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磯子の横浜プリンスホテル跡地「ブリリアシティ横浜磯子」と横浜の歴史的建造物「旧東伏見宮別邸」の様子を一挙公開!

ココがキニナル!

三島由紀夫の小説に登場する洋館のモデル「旧東伏見宮別邸」を取材して!(ねこぼくさん)磯子プリンスホテル跡地のエレベーターはなぜ有料?(kikkeさん)ブリリアシティーからの眺めは?(ゆがみ小僧さん)

はまれぽ調査結果!

旧東伏見宮別邸・旧GHQ首脳部邸宅・旧プリンスホテル・現レストラン。外観は現代でも残っていた。エレベーターの利用料50円は維持管理費とのこと

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ライター:人見 静馬

三島由紀夫ファンにはおなじみの建物であろう、旧東伏見宮(ひがしふしみのみや)別邸。2014(平成26)年2月28日には中村孝明貴賓館(なかむらこうめいきひんかん)として再オープンしたとのことで、これを取材してほしいとの依頼が入った。いまいち話が飲み込めぬまま引き受けてしまったが、かの「大三島」ゆかりの地とあらば、同じく文章で食べていこうと目論む筆者(不遜)としても取材を断る道理がない。

いざ、取材(半分、趣味)へ!



まずは経緯



しかし、旧東伏見宮別邸を改装したプリンスホテルが中村孝明貴賓館として再オープンと言われても、にわかには話が掴みづらい。「中村孝明」といえば、かの有名な和の鉄人・中村孝明氏であろうが、彼が経営する貴賓館とは何ぞや。何の話をしているのか。

ここで筆者は、はまれぽの過去記事を紐解いてみた。横浜の誇る由緒ある建物ならばはまれぽがあつかっていないわけがない、横浜市民が投稿していないわけがないだろうという発想である。調べると、やはり出てまいりました。こういう所、横浜市民は信頼できる。
 


2011(平成23)年5月、
東伏見邦英伯爵別邸公開レポート


そして、2012(平成24)年1月、磯子駅前の『横浜プリンスホテル跡地』には何が建つ?、2013(平成25)年1月、磯子のプリンスホテル跡地、再開発の進捗は?をまずは見ていただきたい。
 


昨年はまだ建設中だった跡地


なるほど。プリンスホテルの本館跡地にはマンションが完成し、そこの貴賓館――いわばスイートルームとして使用されていた建物が今どうなっているのか、という投稿なのか。貴賓館という名のレストランなのね。

しかし以前の記事を読むに、ここは横浜市認定の「歴史的建造物」。改装といってもどこまでできるのか。そもそも市が認定する「歴史的建造物」とは何ぞや? レストランにしても良いのか?
ということで、まずはその辺の事情を聞きに横浜市役所へ。



都市整備局 企画部 都市デザイン室



取材先は、横浜市都市整備局企画部都市デザイン室。
 


おなじみ横浜市役所
 

「企画課」と「都市デザイン室」の看板は別なのね


ここでは本来室長が対応してくださるはずであったが、不在ということで係長の小田嶋氏がいろいろと説明してくださった(ちなみに顔出しはNG)。
さて、早速「認定歴史的建造物」とは何かと聞く。聞いたことがあるような無いような。それはレストランとして使用して良い類のものなのか。
 


文化財、に比べると幾分ポップなのか?


簡単にまとめると、大きな差異は2点。
まず、文化財は基本的に「復元」が許されていないが、認定歴史的建造物は「復元」が許されている。これは簡単に言ってしまえば、壊れて無くなってしまったものを作り直して良いのかどうかということである。文化財は作り直せないが、歴史的建造物は作り直せるのだ。
おお、柔軟!
 


今までなんとなく目にしていた建物も多く「認定歴史的建造物」
 

近代建造物とのミックスもあり!


そして筆者がなるほどと思わず頷いた文化財との差異は「認定歴史的建造物」は「外見に主眼をおいている」ところ。外見さえ当時のままなら(あるいは再現ができていれば)ば、中は人が住もうがホテルにしようが、極端な話「犬小屋」にしてしまおうが持ち主の勝手、お構いなしなのだ。

なるほど、それならば文化財のように基準が難しくなく、管理を持て余してしまうこともない。
横浜が醸し出す、そこはかとない昭和感・異国情緒というものも、こういった実と計画の元に成り立っているものなのだ。都市デザイン室、名ばかりではない。

余談であるが。
以前の記事にも書かれていたが、この建物はもともと、昭和天皇の義理の弟、東伏見宮の療養のため、1937(昭和12)年に建てられたものだったという。しかしその後、太平洋戦争後にはGHQに接収されて住宅として使用され、1954(昭和29)年に西武グループへ払い下げられてからはご存じの通りホテルとなった。
 


1962(昭和37)年の貴賓館(横浜市史資料室所蔵広報課写真資料)
 

1982(昭和57)年に貴賓館が国連アジア太平洋都市会議の会場となった(横浜市史資料室所蔵広報課写真資料)
 

1991(平成3)年の横浜プリンスホテル(横浜市史資料室所蔵広報課写真資料)


その後、横浜プリンスホテルは2006(平成18)年閉鎖し、西武グループが東京建物に売却。
 


2007(平成19)年解体中の横浜プリンスホテル


2012(平成24)年に東京建物、東京急行電鉄、オリックス不動産、日本土地建物販売、伊藤忠都市開発によってプリンスホテル跡地にマンション「Brillia City(ブリリアシティ) 横浜磯子」ができることとなった。

筆者は浅学にして知らなかったのだが、プリンスホテルという名称はこの皇族由来の建物から来ているのだという! 小田嶋氏は我々の驚きに驚いたようであるが、恥ずかしさなど感じることなくビックリ継続。目から鱗とはこのことである。いやはや、何でも疑問は持ってみるものである。