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知っているようで知らない横浜を再発見できる! 「ハマの伝道師」が引く人力車を体験レポート!

ココがキニナル!

横浜にも人力車をひいている方が中華街にいると聞きました。開港時には数百台の人力車があったそうですが、横浜の人力車の現状について調べてください。(横浜橋のラッキーさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

現在、横浜で人力車のサービスを手がける唯一の会社「横濱おもてなし家(や)」。2006年の開業以来、ハマの人力車として観光客にも親しまれている

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ライター:菱沼 真理奈

1870(明治3)年、東京・横浜から始まった人力車の旅客営業



日本で初めて人力車が登場したのは1870(明治3)年のこと。
人力車の発明者は横浜居留地の米国人宣教師ジョナサン・ゴーブルとする説もあるが、現在の有力説では、東京・京橋の和泉要助(いずみ・ようすけ)らが馬車から発想を得て人力車を製造し、旅客営業の許可を受けたのが始まりと言われているらしい。

同年、横浜でも人力車の営業が始まり、翌年には川崎~藤沢間が開業。1878(明治11)年には、神奈川県内の人力車は7000台、横浜でも2000台を超えていたというから、急速な勢いで広まったことが分かる。(参考/国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所HP)
 


野毛橋(現:都橋)を渡る人力車を描いた当時の図絵(写真提供/横濱おもてなし家)


ちなみに、以前はまれぽでご紹介した野毛の「河本輪業」さんも、1876(明治9)年より人力車の製造を開始し、俥夫(しゃふ/人力車を引く人)を雇って営業していたという。

その後、鉄道や自動車の普及により、首都圏の人力車は1926(昭和元)年をピークに徐々に減少。現在は全国各地の観光地などを中心に、観光遊覧やイベントなどでの営業が行われている。

そして、数多くの観光スポットを有するここ横浜にも・・・。
 


おおっ、いらっしゃいました!


中華街大通りの一角で人力車を従えて立つこの人が“ハマの人力車”として知られる「株式会社 横濱おもてなし家」の代表取締役社長・鈴木精治(すずき・せいじ)さんだ。横浜中華街コンシェルジュ、かながわ検定横浜ライセンス2級、国内旅行業務取扱管理者の認定資格を持つ、横浜観光ガイドのスペシャリストである。

さっそく取材のお願いをすると「それじゃ、話をする前にちょっと乗ってくださいよ。この周辺をご案内しますから」と粋に応えてくれた鈴木さん。
 


自ら人力車の俥夫と観光ガイドを務める鈴木さん


ということで、鈴木さんのご厚意に甘えて、編集部の小島と一緒に人力車に試乗させていただくことに! 実は2人とも人力車は初体験。ドキドキ気分で乗り込むと、思った以上に視線が高くて見晴らしがいい。
 


ちょぴり照れちゃうツーショット。小島(左)とともに仲良く乗車




人力車に乗って横浜の歴史・文化をたどる



今回、人力車で案内していただくのは「中華街大通りの華正楼(新館)横 → 中華街の朝陽門(東門)→山下公園通り(右折)→ホテルニューグランド→横浜マリンタワー」という横浜らしいルート。鈴木さんのガイドのもと、沿道の各スポットにまつわるエピソードなどを聞きながら、徒歩6~7分のルートを30分近くかけてゆっくりと巡っていく。
 


鈴木さんが制作する横浜の観光マップ「はまっぷ」でルートを説明


「実はこんな短いルートの間にも、横浜港開港以来の歴史・伝統・文化がギュッと詰まっているんですよ」と鈴木さんは話す。う~ん、どんなアレコレが詰まっているのでしょう? 
ではでは、横浜の街巡りにいざ出発!!
 


青いマーカーの部分が今回の街巡りのルート


スタートしてすぐ、中華街大通りの雑貨店の看板を指さす鈴木さん。横浜居留地の街並みを描いた絵看板をよく見ると、人力車や馬車、天蓋(てんがい)付きの籠など、いろいろな乗り物が行き交っている。乗り物に乗っている人も和装だったり洋装だったり、実に国際色豊か。
「へえ~、中華街にこんな看板があったんだ」と小島も興味津々。人力車に乗っていると視線が高いので、屋根の上の看板もよく見える。
 


にぎやかな横浜居留地の様子を描いた絵看板


お次は、中華街大通りに設置された車止めについて解説していただく。沿道に数十基ある車止めの先端には、中華街の東・南・西・北の牌楼(門)の守護神(青龍・朱雀・白虎・玄武の四神)のモチーフがそれぞれあしらわれているそう。なかなか凝ったデザインだが、どれが何のモチーフなのか、ちょっと分かりにくいような?
 


この車止めのモチーフは何でしょう・・・正解は朱雀!


こちらが中華街の東の玄関口となる「朝陽門」。2003(平成15)年の春節に落成した、中華街で最大規模(高さ13.5メートル、幅12メートル)の牌楼だ。朝日を街に迎え入れ、その光が街全体に繁栄をもたらすようにとの願いを込めて命名された。
 


抜けるような青空をバックにひときわ輝く「朝陽門」


朝陽門をくぐって中華街を後にした一行は、そのまままっすぐ山下公園通りへ向かって進む。

ところで次の写真にもあるように、鈴木さんは進行方向(前方)よりも、私たち乗客の方に顔を向けていることが多い。
鈴木さんいわく「お客さんと背中越しに話すよりも、やっぱり顔を向き合わせて話した方が気持ちも通じるからね」。おっしゃる通り、互いに向き合っていると親しみが増して、楽しい会話もどんどん弾む。
 


鈴木さんならではの対面スタイルで「心温まるおもてなし」
 

颯爽(さっそう)と車を引く背中もカッコいいですよ!


