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意外な穴場を発見! 開港時から横浜でも発展した文化「寄席」が楽しめるのはどこ?

ココがキニナル!

横浜鎌倉に落語が聞ける寄席はありませんか。(jckさんのキニナル)

はまれぽ調査結果!

横浜で寄席を聞ける場所は以前取材した場所以外に、手軽に行けそうなのは「横浜にぎわい座」、伊勢佐木町の無料で楽しめる木曜寄席があった。

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ライター:すがた もえ子

講談・落語・浪曲・漫才・色物など、さまざまな演芸を楽しむことのできる常設の興行小屋、寄席。
寄席といえば新宿の「新宿末廣亭」や浅草の「浅草演芸ホール」をはじめ都内に演芸場は多いが、横浜の寄席の話はあまり聞いたことが無いかもしれない。
 


新宿末廣亭(フリー画像より)


いろいろな演目を楽しめるのが寄席の魅力で、新しく興味を引かれるモノや人に出会うこともある。
お弁当とお茶を片手に、1日笑って過ごす至福の時間・・・気分はもう寄席一色。
年に数回は寄席に足を運んでいる筆者だが、ここしばらくは寄席に行っていない。
「じゃあ今回は横浜で調べて下さい」という編集部・小島の言葉に喜んで飛びつき、さっそく横浜で寄席が開かれている場所を探してみることにした。

今回は、過去にはまれぽでも取材した横浜市内で寄席が見れる「と味田寄席」や2ヶ月に一度六角橋商店街の銭湯千代田湯以外の2ヶ所を紹介する。



昔の横浜の寄席、芝居小屋などのにぎわい



横浜の芝居小屋・寄席の歴史は開港当時にさかのぼる。
開港当初、新興の町であった横浜にはたくさんの人々が流れ込み、人口は一気に増加。それに伴い娯楽方面の欲求も盛んになった。その自然の流れとして寄席の設立が企画され、1861(文久元)年に関内の港崎廓(みよざきかく)・金比羅前・野毛などの盛り場に数件が開業したのが始まりといい、以降開業が相次いだ。

明治時代、横浜市内の劇場(芝居小屋)は常に幕を開けて客を呼んでいて、時には名優が出演することもあり、東京についでのにぎわいと景気をみせていたという。
 


1902(明治35)年ごろの横浜の劇場通り(画像:public domain・Wikimedia Commons)


横浜市内の寄席の全盛期と言われる1902(明治35)年に記録されている寄席は次の通りだ。
 


『横浜市史稿』1933〈昭和8〉年参考
 

1897(明治30)年ごろの富竹亭(画像:『横浜市史稿』1933〈昭和8〉年・国立国会図書館蔵)


それぞれの寄席に特色があり、色物・義太夫・講談・浪花節・源氏節など得意とする演目があったようだ。

『横浜繁昌記』(1903〈明治36〉年)によると「新富、富竹の如きは構造に於いても東京の寄席を凌駕するありまし。しかも芸人は常に東京と掛け持ちだから他の興行と比べては中々に見栄え聴きばえがする」と書かれており、都内の寄席に全く引けを取らないどころか、建物はそれ以上との記述あり、繁盛ぶりがうかがえる。
 


寄席丸竹(画像:『横浜市史稿』1933〈昭和8〉年・国立国会図書館蔵)


1899(明治32)年には「関外大火(雲井町大火)」と呼ばれる火災によって現在の横浜スタジアム付近にあった劇場街が焼失。火災後に芸場街の中心は伊勢佐木町・松ヶ枝町(現:伊勢佐木町1~4丁目)から賑町(現:伊勢佐木町3丁目)へと移転し、さらなるにぎわいを見せるようになった。

しかし全盛を見せた寄席も明治末年に至ると映画館(活動写真館)の登場により大打撃を受け、廃業が相次いだのだという。
映画館に対抗して興行を行っていた寄席も震災により頓挫する者が多く、再興したものは8軒にとどまったが、新規会場も9軒あったと『横浜市史稿 風俗編』に記載されている。



桜木町には「横浜にぎわい座」がある



横浜の寄席といえば、まず思い浮かぶのが桜木町の駅近く、横浜出身の落語家・桂歌丸師匠が館長を務める野毛の「横浜にぎわい座」だ。道を歩いていても提灯が並んだ独特の外観が目を引く。
JR桜木町駅の南改札側の西口を出て、徒歩で3分。

 

JR桜木町駅西口


野毛ちかみちを通って南1番口から80メートルほどの場所にある。
 


ビルの一角にここだけ和の空間が現れる
 

受付や劇場は2階になる


入口を入ってすぐ右手のエレベーターか、正面の階段を上がって2階へと進む。
 


記念写真ブースになっていた


エレベーターが開いてすぐに歌丸師匠の等身大のパネルが目に飛び込んでくるのでドキっとするが、こちらは記念写真撮影用に設けられたスペースだ。
 


エレベーターを降りると歌丸師匠が出迎えてくれる!


歌丸師匠の横の高座に座ることができ、希望者には法被(はっぴ)も貸し出してくれて、シャッターも押してくれる。
週末はお子さんでにぎわう人気スペースだという。
 


入口はこちら
 

入って右側にある総合案内でチケットを購入しよう


料金は公演によって変わるので、詳しくは横浜にぎわい座のサイトかチケット専用ダイヤルで確認してほしい。
 


フロアには常設展として咄家さんたちの色紙が並ぶ
 

お忙しいところ、ありがとうございます


今回取材に対応してくれたのは、横浜にぎわい座事業運営チームリーダーの堀利文(ほり・としふみ)さんだ。

さっそくにぎわい座についてお話を伺ってみた。
「にぎわい座は2002(平成14)年にオープンしました」と堀さん。

なぜこの場所なのかとお伺いすると、明治・大正期には伊勢佐木町に劇場街があり、たくさんの芝居小屋が軒を連ねていたのだという。
戦火や震災で今はもう無くなってしまった劇場街だが、そういった文化を残したい、「野毛に寄席をつくり、笑いの力で街おこしをしたい」という声があがり、現在の館長でもある横浜市出身の桂歌丸師匠が横浜市に寄席の建設を要望、実現する運びとなった。
 


今のにぎわい座ではなく、明治期に伊勢佐木町にあったという芝居小屋の「賑座」(横浜開港資料館蔵)


「昔の賑座と現在のにぎわい座は直接の関係はありません」と堀さん。
現在のにぎわい座の名称は、市民からの公募により決まり、昔ながらの寄席のイメージを残しながら近代的なホールを作ったのだという。
 


ただし、にぎわい座主催公演の寄席は月の前半のみ


にぎわい座は月の前半(1日~15日)は寄席(にぎわい座主催公演)として使用され、後半(毎月16日以降)は貸しホールとして落語のほか、日舞・演劇・コンサートなど多彩な用途で使用されている。

にぎわい座の寄席には都内の寄席でも活躍されている落語協会、落語芸術協会に所属されている噺家さんのほかに、立川談志師匠の立川一門、三遊亭圓楽師匠の三遊亭一門など、普段はあまり寄席には出ないホール落語中心の噺家さんも出演されている。

もちろん後半にも噺家さん主催の公演がはいることもあるので、詳しくはチラシやにぎわい座公式ページでチェックしてほしい。