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モノレール「ドリームランド線」ってどうなったの?

ココがキニナル!

運行休止していた、大船駅とドリームランドを繋ぐモノレール「ドリームランド線」って今はどうなったんですか?(KUMAさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

1967(昭和42)年の運行休止から放置されていた線路は2006(平成18)年までに全て撤去。地元の人たちの記憶からも忘れられてしまった悲運の鉄道である

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ライター:定者 和也

「ドリームランド線」という鉄道をご存じだろうか?
おそらく、ハマっ子でも知らない方が多いのではないだろうか。

ドリームランド線とは、戸塚区のドリームランド駅と栄区の大船駅の間を走っていたモノレールのことである。しかし、1966(昭和41)年の開業以降、運行していたのは僅か1年4ヶ月間に過ぎない。
 


ドリームランド線大船駅のホームがあった場所は、今はマンションが建てられている


ここにモノレールの駅があったことなど想像できるだろうか。
 


駅が解体されたのは1992(平成4)年。そこから約10年間、線路だけが残存していた
(以下、画像は全て使用許諾取得済み)


そもそもドリームランド線とはどういった経緯で誕生したのだろうか。まずはそこから探ってみたい。



ドリームランド線の変遷
 


赤と白と青のトリコロールカラーでペイントされたドリーム号(1966〈昭和41〉年撮影)


時代は1964(昭和39)までさかのぼる。

この年の8月1日、日本ドリーム観光株式会社によって戸塚区に「横浜ドリームランド」が開園。しかし、駅から遠いというデメリットがあったため、新たな移動手段としてモノレールを走らせることに。

同社の子会社として設立されたドリーム交通が、1966(昭和41)年5月2日にドリームランド線を開業する。
 


「夢の国」というコンセプトのもと、横浜ドリームランドは生まれた


開発側の思惑通り、出だしは好調だった。一日で1万5000人を運ぶ日もあったという。
 


当時の新聞広告。最先端の技術で注目を集めたのだが・・・


開業から10ヶ月後の1967(昭和42)年3月、タイヤがパンクしたことをきっかけに、車両の重量が超過していることが判明。設計ミスである。

対策を講じたが、その後もコンクリートの橋脚に細かい亀裂が入ったり車軸が折れたりと、アクシデントは絶えない。同年9月22日に東京陸運局から運行休止勧告が下され、9月27日に営業休止となった。




長期化した裁判

当初、営業の休止期間は1年だった。しかし、責任の所在を巡ってドリーム交通と設計を担当した東京芝浦電気(現・東芝)の間で裁判が起こってしまう。

裁判は長期化し、和解したのは14年後の1981(昭和56)年。
翌年からドリーム交通が新たに設立した「ドリーム開発」が再出発を目指すも、沿線の周辺環境は大きく変わり、設備も老朽化していたため、すんなり再開とはいかない。
 


無人駅となった「ドリームランド駅」。過去の栄華は見る影もない(2002
〈平成14〉年)
 

再開の目途が立たないまま放置された線路(2003〈平成15〉年)