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みんなのキニナル

    ブルーラインと比べて、駅も両数も少ないグリーンラインの方が、ブルーラインより豪華な車両(液晶パネルが付いていたり…)なのは何故?

    Number_09さん

    みなとみらい線とグリーンラインの本牧・根岸エリアまで線路を作る計画はまだ廃止にされていませんか?

    Number_09さん

    市営地下鉄グリーンライン10周年記念装飾列車がどんな感じか知りたいです。

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横浜人にインタビュー
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横浜のココがキニナル!

京浜急行の弘明寺駅は、昭和60年ごろまで、寺社造りの風情ある駅舎だったそうです。どのような外観をしていたのでしょうか?(ねこぼくさんのキニナル)

はまれぽ調査結果

1930年、弘明寺観音が裏山を売却提供し、京急弘明寺駅が開業。1954年から1984年まで弘明寺観音にちなんだ寺院風の駅舎だった。

ライター:大和田 敏子 (2015年03月06日)

京浜急行線弘明寺駅の駅舎は、かつて、かなり個性的な外観だったらしい。寺社造りの風情だった・・・とは、何か理由があるのだろうか。
そうした駅舎が建設された経緯、実際の外観について知るべく、取材を開始した。



弘明寺観音と深くつながる弘明寺の街、弘明寺商店街の歴史は?

弘明寺駅について調べる前に、弘明寺の街の歴史を少し、調べてみることにした。
 


現在の弘明寺商店街


弘明寺は、弘明寺観音の門前町として古くから栄えてきた街。
瑞應山蓮華院弘明寺(ずいおうさんれんげいんぐみょうじ/弘明寺観音)は、高野山真言宗の寺院。今から1300年近く前の721(養老5)年、インドの善無畏(ぜんむい)三蔵法師の渡来にまつわる横浜市内最古の寺院だという。また、鎌倉時代に成立したという坂東三十三箇所観音霊場の十四番札所でもある。

本尊の十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)立像は国指定重要文化財に、金剛力士像(仁王像)は横浜市指定有形文化財になっている。
本堂は1044(寛徳元)年に建立され、1766(明和3)年に再建された。
 


出典:横濱開港150周年 大岡川及び流域の懐かしの風景、画像提供:横浜市南区役所


上の写真は、大正時代のもの。見事な茅葺屋根だったことがわかる。この本堂は1976(昭和51)年、茅葺から銅葺に改修された。
 


出典:横濱開港150周年 大岡川及び流域の懐かしの風景、画像提供:横浜市南区役所


これは、茅葺の本堂写真と同じころの山門前の風景。古きたたずまいに趣がある。

2001(平成13)年には、京浜急行電鉄株式会社が会社設立100周年を機に「市民の平安と交通安全、地域の繁栄を祈願する」ため身代地蔵菩薩(みがわりじぞうぼさつ)を奉納した。

弘明寺観音の前から鎌倉街道まで続く弘明寺商店街は昭和初期、日常生活用品を扱う店の間に民家も点在する小さな商店街だったようだが、この界わいは戦災に遭わなかった。

そのため住宅が増え、それとともに商店街も発展していったようだ。
 


昭和20年代、弘明寺商店街の行列の一行(横浜市南図書館所蔵)


1946(昭和21)年5月27日の神奈川新聞では「南区 たち並ぶ商店街 躍進の弘明寺前通り」の見出しで「弘明寺以南が戦災をまぬがれたため、戦災地から人々が流れ、弘明寺観音の一角は昔のザキ街(伊勢佐木町)をしのぐにぎやかさだった」といった内容が伝えられている。

また、大岡川の清流を利用した捺染工業も盛んで、大岡川沿いには多くの捺染工場が建ち並び、横浜の地場産業を支える街でもあったという。
 


大岡川で布を水洗している様子(『横浜捺染―120年の歩み』より)


「弘明寺商店街」は1945(昭和20)年12月に「銀星会」となり、1950(昭和25)年には「横浜銀星会協同組合」と改称された。

1956(昭和31)年には当時、東洋一と呼ばれた270メートルのアーケードが完成。
 


アーケード完成を記念して大売出しが行われた
(画像提供:弘明寺商店街協同組合)


立て看板には「御中元の御買物は弘明寺銀星会」と書かれている。
 


1958(昭和33)年の弘明寺商店街
(画像提供:弘明寺商店街協同組合)


