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みなとみらいから「通り」が消えた? 幻の「ゆりのき通り」の行方は!?

ココがキニナル!

三菱みなとみらい技術館の横にある記念碑にある地図では「とちのき」では無く「ゆりのき通り」と彫られています。それぞれの道の命名の歴史や変遷が気になります!(ta-TAさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

道の名称は街路樹の名前。1990年当初「ゆりのき通り」だったが、街路樹設置基準が2002年改定、「ゆりのき」から「とちのき」に変更になった!

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ライター:大和田 敏子

みなとみらい地区の通りの名称に植物の名前が使われていることは、なんとなく知っていた。趣があっていいなと思ってはいたものの、名前がついた経緯は考えてみたことがなかった。また、同じ通りなのに「とちのき」と「ゆりのき」の2つの名前が記載されているところもあるという。本当なのだろうか? ・・・確かにキニナル!



「とちのき通り」と「ゆりのき通り」の表示はあるのか?



まずは、みなとみらい地区の通りの名前を確認するため、現地に向かった。
 


桜木町駅に着いて・・・
 

駅前広場にある案内板を確認すると・・・
 

東から「さくら通り」「けやき通り」「いちょう通り」・・・
 

「すずかけ通り」「とちのき通り」とあるのを確認することができた


「ゆりのき通り」は見当たらない。投稿を頼りに、三菱みなとみらい技術館に向かうことにした。
 


歩いている途中「さくら通り」と記された標識も目にした
 

三菱みなとみらい技術館に到着!


すぐ横に、三菱重工株式会社横浜造船所跡の記念碑があった。
 


ひっそりと佇む記念碑。1994(平成6)年に建てられたものだとわかった
 

下部に、社の歴史、横浜造船所転移の経緯が記され・・・
 

上部にみなとみらい地区の地図


近づいてよく見てみると、小さな文字で道の名称も記されている。
 


確かに「ゆりのき通り」とある


確認してみると、桜木町駅前の案内板では「すずかけ通り」の隣は「とちのき通り」となっていたのに、こちらでは「ゆりのき通り」となっている。・・・投稿者の観察力に驚く!



真相解明のため、都市整備局みなとみらい21推進課へ

なぜ、こんなふうに、同一の道路に2つの名前が記されているのだろう。その事情を確認すべく、横浜市の担当を訪ねることに。
 


都市整備局みなとみらい21推進課へ


横浜市都市整備局都心再生部 みなとみらい21推進課 課長補佐、光田麻乃(みつだ・あさの)さんと坂田勝(さかた・まさる)さんにお話を伺った。
 


光田さん(右)と坂田さん


み なとみらい21エリアは、もともと海だった部分の埋め立て事業と、陸だった部分の整備を含めた整備土地区画整理事業。「みなとみらい21」という名称が 1981(昭和56)年に決定。1983(昭和58)年に、土地区画整理事業などの都市計画決定がなされ、具体的に事業が始まった。1989(平成元)年 の横浜博覧会で、宣伝イベントを行い、広くアピールされたという。
 


MINATOMIRAI 21 Information 最新版をいただいた


キニナル、道の名称に絞って、経緯を教えていただいた。
み なとみらい21全体の街づくりのテーマを受けて、整備していく道路、橋、植樹、公共施設を実際に設計する際に、デザイン面での原則について議論があり、 1985(昭和60)年、公共施設デザイン指針が定められた。その中で、道路については、街路樹を道の両側に植えることが決まったという。
 


道の両側に街路樹。こちらは「すずかけ通り」


同 時期に土地区画整理事業が始まり、道路名称について話し合うために、1989(平成元)年~1990(平成2)年に、建築家、市内企業経営者、小説家など の有識者と、行政から都市計画局、道路局、港湾局、緑政局、西区・中区長などのメンバーによる、道路名称懇話会が開かれた。
 


道路名称懇話会の記録も含む報告書


み なとみらいエリアを海と平行に走る2本の幹線道路は、海側は「国際大通り」、陸側は「みなとみらい大通り」という名称。また、海に向かって縦に走る幹線道 路は、みなとみらい1号線~4号線、6号線という名称だった(5号線は横に走る道路)。そして、これらの道路に分かりやすい名前をつけることが、懇話会の 目的の一つだった。
この話し合いの中で「海に向かう縦の道は、植樹する街路樹の名前をとる。和語でひらがなを使う」という意見がまとまった。懇話会の意見を尊重して、道路名称が決定したのだという。
 


当時、決まった道の名称


1995(平成5)年発行の「新しい街に人の輪が広がる みなとみらい21」には、下のようなイラストマップが載っていた。
 


みなとみらいエリアのイラストマップ
 

道の名称がわかるように拡大


ちなみにクィーン軸、グランモール軸、キング軸は、歩行者軸。みなとみらいでは、当初から、車両交通と歩行者交通の分離が大きなコンセプトにあり、基本的に交わらないように立体的に道路を横行させている。

道路にわかりやすい愛称がついたことは、わかったのだが「ゆりのき通り」が「とちのき通り」に変ったのは、なぜなのだろう。
 


みなとみらいには様々な通りが存在する


その事情を光田さんに伺うと、
「その後、2002(平成14)年に、道路局で横浜市街路樹設置基準の改訂があり、ゆりのき通りが整備される前に、実際に植樹する街路樹が変更されたことが理由です」とお答えいただいた。

当時、ユリノキは、市内でも街路樹として多くあったのだが、生長が早いので、剪定回数が多く、維持管理上コストがかかるので、植樹に適さないとの決定があったという。

そこで、ユリノキの予定だった街路樹を、維持管理が容易なトチノキに変更することになり、2003(平成15)年~2004(平成16)年度に、トチノキを植樹した道路が整備された。そのため「ゆりのき通り」は「とちのき通り」に変更になったというわけだ。
 


ユリノキ(フリー画像より)


ちなみに『街路樹』(山本紀久著)によると、ユリノキの管理について「生長力、萌芽力ともに強いので、樹形を整えやすいが、コンパクトに維持しておくには高度な技術と手間がかかる」との記載があった。

一 方、トチノキについては「枝数が少なく、剪定後のカルスの発育も弱く、切り口から腐りが広がりやすいので、ふところ枝、からみ枝の〈枝抜〉程度にとどめ る」と書かれていた。専門的なことは分からないが、あまり剪定し過ぎると痛みやすい樹なので、間引く程度の剪定にとどめる方が良いということのようだ。
剪定回数について言えば、ユリノキよりトチノキの方が少なくて済むという印象を受ける。
 


みなとみらいのトチノキ


さて、もとのキニナルに戻って・・・
記念碑にある地図上の通り名称の記載について、あらためて伺ってみると、
「三菱重工業株式会社横浜造船所跡の記念碑が、1994(平成6)年に建てられたとすれば、当時のさまざまな資料にはとちのき通りではなくゆりのき通りと書かれていたはずなので、それらの資料に従ったものではないでしょうか」と坂田さんは話す。

図書館で資料を確認してみたところ、2000(平成12)年の「MINATOMIRAI 21 Information VOL.60」に掲載されていた地図にも「ゆりのき通り」と記載されていた。
 


黄色い囲みの部分「ゆりのき通り」と書かれている


後 日、この記念碑について三菱重工業株式会社・横浜製作所に伺った。同社は、みなとみらいエリアの開発に関して、地権者でもあり、その協議会に加わっていた ため、当時、横浜市から定期的に資料冊子をもらっており、記念碑の地図はその冊子と、同社にあった配置図をもとに作られたとのことだ。