こちらは、多彩な輸入食品や酒類を扱う高級スーパー「明治屋・山下町ストア」。1885(明治18)年、横浜に創業した明治屋は、日本郵船への食料品・雑貨納入などを手がけ、食を通じて日本の文明開化を推進した。
 


「明治屋・山下町ストア」は、残念ながら2015年1月末で閉店


明治屋の反対側に目を向けると、1993(平成5)年に開業した「横浜ランドマークタワー」の姿がちらっと見える。
と、ここで「ランドマークタワーの高さは何メートルでしょうか?」という鈴木さんからの質問に、返答できなかった小島と筆者。すると「日本一高いビルの座を、大阪の『あべのハルカス』に持っていかれて憎む(ニクム=296メートル)なんてね」と笑って教えてくれた鈴木さん。ハハハ、そんなハマっ子らしい覚え方があったとは(笑)。
 


ビルの谷間の向こうにそびえる「横浜ランドマークタワー」


その先の山下公園通りの交差点前には、日本では横浜が発祥となったガス灯のモニュメントが建てられている。
モニュメントの説明文によると、日本で初めて横浜にガス灯が点火したのは1872(明治5)年10月31日。それに合わせて1985(昭和60)年10月31日、当時のモデルを復元したガス灯をこの沿道に点火したとある。
 


「ガス灯の生いたち」と記されたモニュメント前で


「そう、これもガス灯なんですよ」と、目の前の街灯を指さす鈴木さん。
「えっ、そうなんですか?」・・・馬車道にガス灯があるのは知っていたが、山下公園通りにもあるとは知らなかった筆者。
これらのガス灯は下にガス管が通っていて、暗くなるとシルクセンター側から順番に管が開いて自動点火するそうだ。いや~、ホントいろいろと勉強になります。
 


モニュメントの前にあるクラシカルなガス灯


そして、山下公園通りの歴史的建造物といえばココ。1927(昭和2)年の開業以来、横浜の歴史とともに歩み続ける「ホテルニューグランド」だ。
マッカーサー元帥、ベーブ・ルース、チャーリー・チャプリンなどの著名人が宿泊したことでも知られ、レストランではスパゲッティナポリタンシーフードドリアプリン・ア・ラ・モードなど広く知られる発祥メニューも。

開業当時、ホテルにはお抱えの俥夫が常駐し、人力車での送迎サービスを行っていたという。鈴木さんから見せていただいた昔の写真(下)にも、ホテルの玄関前で待機する自動車や人力車が写っている。
 


開業当時の「ホテルニューグランド」。玄関前に5台の人力車が停まっている(写真提供/横濱おもてなし家)
 

ホテルの前で送迎客を待つ俥夫(写真提供/横濱おもてなし家)
 

現在のホテル外観(本館)。その姿はほとんど変わっていない


ホテル本館の玄関前からは、海辺に広がる山下公園や横浜港に係留された「氷川丸」が望める。
1930(昭和5)年~1960(昭和35)年まで北太平洋航路の貨客船として活躍した氷川丸は、太平洋戦争中・戦後の一時期、日本海軍の病院船や帰国者の引き上げ船として徴用されていたこともあったという。氷川丸にそんな時代があったとは、知らなかった・・・
 


横浜港に目を向けて氷川丸の永い歴史を語る鈴木さん


そして、スタートしてから約30分後、ゴールの「横浜マリンタワー」に到着。
高さ106メートルのタワー頭頂部は、リニューアルする前年の2008(平成20)年まで灯台の機能も併せ持ち、ギネスブックにも「最も高い灯台」として記録されていたそうだ。これも知らなかった・・・
 


1961(昭和36)年に開業した横浜のシンボル「横浜マリンタワー」


それにしても、わずか30分の短いコースの中に、これほど多様な歴史と文化が詰まっているなんて、やっぱり横浜って奥深くて面白い。こうして地元・横浜にまつわるアレコレを見聞きし、異国情緒を肌で感じながら、あらためて観光を楽しんでみるのもなかなかいいものだ。
知らないこともいろいろ教えてくださった鈴木さん、ありがとうございました。
 


横浜の異国情緒に浸りながら、優雅なお姫様気分になれます




乗り心地満点! オリジナル仕様の人力車をチェック



ではここで人力車を降りて、鈴木さんの愛車をじっくり拝見させていただこう。
 


到着後、サッと踏み台を用意して降車をスマートにエスコート


こちらの人力車は国産の車両をベースに、鈴木さんが独自のパーツを取り付けたオリジナル仕様の1台。お年寄りでも乗り降りしやすいように、イスの手前に手すりを付けたり、幌の骨にクラシカルな日除けを付けたり、随所にいろいろな工夫が凝らされている。
 


鈴木さんのアイデアで取り付けた「手すり」(岩島金工製)。これは便利
 

レースの日除けは、恥ずかしがり屋のお客さんの目隠しにも


もちろん、パンクの修理やメンテナンスなども鈴木さんが自分で行っている。先にご紹介した野毛の「河本輪業」さんとも顔見知りで、タイヤのチューブを作ってもらったり、メンテナンスの相談をしたり、いろいろとお世話になっているそうだ。

車両自体の重量は約100キロ。大人を2人乗せると200キロを超える重さになるが、タイヤの径が大きいので意外とラクに引けるそう。タイヤには板バネ状の大きなサスペンションが付いているので、振動が少なく乗り心地もバツグン。
 


路面からの振動を和らげるサスペンション


鈴木さんはこれ以外にも2台の人力車を所有。現在、横濱おもてなし家で俥夫を務めるのは鈴木さん一人のみだが、イベント時などには仲間のメンバーを呼んで、複数台で対応することもあるそうだ。