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生麦事件を取材してください。(jckさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

生麦事件は、1862年に現在の鶴見区生麦で起きた薩摩藩士によるイギリス人商人たち4人を殺傷した事件。日本が近代国家に向かう発端となった出来事

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2015年04月02日

ライター:橘 アリー

生麦の人は当然知ってる!? 「生麦事件」

今回は生麦事件についての調査。
生麦事件とは、幕末・旧暦の文久2年8月21日(陽暦1862年9月14日)に生麦で起きた、薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件であるが、地元の鶴見区生麦ではどれくらい知られているだろうか。
 


京急生麦駅近辺で


高校生や20代の方7名に「生麦事件を知っていますか?」と聞いてみたところ「あ~・・・学校で習った」と、一様に同じ返事が返ってきたが、興味は全く無い様子であった。
なお、“外国人が日本人に殺された事件”という大まかな内容はご存じであった。

40代の女性は「学校で習った記憶があり、事件の碑があるので近くを通ると“こんなこともあったんだな・・・”と、ふと思うこともある」と話してくれた。
 


生麦事件があった現場の近くの商店でも聞いてみた


すると、年輩の方々は「生麦事件」について良く知っていて、若い世代とは違って興味もある様子であった。そして「生麦事件についてどう思いますか?」と尋ねると「う~ん・・・どうって言われても特にないけど・・・でも、生麦は事件の現場になっただけだから、生麦は悪くない」と答えてくれた。

確かに、生麦は事件の現場になっただけなので、生麦は悪くない。

地元では、若い世代の方々も「生麦事件」については学校で習って、興味は無いものの記憶には残っていると分かった。

続いて、事件の詳しい内容について、生麦に「生麦事件参考館」という資料館があるので、そこの館長である淺海武夫(あさうみ・たけお)さんにお話しを伺うことに。



生麦事件参考館

「生麦事件参考館」は、淺海さんがお父様から受け継いだ酒店の株式会社神田屋を営みながら1976(昭和51)年から生麦事件に関する資料を集め始め、1994(平成6)年に神田屋の代表を辞して開設した「生麦事件」の資料館である。
なお、見学には電話での予約が必要である(9時~17時、045-503-3710・入場無料)。
 


生麦事件参考館の全景


淺海さんが「生麦事件」の資料を集め始めたのは、鹿児島から生麦事件の現場を見学に訪れた人が酒店に道を尋ねに来られたので教えてあげたところ、その方から、後日お礼の手紙が届いたことがきっかけだった。そこに“生麦事件は日本の近代国家成立の発端となった出来事なのに、なぜ資料館が無いのでしょうか”と書かれていたので、それならば、まずは生麦事件について調べてみようと思ったそうだ。
 


淺海武夫さん


淺海さんは、体調を崩されたことにより、2014(平成26)年5月3日に「生麦事件参考館」を一旦閉館した。しかし、同年11月にこれまでの功労が認められて横浜文化賞を受賞したことにより、そのお礼の意味を込めて現在はまた開館しているそうである。
 


 

「生麦事件参考館」内部の様子


ここには、淺海さんが18年以上かけて集めた貴重な資料が展示されている。
なお、館内は通常は撮影禁止であるが、今回は特別に許可をいただいて撮影させてもらった。

さっそく「生麦事件」について詳しいお話を伺うことに。



最初に「生麦事件」の概要について

事件の概要は、時は1862(文久2)年9月14日のこと、江戸から京都の薩摩藩邸に戻ろうとしていた島津久光(しまず・ひさみつ)の薩摩藩の行列と、馬に乗って観光のために川崎大師へ向かっていたイギリス人商人たち4人が、現在の鶴見区生麦(当時は武蔵国橘樹郡生麦村)近辺で遭遇し、混乱となり、薩摩藩士によってイギリス人商人たちが殺傷されたというものである。
 


「生麦事件参考館」の碑(『生麦事件参考館』所蔵)


当時の時代背景について資料で確認すると、幕府は1858(安政5)年7月29日にアメリカと日米修好通商条約を結び、続いてオランダ・イギリス・フランス・ロシアとも同様の条約を結んで、日本での外国人の居住と貿易を認めた。そして、1859(安政6)年7月4日に横浜が開港し、事件が起きたのは、それから3年後のこと。

なお、最初に日本との条約を結んだのはアメリカだが、貿易・外交面において諸外国をリードして幕府に最も影響を与えていたのは「生麦事件」の被害者の母国であるイギリスだった。

開港によって多くの外国人が移り住むようになり、横浜には外国人居留地が作られ発展していった。しかし、国内では尊王攘夷(そんのうじょうい:天皇を尊び、外国などの敵を排斥しようとする)の思想を持つ者たちにより、外国人殺傷事件が起きるようになった。

そのため、幕府は1859(安政6)年に、横浜周辺の主要地点に関門や番所を設けて警備体制を強化していた。
 


神奈川台の関門跡について書かれた案内板の様子


そのほかにも、外国人との摩擦を避けるための取り決めもされていて、その中に「遊歩限度」というものがあり、外国人は、東は多摩川までしか出歩くことができず、多摩川を渡って江戸へ入ることはできなかったようだ。
 


横浜周辺外国人遊歩区域図の様子(『生麦事件と横浜の村々』より)


そして、この方面にあった東海道沿いは景色も良く、生麦には当時、横浜の居留地に住む外国人の間で好評だった“スーザンの立場茶屋”というお店があった。そこに寄ってビールを飲みながら本牧沖に浮かぶ船の白い帆を眺め、その後、六郷の手前にある川崎大師を見学するのが当時の外国人の定番の観光コースだったという。
 


現在の川崎大師観光の様子(フリー画像より)


被害にあったイギリス人商人たちも“スーザンの立場茶屋”に寄ったのかは不明であるが、馬でこの観光コースを巡っている途中だった。
    
  
   

 

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