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「弁天」「大黒」「恵比寿」・・・。鶴見区から神奈川区にかけておめでたい地名が続いているのはなぜ?

ココがキニナル!

鶴見区から神奈川区にかけての埋め立て地には、弁天町、大黒町、恵比須町という地名が続きますが、やはりまとめて七福神にちなんで名付けられたんでしょうか(だいさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

弁天町、大黒町、恵比須町は七福神にちなんで名付けられた地名。ほかにも寿老橋、布袋橋、宝町と、産業道路にはおめでたい名前が並んでいる

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ライター:篠田 康弘

「埋め立て地のおめでたい地名の由来を調べてください」
はまれぽ編集部からこんな依頼があったので地図を開いてみたら、鶴見区から神奈川区の産業道路沿いにこんな地名が並んでいた。

弁天町、大黒町、恵比須町・・・

確かにおめでたい地名が続いている。これは面白そうだ。取材ついでに私も福をもらってこよう。



七福神にちなんだおめでたい地名



投稿にあった「七福神」とは日本独自の信仰で、「恵比寿(商売繁盛、五穀豊穣)」「大黒天(食物、財福)」「毘沙門天(福徳精進)」「弁財天(音楽、知恵)」「福禄寿(長寿と福、寿老人と同一の場合あり)」「寿老人(長寿と福)」「布袋(財)」という、さまざまな福をもたらしてくれる7つの七柱の神を総称したものである。
 


七福神(フリー素材より)

 
投稿者の指摘どおり、弁天町、大黒町、恵比須町は、それぞれ弁財天、大黒天、恵比寿にちなんで名付けられたものである。

しかし弁天町と残りの2つでは、名前が決まるまでの経緯が異なっている。

それには、弁天町が埋め立て前から存在した土地であるのに対して、後者は埋め立てによって誕生した土地であることが大きく関わっている。



弁天町の由来となった小野弁天神社



弁天町の名前の由来となった神社が、となりの小野町に現存している。
 


小野弁天神社

 
現在は小野弁天神社と呼ばれているこの神社の由来について、神社を管理している宗教法人小野弁天神社の代表役員である國井(くにい)さんから、以下のようなお話を伺うことができた。
 


今回お話を伺った國井さん

 
江戸時代、この地は小野氏という一族が支配していたそうだ。
海沿いのこの付近はかねてより潮害になることが多く、徳川綱吉公の時代(1680〈延宝8〉年~1709〈宝永6〉年)に堤防を築く計画が持ち上がったが、工事は難航し失敗の連続だった。

そんな時、水の神様として日ごろから信仰していた弁財天を仰ごうと江ノ島弁財天を勧請(かんじょう:神仏の分身・分霊をほかの地に移して祀ること)して奉鎮(ほうちん)したところ、工事は順調に進むようになり、堤防は無事完成した。

そして住人たちは、この弁財天を鎮守の神として仰ぐようになり、弁天下という地名を用いるようになった。これが弁天町の由来だそうだ。
 


小野弁天神社の境内には、由来を記した案内が掲げられている

 
弁天町の住人たちの信仰を集めていた弁財天だが、1922(大正11)年の鶴見臨港鉄道(現在のJR鶴見線)の敷設に伴い、隣接する小野町内に移転。名前を小野弁天神社と改めて現在に至っている。



幸運を祈って名付けられた大黒町、恵比須町



大黒町は1937(昭和12)年、恵比須町は1933(昭和8)年に、それぞれ埋め立てにともない新設された町であるが、こちらの地名は神社などに由来したものではない。
 


大黒町
 

恵比須町

 
神奈川区を中心に周辺の史跡、旧跡などの案内ボランティアを行っている「神奈川区いまむかしガイドの会」に問い合わせてみたところ、「関東大震災後、めでたい名前をつけていこうということで名付けたようだ」という回答をいただいた。

1923(大正12)年に関東大震災が発生し、震災の復興を願って住人もめでたい名前を望み、大黒、恵比須といった名前をつけたようだ。

そして調査の結果、産業道路沿いにはほかにも寿老人にちなんだ「寿老橋」、布袋にちなんだ「布袋橋」、そしてこれもおめでたい「宝町」という町名があることが分かった。

それでは、おめでたい地名を順番にめぐっていこう。