昭和30年代には、アーケードのある商店街は少なく、大変にぎわっていたようだ。また、商店街の中だけで、有楽座、東亜劇場、スバル座の3館の映画館があった。
 


弘明寺商店街の中ほどを流れる大岡川に架かる観音橋
(画像提供:弘明寺商店街協同組合)


1982(昭和57)年には「横浜弘明寺商店街協同組合」と改称。アーケードが老朽化したため、2001(平成13)年には、312メートルの新しいアーケードが建築された。
この商店街は、下町の風情を残す人情あふれる街として、しばしばテレビのドラマやCMの舞台に使われるという。



京急弘明寺駅の歴史、キニナル寺社風の駅舎とは?

いよいよ、キニナル京急弘明寺駅の寺社風の駅舎について、調査を開始。駅の歴史について調べながら、寺社風の駅舎に迫ることに・・・。

京急電鉄総務部広報課、飯島学さんにご助力いただき、瑞応山蓮華院應弘明寺、住職にもお話を伺った。
 


瑞応山蓮華院應弘明寺


弘明寺駅は、1930(昭和5)年、弘明寺観音が裏山を売却提供して、湘南電気鉄道の駅として開業した。また、裏山の一部は横浜市に譲渡し、現在の弘明寺公園になっているそうだ。

その後、湘南電気鉄道は、1941(昭和16)年、京浜電気鉄道と合併、1942(昭和17)年、東京急行電鉄と合併し社名変更を経て、1948(昭和23)年、京浜急行電鉄として分離独立したという。

飯島さんに確認したところ、当時の弘明寺駅の様子について明確な記録や写真は残っていないという。ただ、1937(昭和12)年に「弘明寺を札所の一つ(第十四番札所)とする坂東三十三観音の霊場をめぐるご案内を行った」記録があるという。

また、横浜市中央図書館が所蔵する「京浜・湘南電鉄沿線案内」(1933<昭和8>年と1940
<昭和15>年発行のもの)には、弘明寺駅の名所地として弘明寺観音が紹介されていた。

こうしたことから、古くから、弘明寺観音に参詣する人々でにぎわう駅だったのではと推測される。
 


1978(昭和53)年ころの弘明寺駅(画像提供:京急電鉄)


キニナル寺社風の駅舎が建築されたのは、1954(昭和29)年のこと。

1954(昭和29)年9月の京浜急行電鉄機関紙には「当社線としては唯一の特色ある寺社造りで(中略)改札口広間上家が、木造日本瓦葺準寺社造りで、室内は金属製の提灯が設置されている塗装は鮮明な赤で、弘明寺にふさわしい特色を生かしている。又本工事に伴いホーム上下線共上家を波型スレート、壁の面を硝子張りにした」という記述がある。
 


1983(昭和58)年ころの弘明寺駅(『京浜急行 赤い電車で半世紀』より)


このような寺社風の駅舎が建築された理由について、京急の飯島さんからは「社史などに明確な記載はございませんが、真言宗瑞応山蓮華院弘明寺さまのご協力のもと建設されたと伺っています」とコメントいただいた。

瑞応山蓮華院弘明寺の住職にも同様に尋ねたところ「寺院の境内の中に駅舎があるカタチになりますので、京急の方が気遣って、そのような造りにしてくださったのではないでしょうか」とお答えいただいた。

また、ホーム内の様子の変遷についてだが、下の写真には跨線橋が写っているのが分かる。
 


1976(昭和51)年ころの弘明寺駅ホーム跨線橋(画像提供:京急電鉄)


跨線橋を新設し、構内踏切除去がなされたのは、1969(昭和44)年だという。この駅舎は、1984(昭和59)年の駅舎改良(橋上駅化)によって姿を消した。

京急の社史に、建て替え理由についての記録はないそうだが、駅前広場の整備および線路を跨ぐ自由通路の整備等を含めて、築30年近い駅舎を建て替えたと考えられるようだ。

その後、1996(平成8)年、改札外コンコース・上下ホームにエスカレーター新設、2010(平成22)年、上下ホームにエレベーター新設、2011(平成23)年には、改札外コンコースにエレベーター、多機能トイレ設置といった改良を経て、現在に至っている。
 
 
現在の弘明寺駅に名残りはある?≫
 

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