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関内の名物男・ヒデさんがマスターの居酒屋「ヒデズキャフェ」がものすごく楽しいって本当?

ココがキニナル!

弁天通の高級クラブ街にある普通の居酒屋「ヒデズキャフェ」。関内の名物男ヒデさんはギターの弾き語りが得意。料理も安くて美味しい。彼の歩んできた道のりは。(横浜橋のラッキーさん)

はまれぽ調査結果!

ヒデさんは芸能関係、貿易業などの仕事を経た後に飲食店を始める。手料理、おいしいお酒、見事な弾き語りが楽しめる、本当に楽しい店だった

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ライター:篠田 康弘

「弁天通に取材に行ってください」
編集部からのこの一言に胸が踊った。弁天通といえば高級クラブ街。東京なら銀座、大阪なら北新地である。どんな綺麗なお姉さんに出会えるのだろう。

しかしその後の言葉で、ふくらんだ期待が一気にしぼんでしまった。

「高級クラブ街に普通の居酒屋さんがあるので、ちょっと取材してきてください」

なんだ、普通の居酒屋さんか・・・

しかし、いざその店に向かってみると、そこには酒飲みの楽園のような世界が待っていた!



ライターの大失態



取材の基本はまず現場、ということで、まずはお店に行って取材を申し込んでみることにした。
 


弁天通
 

ネオン輝く夜の街
 

今回取材するヒデズキャフェ

 
早速料理を頼んでみたが、これがものすごくおいしくて酒が進む。加えてマスターのヒデさんの軽快なおしゃべりでまた酒が進む。すっかり酔ってご機嫌になってしまい、ろくに取材もしないまま帰ってしまった。

投稿通りの楽しい店だったが、何ともお恥ずかしい・・・



改めてヒデさんに取材



翌日、自分の愚行を反省した後に改めて取材を申し込んだところ、快諾をいただいた。
 


マスターの山口秀男さん。愛称はヒデさん

 
お会いして開口一番に「はまれぽ見ましたよ」という言葉をいただいた。
前日に置いていった名刺を見て、早速サイトを検索してくれたそうだ。本当にありがたい。

まず年齢を伺ったところ「72歳、1942(昭和17)年生まれです」ということだった。写真を見てもらえば分かるが、とても戦前生まれとは思えないくらい若々しい。
 


厨房狭しと動き回るその姿は、とても72歳には見えない

 
横浜で生まれたヒデさんは、音楽好きだったこともあり、20代のころは芸能関係の仕事をしていた。30~40代は、輸出関係の仕事をしていた関係で世界中を飛び回っていた。

そして50代になって輸出関係の仕事を辞め、少し休んだ後に、2000(平成12)年から飲食店を始めることになる。

「最初はね、ここじゃなくて別の場所でやってたんですよ」

なんと、以前は別の場所でお店をやっていたそうだ。

飲食店を開店するにあたり、最初にヒデさんが選んだ場所は西横浜。店名は「アモール」だった。
 


当時のアモールの様子

 
「行列ができるほど繁盛してたんですよ。地下の広い店でねえ。どんなに大きな音出しても文句言われなかったから、よくライブなんかもやってました」
 


当時のライブの様子

 
繁盛していたアモールだったが、2008(平成20)年にビルのオーナーが倒産したのに伴い、閉店を余儀なくされてしまった。

そんな時、建築関係の仕事をしていた息子さんの勧めで、弁天通に今の店を構えることになったそうだ。

「内装デザインも全部息子がしてくれたんです」とヒデさんは話していた。
 


おしゃれな店内は、ヒデさんの息子さんがデザイン

 
ちなみに「ヒデズキャフェ」という店名の由来について伺ったところ

「小さいころ見たアメリカ映画で、お酒を飲んで食事をする店を『キャフェ』って呼んでたんですよ。大人になって調べたら、あちらでは喫茶店だけじゃなくて、日本で言う居酒屋みたいな店も『キャフェ』って呼ぶんですってね。それで私の名前と組み合わせて『ヒデズキャフェ』にしたんです」と話してくれた。
 


「Cafe」は英語で「居酒屋」の意味もあった