかし、当時から「渋水が出る口」という意味で使われていたかどうかは定かではない。

調べた文献によると「しおくち」「しぶくち」の両説については、言葉が徐々に訛っていき、現在の「しぼくち」となっていったと推測されている。

なお、もう一つの説「しんぼくち」は、『橘村郷土誌』という資料に書かれているもの。現在の「子母口」にある「橘樹(たちばな)神社」には巨大な松のご神木があって、「ご神木のある村」ということで「神木地(しんぼくち)村」と呼ばれたというもの。宮前区に神木という地名があるので、それにあわせて付けたのではないか、とも言われている。
そして、「しんぼくち」も、音が縮まって「しぼくち」となったと推測されている。
 


子母口にある橘樹神社の様子
 

ちなみに「ご神木」は日本武(やまとたける)の松のようで・・・
 

現在はこの写真のようになっている

 
これで、「しおくち」「しぶくち」「しんぼくち」とも、訛ったり縮まったりして「しぼくち」になったと推測されていると分かったが、更にもう一つ説がある。

それは、『川崎地名辞典』に書かれていて、”しぼ”は“しぼむ”、つまり谷を表す。この子母口一帯から奥の方は丘陵地となっていて、矢上川の谷の入口に位置するので「しぼくち」と呼ばれた、というもの。

「子母口」の地名の説が、こんなにあるとは驚きである。

ややこしいので上記の内容を整理すると、
(1)「しぼくち」と呼ばれる以前には、「しおくち」「しぶくち」「しんぼくち」などと呼ばれていたという説がある。
(2)「しぶくち」を「渋口」と書く名前は、資料として残っているので、その名が使われていたのは確実。ただ、「渋水が流れてきた河口という意味」という説は、「しおくち」
「しんぼくち」説と同様に推測である。
(3)「しおくち」「しぶくち」「しんぼくち」とも、後に訛ったり縮まったりして「しぼくち」になったと推測されている。
(4)ほかの言葉が訛ったのではなくて、“しぼむ”という地形を指して「しぼくち」と呼ばれたという説もある。

まずは、古い資料に書かれていたので、「子母口」が以前は「渋口」と呼ばれていたのは確かだと分かったが、地名の由来は、どの説が有力なのだろうか?

ちなみに、今のところ、残念ながら(?)由来に怪談めいた話が出てくる気配はない・・・。

図書館の方に聞いてみたところ、高津区溝口に「地名資料室」があるそうなので、そこへ行って詳しく調べてみることに。
 


地名資料室のパンフレット

 
しかしその前に、『川崎の町名』という資料の中に、現在のように「子母口」が使われるようになったのは、「子母口」にある蓮乗院(れんじょういん)というお寺の不動堂の庚申塔(こうしんとう)に、「元禄四年(1691)二月四日武州子母口村」と記されているから、とあった。

ちなみに庚申塔とは、庚申様(手が何本もあって一度に沢山のものを作れるから福の神様と言われている)を祀って立てられている石塔のこと。

さらに、このお寺の墓地にある墓石には「天和(てんな)元年(1681)渋口村」とあるそうで、庚申塔に「子母口」と記されるより10年ほど前は「渋口」という地名が使われていたようだ。

蓮乗院はプラザ橘の近くなので、「地名資料室」へ行く前に蓮乗院へ寄って、庚申塔を確認してみることに。